芝居は嘘か本当か

デジタルサイネージで映像作品の広告を見ていて、なぜかふと私がここに出たらどんな芝居をするだろうと思った
芝居の仕事をする前は、それこそ小さい頃から何かになりきるのが好きだったのでよく考えていたことだけど
6年前にきっとこれが最後だと思った舞台出演以来、芝居のことを考える機会は減っていた

というよりも6年経って忘れかけていた芝居をやらない理由を思い出した、に近い

大した経験もない私が言うのもおかしな話だけど、芝居は自分の今までの経験や味わった感情を総動員させて別の人物を作りあげて演じるものだと感じた
それを必要とされたとき自分の浅はかさを突きつけられた気がした

親に愛されて何不自由なく育って恋愛経験もさほど多くなく、まぁ挫折も味わったんだろうけど過去を引き摺らないタイプすぎてあまり覚えていないし
幸せで充実した人生のはずなのに、そんな私が総動員させる感情なんてこれっぽっちもない気がして、自分の口から出るセリフが全部ウソになっていくのが辛かった
役が憑依するわけでもないし今思えば自分の歩み寄りが足りなかったんだと思うけど、歩み寄って薄っぺらい自分を曝け出すのも怖かった

それに比べてポートレートは写っている間はしゃべらなくてもいいし(でもしゃべるのは好き)(だからラジオは好きだった)
別の誰かになりきるとしてもそれを自分で決められるし、根本は自分自身のままで写ることができてそれをみんなが認めてくれる
こんなイメージでとかこういう人物を演じて、と言ってくるカメラマンさんもいるけど、基本的には演出家はいない(もしくはモデルでいいと思ってる)

そんなことを書いてると「やっぱり私には写真しか残ってないんだ」というポジティブな使命感さえ生まれてくる

写真の中では、
浮浪者のような暮らしをする生き別れた弟の胸ぐらを掴む姉を演じたこともあるし
一緒に住んでた彼氏と別れた独り身の女を演じたこともある
母のような眼差しも少女のような笑顔もどんな人物を演じても正解で、どんな芝居も私でいられる
もちろん演じないで私のままそこにいるだけでもいい

そうやっていろんな感情を経験したりするうちに、自分が薄っぺらだとは思わなくなった
もちろん年を重ねて人間に厚みが出てきたのもあるかもしれないけれど

舞台でのお芝居も楽しかった
数は少ないけど映画のお仕事も、CMのお仕事も楽しかった
でも私はやっぱり写真で生きていく

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