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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」62



第十二章    落日



七、

 
吹き矢は武光の首筋に命中し、武光は瞬間的な痛みを感じた。
武光の手が掴んでいたやぐらを離れた。
武光は七、八メーターを落下して下の積み重ねられた武具の箱の上に落ちた。
「武光!」
叫びながら駆け寄ってきたのは懐良だった。
「武光、しっかりいたせ!」
吹き矢は落下の衝撃でどこかへ飛んで、懐良は気づかない。
「親王さま、なぜここに?」
驚いた武光が問うのに、懐良が笑って答えた。
「お前を残していけるか!お前が言ったのだ、二人の目的は二人で成し遂げるのだと」
武光が言葉を失って懐良を見上げた。
懐良が怯えを忍ばせた切羽詰まった眼で武光を見つめていた。
「我らに敗北はない、そう言ったであろう、武光!」
懐良は武光の思いをはっきりと感じ、胸を打たれ、それに応えたかった。
「共に再起する!高良山で陣営を立て直そう、今川了俊を撥ね返す、私たちは負けはせぬ、お前がそう言ったのだぞ!さあ、立て!」
新王が武光を引き起こした。
一瞬、懐良を見つめた武光だったが、やがて笑った。
武政が二人の馬を引いてきた。
「親父様!」
武光は必死に立った。
颯天が鼻を擦り付けてくる。
それをなで、武光は颯天に飛び乗った。
懐良も武政も馬にまたがった。
そこへ吹き筒を捨てて駆けてきたのはやえだった。
「親王さま!」
「やえ、手を!」
懐良はやえの手をつかみ、引き上げて馬の背後に座らせた。
ちらりと武光を見やり、致命傷を与えられなかったことを見て取って、舌打ちするやえだったが、知らぬ顔で懐良にしがみついた。
「まいりましょう!」
武政が声をかけ、武光が颯天の腹を蹴った。
懐良も馬の尻に鞭を当てた。
背後に用意した秘密の脱出路を使い、大宰府脱出を図る武光と懐良親王だった。
正面からは雲霞のごとき敵勢が迫り、絶体絶命のピンチ状態での脱出行となった。
包囲網突破!
彼らは宝満山の背後の秘密道を辿り、戦場を脱した。
 
一行は太宰府から大保原を目指した。
大保原の先の高良山が目的地だ。武政が先に武安を放って工作させ、そこに南朝軍総員を呼集してある。高良山は征西府勝利の地だ。あそこからなら巻き返せる、と武政は思った。
炎天だった陽も陰り始めて、森と草原の起伏を馬が駆ける。
先頭を懐良が行き、武光の颯天がそれを追う。
後に武政が続いた。
懐良が振り返り、ついてくる武光を見やった。
吹き矢から体に回った蠱毒のため、武光は意識を失いがちとなったが、懐良に見られて微笑んで見せた。二人、かつての若やいだ気持ちに戻っている。
「あの日もこのように駆けたな、武光」
馬の背から懐良が叫んだ。
「わしについてくるのがやっとでしたのう」
武光が笑顔を見せ、安心したように懐良も笑顔を作った。
「今日はわしが先に行く、ついて来い、武光!」
懐良が馬に鞭を当て、武光が颯天の腹をけった。
競うように馬を駆けさせる二人。
懐良はやっと吹っ切れていた。もう勝ちも負けもない。
皇統統一の夢から解放されたのかもしれない。
夢は枷であったのかもしれなかった。枷が外れてみれば、そこには苦労を共にした相方がいた。パートナーが。懐良は今こそ自由の風を感じていた。
懐良と武光が馬を駆り、それを追う武政がいた。
いつか菊池川べりを駆けた時とは反対に背に西日を浴びながら、彼らは馬を駆る。
 
一三七二年、文中元年、一〇月。
筑後川を隔てて対峙する北朝軍と南朝軍はここ数か月も動いていない。
武政は武安と共に高良山から肥前本折城へ出撃したりと、筑後川をはさんで今川勢と攻防を繰り返した。しばしば今川勢をほんろうし、打撃を与えたが、いかんせん、続々と押し寄せる援軍を得て、今川勢の体制は揺るがなかった。
この間、今川勢は島津氏の支族や渋谷氏、日向の土持氏、肥後の相良氏や小代氏等に褒賞や領地安堵のえさで釣り、参陣を求めた。
一方、征西府の武政も必死に南朝へ合力するよう諸族へ密使を飛ばしている。
島津氏にも渋谷氏にも働きかけて懇願するように誘った。だが、乗ってくるものはいない。
九州の諸氏は一族の盛衰をかけて風読みをし、結果南朝方に与してくれるものはすでに少ない。征西府に打てる手はもう何も残されていなかった。
そしてその風は膠着して無風状態となって今日に至っていた。
南朝の将士たちは高良山城から虚しく眼科の大平原を望見する以外にない。
よくよく見れば、大軍勢を展開する北朝軍陣地の中に今川了俊の軍旗がはためく。
今川了俊は筑後川の対岸に本陣を構えている。あえて高良山の南朝側から見下ろせるように陣を配しており、館を構え、塀を巡らせて優雅な本陣をしつらえてある。
その庭で連歌の会で楽しむ今川了俊と武将団たちだった。
時に野天での酒宴を催し、酒と遊女たちの舞で余裕を見せつける。
「勅なれば国治めにといなみ野の あさぢの道も迷はざらなん」
と歌を詠み、今川了俊は平時と変わらず、満悦である。
そんな優雅な陣営の様子が雨上がりの見通しの利く日には高良山上にも伝わってくる。望見してそのゆとりに圧倒され、敗北感に苛まれていく南朝の武士たちだった。
「すごいなあ、賀ヶ丸、町があるようじゃ」
「はい、敵ながら、いくさの最中とは思えませぬ」
若者たちは無邪気に目を見張った。
賀ヶ丸と良成親王が大地を埋め尽くす陣地のすさまじい光景に呆然と我を忘れて見る。
高良山の北西の尾根、標高百七十五メートルに築かれた吉見岳城に本陣を敷いた征西府軍だった。大保原合戦の時と同じ場所、吉見岳城は眼下に筑紫平野や筑後川を見渡せる絶好の位置取りにあった。
 
吉見岳城の親王本陣には「金烏の御旗」が翻っている。
城隆顕(じょうたけあき)、少弐頼澄(しょうによりすみ)も饗庭道哲(あえばどうてつ)も、有智山城で戦死していた。征西府はすでに人員も細ってしまっている。
懐良と武政は本陣に猿谷坊の報告を受けた。
「物見遊山のような風を、今川了俊眼は装うておりまする」
猿谷坊が唇を噛む。
大宰府の征西府を占領した今川了俊は連歌の会を催し、王侯貴族のような贅沢の限りを尽くしてのち、今、大保原に進軍してきているが、背後ではしっかり太宰府の征西府政庁を使って九州支配を進めているという。武光と親王が築き上げた九州王国の経緯を知り、わがものとすることを夢想し、ほくそ笑んでいるのか、と武政は歯ぎしりした。
「奴らのために十年も大宰府を地ならししたのではなかばい!」
「さらにその上…」
猿谷坊が言いよどんだ。
今川了俊は明からの使者に応対したという。明との対応を一手に引き受けて交易の利を取り、中央に影響力を持ち、莫大な財を蓄えようと配下を動かしているらしい。
「わしの為にすべてのお膳立てをしてくれたのだな、菊池武光、…大した功績ではある」
武光と親王を、そう言ってあざ笑ったという今川了俊。
武政が懐良親王(かねながしんのう)(四十一)に今川了俊への怒りをぶちまける。
「今川了俊め、やりたい放題でございます!」
あらゆる政策や貿易について、征西府が築き上げたシステムを我がものとし、酷税をかけて搾り上げていると武政から聞かされ、懐良は怒りよりも喪失感を感じていた。
海商たちを呼び集め、東シナ海の実情を聞き取りしたりもしているという。
征西府の後をそのまま奪うだけでなく、それ以上に食い尽くす気だ。
「今川了俊におどんらの夢が汚されていくばいた」
歯噛みする武政と武安たちだった。
せめてもの救いは征西府の協力者であった海商宗明美が博多から姿をくらませたという情報だった。節義を守り抜き、商いの一切合切を捨てて今川了俊への協力を拒んだのだ。
だが、その行く末がどうなるものか。宋長者は滅びたも同然だろう。
「…是非もなし」
武安が情けなくそう言い、哀しみの感情に皆がとらわれた。
中院義定は相変わらず、事態が呑み込めているのかいないのか、腕組みをして瞑目を続けている。おそらくぼけているのだ、と皆は思っていた。
「…武光には聞かせられぬな」
懐良親王は自分の哀しみをこらえ、武光を気遣った。
大宰府以来、武光の体調がすぐれず次第に全軍に気の重い空気が満ちてきている。
「武光、お前の身体にいったい何が…?」
いら立っている懐良親王だった。仮に今、武光がいなくなれば、全軍は士気を失うのではないか。いくさ神のいない菊池は戦えるのか。
「父上にもしものことがあれば…」
武政もまた頼りない思いで落ち着かず、ふと息子の賀ヶ丸が目に入った。
十三になったばかりの賀ヶ丸は落ち着いている。武政の目を見やり、武政の不安を見通しているかのようにうそぶいた。
「…爺様はしょせん年寄りでござろう」
「なに?」
「いくさ神なぞ、強いものについていきたいものの作り上げる迷信じゃ、爺様はえらいが、ただの暴れ者じゃ、爺様がおらんでも菊池は戦う、敵は退ける、そうであろう、親父様」
武政は圧倒される。我が子ながら、末頼もしいというか、恐ろしいというのか。
武政は賀ヶ丸に武光の魂を見た気がした。隔世遺伝かもしれない。
 
陣営に寝台がしつらえられ、その奥の間に血を吐いて苦しむ武光(四十四)を武政や賀ヶ丸が交代で必死に看病した。夜ごと武光は血を吐いた。
武光の容態はますます悪く、軍医も首をかしげるばかり。
首筋の傷が黒く腐ってきており、何か病原菌が入ったのかと思われたが、それにしても全身の弱り方が異常だと医者は思った。毒、と脳裏をかすめなかったわけではない。
だがコブラの毒を用いた蠱毒の情報は日本に伝わっていない。
懐良は日に何度も訪れ、自らの手で武光の汗をぬぐい、薬を取り換えた。
その懐良に付き添い、薬を塗った布を差し出すのはやえだ。その目が暗く光る。
武光が青ざめた顔を向けてほほ笑んだ。
「親王てづからのご看護、痛み入り申す」
「どうあってもわしを無罪放免にはしてくれぬようじゃのう、…武光」
言いよどんだが、精いっぱい勇を鼓して、懐良は武光に微笑みかけた。
「白状するが」
武光は虚ろな目で懐良を見やった。
もはや目玉だけが武光の意思を忠実に伝ええている。
懐良は別れを予感し、その前に自分の想いだけは伝えておきたい、と言葉を選んで、結局は簡単な表現をとった。
「…わしはそなたを、兄、…そう思うておる」
武光はそれを聞いて胸が詰まってしまう。
思わず落涙しそうになり、顔をそむけた。
初めて会って、同じ孤独の匂いを嗅ぎ、以来、親王を皇統統一の夢を担える人物に育て上げようと意識してきた武光だったが、今はそれが間違っていたのではないかとの自省がある。親王は自ら荒事のただなかに躍り込み、兵どもの血で手を汚していくさにまみれた。
父の無念を晴らし、宿願を果たすという一念に生きた親王だったが、違う道を選ぶ余地がなかったとは言えない。それを拠ってたかって頼元や侍従たち、そして九州南朝武士団が担ぎ上げて縛り付けて押し運んできたのではないか。
「…あなたを無理な生きざまに引き込んでしまい申した」
そうとも、お前のせいだ、と懐良は笑った。
「…お前に会ったばかりに私は自分以上のものとなった、お前に仕込まれ、大保原で本当の腹が固まった、…人にはえにしというものがある、そういったな、道は用意されていた、…お前に会うために九州へ下ってきたのだ、…それ以外の道なぞ、多分、なかった、…ことをなせようがなせまいが、…わしはお前と精いっぱい生きるしかなかったのだ」
懐良の目にも涙がにじんでいる。
「…大智禅師に言われたこつがあり申す、…人はえにしに運ばれて、その先端で舞うしかないものだと、いかに苦しくとも、望んだままではないにしても」
懐良が武光の手を握った。
「今からでも掴めよう、征西府を仕上げよう、わしらの手で」
「はい」
その先行きがどこまで信じられていたろう。ともあれ、あえて希望を口にし、互いに笑顔を見かわす二人だった。やえがそばにいたが、やえは二人の会話を聞いていなかった。いや、聞いてはいたが、意味が取れていない。やえにとってはただの音声のやり取りだったのだ。
やえには取りつかれた思いだけがある。
執念となった殺意だけが。


《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。

 〇中院義定(なかのいんよしさだ)、持房親子
公卿武士、侍従。

〇城隆顕(じょうたかあき)
菊池一族の別れで城一族棟梁。抜群の軍略家で有能。最後まで武光に夢をかける。

〇菊池武政
武光の息子。武光の後を受けて菊池の指導者となる。
 
〇菊池武安
征西府幹部。
 
〇賀ヶ丸(ががまる)
武政の子で武光の孫。のちに菊池武朝となって活躍する。
 
〇良成親王(よしなりしんのう)
後小松天皇の皇子で、九州が南朝最後の希望となって新たな征西将軍として派遣され、懐良親王の後を継ぐ予定の幼い皇子。
 
〇やえ
流人から野伏せりになった一家の娘。大保原の戦いに巻き込まれ、懐良親王を救ったことから従者に取り上げられ、一身に親王を信奉、その度が過ぎて親王と武光の葛藤を見て勘違いし、武光を狙う。
 
〇今川了俊
北朝側から征西府攻略の切り札として派遣されたラスボス、最後の切り札。貴族かぶれの文人でありながら人を操るすべにたけた鎮西探題。
 
〇今川義範
今川了俊の息子の武将。
 
〇今川頼奏
今川了俊の弟の武将。
 
 
 
 


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