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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」51



第一〇章    豪雨災害


三、
 
翌日もその翌日も、武光たちは領内を歩き回り、被害を見ては心を痛め、何も思案が浮かばぬままにもろ肌を脱いだ。力いっぱい復興作業を手伝い、民人には涙を流して拝まれもしたが、かえってうろたえてそっぽを向いた。
美夜受に突き付けられた言葉に動揺させられ、考えがまとまらず、武光は虚ろだった。
その夜は正観寺の山門に一人入り込んで座禅をした。
武政と太郎は武光の館に帰した。
 
武政は隈府の屋敷に戻り、太郎を泊めてやった。
迫間川に面した奥の部屋で差し向かいで飲んだ。
「…太郎太夫、ぬしは親父殿と豊田時代からの幼馴染みじゃ、…そのおまんから見て、近頃の親父殿はいかがじゃ」
「いかがといわれても…」
「おいの知る親父殿は鬼のようじゃった、…馬も、太刀も、組み打ちも、おいは親父様から教わった、…おとろしかった、…おとろしかったが、…武士のいく道は相手を倒し、組み伏せ、支配する、…さもなくば討たれる、…討たれれば滅ぶしかない、繰り返しそういわれて、おいは鍛錬し、自分で自分を追い込んだつじゃ…」
「ああ、…知っておるばいた、…何度もおいはお前様を抱えて逃げ出そうとしたつじゃものな、可哀そうすぎると思うてな、…こげんこまか子に、いくら武闘訓練とはいえ、あそこまでせんでもと、何べん陰で泣いたかしれんとたい」
「大保原のいくさで、おいは遊撃隊を率いさせられた」
「弥兵衛が補佐についたとじゃろ?おいは棟梁にはぐれてまともな手柄もあげられなんだでのう」
「弥兵衛のおじきがなんもかんも仕切ってくれて、おいはやっと体面を保てたつじゃ、…おいは恥ずかしかった、…菊池武光の息子として、遊撃隊を任せられながら、おいは臆病風に吹かれて、腹の底で親父殿を憎んでおった」
「憎んでおったと?…初耳じゃ」
「ああ、今初めて他人に明かすわい、…あの役回りは南朝軍の先手(さきて)として、見事死んで見せよという役回りじゃったはず」
「いや、それは」
「親父殿はおいを殺すことで、南朝加勢の各武将どもに、命を惜しむことはかくのごとく許さじ、身命を捨てよ、と、号令しておったのじゃ、…親父殿はおいに死ねと」
「そいは違う、武光の棟梁は、おまんにやり遂げる器量があると見込んだればこそ」
「おためごかしは言うな!」
太郎は言葉を失って武政を見やった。
「おいは大保原で死ぬべきであった、死んで諸侯の勇を鼓す役目がおいの責務であったつじゃ、じゃが腑抜けて生き延びて、親父殿はおいに失望したつじゃ」
太郎は唖然となった。なぜそう考える?
「考えすぎばいた、棟梁はそげなこつ、これっぽっちも」
「…親父殿はおいに教えたのじゃろ、…それが武家の生き様じゃと、…じゃが、おいは応えられなんだ、…大保原でおいは何一つまともな働きができず」
「そりゃ仕方なか、お前はまだあの時」
「いいや、おいは己が恥ずかしかった、…おいは弱い、…大いくさのただなかで、おいは死ぬより恥ずかしかったつじゃ、…あの生き恥を逃れるためにその後を生きてきた…」
「…武政」
「…町の子供らが楽しそうに遊んでいようと、川へウナギ取りに行きたかろうと、他の奴らが年頃になって娘どもが気になってソワソワしようと、おいはその後、一切に目をそむけたのじゃわい、…親父殿に恥じぬ武士になりたいと念願した、…敵は倒せ、…組み伏せよ、…領地経営では隙を見せるな、領地を拡大せよ、征西府と共に進め、…皇統を統一せよ、…中央へ攻め登って菊池の名において覇をとなえよ」
「…棟梁は口ぐせのように、そう言うておられたわなあ」
「おいはそういう武士に、この菊池武政を育て上げてきたつじゃ」
「!」
「しかるに、なんぞや!…太宰府に上がられてからの親父殿はいくさを避け、九州諸侯を力づくで抑え込むことをせず、民に甘い言葉をかけ、知恵を使うとかでありもせぬ頭を使い、太宰府館の部屋に引きこもって思案顔、気に食わぬわい!」
「おいおい」
太郎は激しい武政の感情を前にうろたえるしかない。
「おいには何を考えておられるのやら、とんと分からぬ、…菊池の棟梁があれでよかつか、…こげな甘いまつりごとではいずれ諸侯に造反されるわい、民にも舐められて年貢さえ取り立てられず、いくさの資金に行き詰まり、征西府は、この菊池は」
武政はそこで言葉を呑んだが、太郎には武政がプレッシャーと絶望感にさいなまれているように思えた。武政は大保原の戦いのさなかに生き恥を掻いたと思い込んだ。
そして必死に武光越えを自分に課した。やがて武光の欠点や弱点を数え上げる習性が身についた。武光の棟梁としての輝きを超える自分となるために、武光の輝きを貶める。
「…親父殿には征西府をこの先運営していく力はなか、甘すぎる、耄碌(もうろく)して現実が見えておらぬのよ、…そいに征西府は巻き込まれる、…菊池の行く末もな、…このままではいかぬ、…なんとかせねばならぬばいた」
と、盃からあおった。暗い目であった。
武政はそうやってでも武光越えをしなければならぬ精神状態に追い詰められている。
いや、幼い自分に死を課した、と思い込んだ父親を恨み、やはり憎んでいるのかもしれない。太郎にはもはや言葉がなく、ただ茫然としていた。
 
いくら座っても妄念が晴れるどころではなく、心が千々に乱れてその手が膝を打った。
武光は美夜受から突き付けられた言葉を反芻していた。
「あなたは苦しんでおらしたじゃろう、じゃっど、好きな女を差し出した苦しみではなかった、…好きなお方が私と睦み合うことに苦しんだのです」
ばかげている、とは思った。
だが、懐良一人のために自分は突っ走ってきたのではないか、との疑いに突き上げられている。九州統一、東征、皇統統一への道、それは誰のためだったのか。
武士としての自分の生き様か、菊池発展のためなのか、それとも。
懐良の美しい顔が思い浮かんだ。透き通った肌。思いつめた瞳。
武光は自分で自分の心が分からなくなっている。
正観寺の山門で武光は様々に迷妄しながら座禅している。
「どうした?無念無想にはなれんかい?」
酒徳利と盃を持って階段を上がってきた大方元恢(たいほうげんかい)だ。
「なれぬ!…不詳の弟子で済まんがのう」
盃を奪うようにして、苦し紛れにがぶがぶと呑む武光。
「ほほう、弟子のつもりでおってくれたつか、嬉しかのう」
自分でも注ぎ、大方元恢が一口であおる。
しばらく飲みかわしてから大方元恢が言う。
「地獄の果てまで行け、か」
「聞いておったのか、くそ坊主」
「苦しそうじゃのう、…いくさ神と言われた男が、いくさに勝つばかりでは超えられぬ壁にぶつかったか、…美夜受(みよず)の尼、なかなかのするどか公案を突き付けたものよ」
「おいが勝てぬのは、唯一、あの尼だけじゃわ」
「菊池の民を救うか、東征のために見殺しにするか、…難題じゃのう」
武光は菊池の衆に年貢を猶予することに対し、自己矛盾を感じて迷っている。
九州中から税を取り立てて征西府を運営しているが、中には抵抗して見せる者もあり、それへは軍勢を派遣し、慌てて許しを乞うても打ち首を辞さなかった。でなければ次々に身勝手なことをいうものが出てきて示しがつかないからだ。
「やむを得なんだ」
「征西府の運営には必要じゃろうな」
「じゃがのう」
武光の本音はそんな真似を嫌悪していた。
「…おいのしてきたことは何じゃったつか、征西府を育て上げ、生産の向上を皆に約束し、その先に何か良いものが掴めると言うて信頼を積み上げてきた、皇統統一がすべてを解決すると信じた、…じゃが今はその目的のために民の犠牲を強いねばならん、東征か、年貢の猶予か、どちらを取ろうがおいは苦しかぞ」
冬場に付け込んでおいた漬物をかじり、大方元恢が脛をかいた。
「それでも選ぶしかあるまいな」
胸がふさがれるようなつらさを持て余して武光が大きな声を出す。
「選べぬよ、わしにはできぬ!」
盃を叩きつけた。
大方元恢がそれを見やって、這って行って拾った。
新たな酒を注いで、武光の前に置いた。
「現状公案、まさに仏のたなごころの上じゃな、苦しむが良か、それを越えなければぬしは真の覇者(はしゃ)にはなれんわい」
「覇者じゃと?」
いつか大智禅師の言った言葉を思い出す武光だった。
「悟らぬ限り、人は仏になれぬ、人は悲しい、…戦で殺されるもの、殺すもの、皆哀しい、楽しく暮らしても病に倒される、…その悲しみに寄り添う、その悲しい人々を慈しみ、抱きしめる、…それが仏者の道、覇者の道もそうではござらぬか?」
と、大智は言った。
(覇者?)
しばらく二人は黙って酒を飲み、やがて大方元恢が去った。
闇の中に、そのまま座り続けた武光。
煩悶がこみ上げ、どうすればいいのかと迷い続けた。
長い長い夜に武光は耐えた。
翌朝、太陽が差し込んで、武光の身体を照らした。
窓越しの太陽を見上げ、武光は眼をしばたかせた。
矢筈岳でもこんな光を見た、と武光はぼんやり想った。
朝の光を浴びて武光の内部では自然に決断ができていた。
 
菊池本城御殿に各部将や域内の豪商たちを集めた武光は今後三年間、年貢を本家に収めなくとも良いという政令を出した。
えっ!と全員が驚きの声を上げた。
「御一同にも同じことをしてもらいたか、民の窮状を思いやってほしかとじゃ、懐は痛もう、じゃがやりくりすれば乗り越えられる、菊池の棟梁として命ずる、年貢を猶予してやれ、その代わり、征西府に対しても今後三年間、一切の支援を免除する」
しばらく唖然としていたが、諸侯がははっと頭を下げた。
商人たちも納得した表情を見せた。
武光は今や菊池のカリスマになり負わせている。逆らうものはいない。
寄り合い内談衆は存在はしていたが、影は薄く、ひたすら武光に恭順している。
そんな中で、武政だけは武光を睨みつけている。
武光は武政の視線を感じたが、あえて無視した。
武政が武光とは違う感覚で領地支配に臨もうとしていることは感じ取っている。武光のやり方を手ぬるいと感じ、温情で臨むことが領民を甘やかすことにつながり、年貢の収納やいくさへの駆り出しに支障をきたすと考えているようだ。だが、ことは話し合うには危うすぎるバランスのもとにあった。武光にも自分のやり方ですべてがうまくいくという確信はない。成否は度外視。いざとなった時、棟梁は一存においてそれをなす。
その責めは一身に負う。それが武光の棟梁としての信念だった。
「本城の蔵に蓄えられた蔵の中の宋銭、金銀財宝三万八千貫文分を拠出する、豪商の方々には売った食料や木材などを買い戻したか、集落の復興に充て申す」
と武政は商人たちに呼びかけた。加えて博多の豪商宗長者に掛け合い、借り入れという形で責任を持つことで、足りない食料や建築資材を調達すると言明した。
感激し、救われ申すと喜ぶ武将たちだが、危ぶむ者もいた。
「そいでは征西府の東征事業はどうなりますか?」
武光は笑って見せた。
「親王様と相談じゃ、ま、なんとかなろうよ」
武政が席を蹴った。
憮然と出ていく武政の後姿を、武光は見送った。
 
武光と武政は食料調達、復興の資金集めに博多に向かい、緒方太郎太夫によって菊池の各地で復興作業を続ける人々に武光の決断の知らせがもたらされた。
皆が歓喜して踊りまわった。七城地区で泥にまみれていた人々にも、武光の決断は伝わった。皆が感激した。百姓と役人が手を取り合って喜んだ。
美夜受は泥まみれのまま、そんな様子を見つめた。
太郎が美夜受におずおずと笑いかけ、美夜受がうなずいた。
大方元恢や僧たちが作業の手を止めて笑いあった。
「武光、…心を決めたな、…美夜受の尼がお手柄じゃ」
美夜受が静かにほほ笑んだ。
太郎はやるせなくもそんな美夜受を見守るしかない。
 
太郎が山越えのルートを辿り、大量の食糧を背負って穴川に戻る。
豪雨災害はここにも手ひどい被害を与えていた。
百姓衆の家や畑が土石流に押し流され、大半が瓦礫と化している。
なにより道路が寸断されて、太郎がしたように道なき山を越えなければ菊池の隈府へ出られないことが最悪の事態を呼んでいた。山越えでなければ食糧支援さえ受けられないのだ。そんな村で復旧作業に働く人々が、隈府から来た武光の家臣たちの合力で道路開通のため動き回っている。いつ果てるともない方付け作業にへとへとな様子だ。
「戻ったつばい」
太郎の声を聴いて、見迎えるぬいや子供たち、郎党、百姓衆だった。
「お前様!」
土石の除去作業をしていたぬいが笑顔を見せた。
皆は太郎が戻ってうれしいと喜びの表情を見せ、子供たちは運ばれてきた食料に群がった。芋や干物なぞにかじりつきながら、子供たちが太郎にまとわりつく。
「みんな、心配なかぞ、年貢は向こう三年間、免除くださったつばい、武光様がのう」
それを聞いて、皆がわっと声を上げた。初めて皆の顔に生気がよみがえった。
「武光様が年貢を!?」
皆が涙を流して喜んだ。
「よかった、せめてもじゃ、よかったばい!」
「太郎太夫様、務めを果たしなったなあ!」
ぬいが泣きながら太郎の傍に来た。
太郎と笑顔を交わした。
山間の部落に光がさす。
雲が晴れてゆき、太陽が顔をのぞかせていた。
 


《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇大方元恢(たいほうげんかい)
博多聖福寺の僧だった時幼い武光をかくまい逃がした。
後、武光が聖護寺を菊池一族の菩提寺として建立した時開山として招かれる。
 
〇緒方太郎太夫(おがたたろうだゆう)
幼名は太郎。武光の郎党。長じては腹心の部下、親友として生涯を仕える。
 
〇菊池武政
武光の息子。武光の後を受けて菊池の指導者となる。

〇ぬい
穴川の里の娘。太郎太夫の嫁となる。
 

 

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