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叱られが「発生」した、という話

・うおおおおおお最近はよく叱られが発生している。すべて私が悪いということを自覚しているのでこの感情は外に出してはならない・・・自分で感情を片付ける、それが「反省」というもの。

・「怒られが発生した」、という少し前X(旧Twitter)でウケにウケたワードがある。私が好きな日本語の1つだ。

・「発生した」という言い回しについて、当事者意識がかなり低く、「怒り」は他者の感情が爆発したものなので付き合う必要がないといった意味合いを感じ取れる。この手の解釈はもうさんざっぱらされているのであまり言及はしない。

・「怒られた」と「叱られた」の違いがある。

・「怒られた」は上記の通り、怒っている側の感情が爆発したのみなので、自分にあまり響くことはない。(怒らせないよう頑張るにこしたことはないが。)あ~怒られてんな~たはは~と思って終了である。人はなぜ怒るのだろう、人生を真剣に生きててえらいなとさえ思う。そしてまた怒られる。

・一方、「叱られ」は論理的に、かつ事態や叱られ対象の好転を目指し発生するものだと思う。お坊さんの説教や説諭とも言い換えられる。

・これがきちぃーーーのよ。

・一番ダメージが入る。これが発生すると如何に私が愚鈍で教養がなく、使い物にならないポンコツトロールかということを大いに自覚してしまう。

・もともと自分がかなりのポンコツであることは自覚しており、人生はそれを補っていかに人間のフリをし続けるかなのだ。なるべく愉快でいられるように。「怠惰を求めて勤勉に行き着く」という素晴らしい言葉があるが、勤勉の方向性が間違っている。

・しかしながら、そんな私を喝破してくる人がまれにいる。これはとてもありがたく、私を良い方向に導いてくれる方なのだ。叱るということは多大なストレスであろうに、それを私のためにしてくれるだなんて!!感謝の言葉では言い尽くせない。

・今回も叱って頂いた方には大変感謝している。その上で、自分の至らなさが非常に申し訳なくなるのだ。そして困ったことに、この反省や精神的負荷は寝て起きるとすっかり忘れてしまう。私は「そういう」人間なので……

・開き直ってしまってすまない。こんな私を愛してくれ。

・そういや怒ったことってほとんどないな。叱りは後輩に何度かせざるを得なかったのでしたが。「まあいっか」の精神が強いのだと思う。怒るのってダサいから、とか怒るのってエネルギー使うからしない、とかでもない。沸点が高いとも違う気がする。

・「忘れてしまう」に帰結するんだろうな。喜怒哀楽の喜楽だけしかないやね。

・久々に丸亀うどんを食べた。うどんが製麺されてゆがかれて丼に移される様を毎回じっくり見てしまう。粉がああなるの不思議だな。錬金術師か?亀の連麺術師。

・ほとんどがアルバイトやパートだろうに、茹でられる前のうどんと一緒に見ると全員が職人に見えてくる。生地を圧延するローラーも好きだ。あれに色んなもの巻き込みたいな。スマホとか。大きく平べったくなったiPhone。iPadでいいじゃん。

・ぼーっと見ていると私の注文番となった。しまったメニューを考えていない。かけうどんでいいか。これをほとんど毎回してしまうので丸亀ではかけと釜茹でしか食べていない。調子のいい日は温玉ぶっかけと言える。

・天ぷらは選ぶ時間に少し余裕がある。今回はかきあげ。うどん屋のかき揚げをメチャクチャにデカくすることはなにかで決まったのだろうか。普通サイズがいいのにな。

・SUSURU!

・丸亀のうどんの味なんて今更語ることはない。もう丸亀の話は全部インターネットにネタバレされているので。

・明日も旅だ。なんの準備もしてないな。起きたらでいっか。

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