「ボバ・フェット」6話の展開を振り返り
ディズニープラスで配信中の「スター・ウォーズ」のドラマシリーズ「ボバ・フェット」第6話の展開を振り返ります。内容はネタバレを含みますので未視聴の方はくれぐれもご注意下さい。
注目のデイブ・フィローニ回。記事は最終回と合わせるつもりでしたが、映画評論家でありスター・ウォーズ研究のエキスパート河原一久さんと本シリーズについてお話でき、その際の話題も含めて備忘録的にまとめることにしました。
ディン・ジャリンがグローグーのもとへ向かうお話は「マンダロリアン」S3に持ち越しかと思いきや、前回からのその続きが始まりここから驚きの展開が連続。
ルークの声はマーク・ハミル本人ですが、吹替え声優は「マンダロリアン」に引き続き須田祐介氏。個人的にVHSが擦り切れるほど繰り返し観た馴染み深い水島裕版ルークに似た印象を受け、RotJからの地続き感が強かったです。
ルークとグローグーの修行の様子は解りやすいESBオマージュ。トレーニング・リモートを使うくだりは小説版のルークの修行からの踏襲でした。鬼教官の老ヨーダは初回からリモート2機かつ気絶する強度のハードなやり方でしたけれど。
アソーカが既にルークと交流していた事実はそれだけで背後にある多くの情報が読み取れてしまいます。また一つファンの夢が現実に。穏やかなアソーカの表情や二人が視線を交わす絵だけでとても感慨深く心が熱くなりました。
ルークが手探りでジェダイ・オーダーを再興しようとしてしまっているのはTLJに繋がる要素ではあり、アソーカがいらぬ知恵を貸したのではと疑ってしまいましたが「本能に従って」というアドバイスからアソーカ自体はその極地に達しているのだなと安堵しました。生みの親が語り部であるからこその高純度のキャラ描写。(しかしボバ・フェットのお話は何処へ)
グローグーには長寿種族という特性からも「スター・ウォーズ」の未来への可能性が秘められています。旧三部作と新三部作の世界を繋げたアソーカのように、今やグローグーは続三部作とそのスピンオフであったりその先の時代を描く物語・世界で繋ぎ役になりえる存在です。
しかしながらルーカス叩きの一部にもなってしまっていたデビュー時のアソーカと初登場から大人気のグローグーとでは大きな違いがあり、彼の育成はアソーカ以上に難しさを伴うものになりそうです。それだけに「僕はどうしたらいいんだ」というグローグー育成に対するルークの迷いの言葉はデイブ・フィローニ自身の今の言葉とも取れます。絶頂で退場させる潔い選択をするかもですが。
満を持して登場した大物ゲストキャラクターもファンを沸かせました。
ドラマシリーズにおけるこうしたスピンオフ作品間のクロスオーバーと、それが直接的に相互の物語や設定に強く影響を及ぼすスタイルは80〜00年代のスピンオフと映像作品の関係と比べると大きな進化です。当時をファンとして客観的に体験した世代が製作の中心にいるからこそ実現している部分かもしれません。
ところで、ボバの宮殿での作戦会議ではフェネックがベスパ軍団の事を「Mods」と呼んでいましたが(吹替と字幕では「改造ギャング」)、4話の改造屋(Mod-Parler)と合わせて考えると、設定としてはまずフェネック復活の理由と合わせてこの時代のタトゥイーンには改造文化があるとして、その事を前提としつつビジュアライズの段階でダジャレ的にモダニズムを由来とする60年代のモッズを掛けた可能性が。もしそうであるなら個人的にはそこは誤判断であり、もっと過激なサイボーグ軍団でも良かったのではと思いました。
次回は最終回ですが、昨年5月にはシーズン1の表記がある制作クルーのパッチ画像の話題がありましたので実際シーズン2へ続くのか、完結するのか注目です。