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「何も成し遂げなくていい」

やっと居酒屋さんが普通に開くようになって、先日気のおけない友だちと近況報告などしていたときに

「もうさ、何も成し遂げなくていいんだよ」

と、ぽろりと言われた。

60年代に生まれて、学歴を得るためにお尻を叩かれ続け
何者かにならなくては、と夢を探して自己実現に現を抜かしていると
結婚しろ、子どもを産めと急かされ
苦労して、仕事も家庭もなんとか手に入れてみたら
それはゴールではなくてただのスタート地点で
仕事では結果を出さなくてはならず
年度が変わるたびに評価シートに目標と施策を書き続け
フリーになってからは自分自身という商品の管理に明け暮れ
家庭では子供の教育や進学問題があとを追いかけてきて
その他もろもろ、資産形成だ教育費貯蓄だ、有利な投資は何だとか、もう。。。。
なんとなく人生
ずっと「結果を出せ」と言われ続けてここまで来ちゃったような気がするんだった。

そしたら知らないうちに、自分の中にも「何かを成し遂げなくてはならない」という刷り込みみたいなものが生まれ

そんで、そんな世界に生きてきたもんだから
気がつけば自分の周りは「何かを成し遂げた人」、もしくは
「何かを成し遂げ続けている人」がたくさん存在していて
そういう友人知人が多いのは自分の大きな財産なのだけれど

そんな姿を見るにつけ、自分も頑張らなくちゃとか
いやいや、マイペースでいいんだよ、人は人と思いつつ
動向が目に入ると、さりげに気になるというような

なんかそんな中にずっと長い間いたなあ、などと思うのだった。


いづみちゃん、もういいよ。
十分成し遂げたから
もう何者かになろうとしなくていいし
もうさ、何も成し遂げなくていいんだよ

と言われて

なんか、そんな当たり前に近いような言葉に
妙にはっとした。

先日、人生ずっと走ってきたというようなことを書いたら
そんなことなかったよー、という人がいたり
とにかくずっと、ほんとに頑張ってきたよね私たち、と言ったら
え? ぜんぜん頑張ってなんてこなかったけど、という人もいて

人生の時間をどう歩いてくるのかは人それぞれなんだけど

とりあえず、「何も成し遂げなくてよい」という世界の中に生きるのは、実はわたしはとっても新鮮なんだなあ、、、、という

不思議な気付きの今日なのでした。

自分のための覚書。

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