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読書感想【承久の乱 日本史のターニングポイント】


本郷和人:著


 この本は、承久の乱とはなんだったのかを前後の出来事を通して見ていく内容になっています。
鎌倉幕府とはなんなのか、ということから語られていますね。
この本は「鎌倉殿の13人」より前に書かれたんですね。
2019年ですから結構前の本です。

 鎌倉幕府とは、簡単に言ってしまうと頼朝とその仲間たちによる政権だと本郷先生は言っています。
当時、幕府という言葉はなかった。
だから、頼朝と御家人たちが御恩奉公で結びついてできた安全保証体制それが鎌倉幕府。
また、頼朝たちは朝廷の干渉を許さない武士の武士による武士のための政権を目指した。

 幕府とは、後の世に作られた言葉で、頼朝と仲間たちによる安全保障体制とも言うべきものだったんですね。
鎌倉幕府のイメージがガラリと変わってしまいました。

 承久の乱の原因は、後鳥羽上皇と北条義時の考えの差
後鳥羽上皇は、かつてのように朝廷が中心の社会を築こうと考えていた。
しかし、義時は在地領主のための在地領主の政権を関東に築こうと考えていた。
そのため、両者はぶつかることのなったのだと。
後鳥羽上皇も実朝を懐柔して鎌倉幕府を籠絡しようと考えていたのですが、その実朝が暗殺されてしまい、態度を硬化させます。
そして、義時追討を掲げて承久の乱を起こした。

 後鳥羽上皇と北条義時の考えの差が承久の乱につながった。
朝廷中心の社会を築こうとした、後鳥羽上皇という存在が承久の乱の原因ともいえるでしょう。
後鳥羽上皇のような考えをもった人がでてこなければ、承久の乱は起きず、武士の世はなかった、のでしょうか?

 承久の乱は義時の勝利で終わります。
勝因は、後鳥羽上皇が上から目線で御家人を見ていて、完全に兵を掌握できたかったこと。
承久の乱の結果、朝廷は武力を失い、裁定といったサービスを行なう機関になってしまった。
それまで、人々が偉いから偉いと思っていた権威も失墜してしまうことに。
僧兵が繰り出してきたときには、六波羅探題を頼るしかなくなります。
今の日本のような状況におかれてしまったのです。
そして、鎌倉幕府は泰時が御成敗式目を制定して、法による統治を目指します。

 承久の乱によって武士の社会が到来することになり、日本史の大きなターニングポイントだと言えるでしょう。
本郷先生もそのようなことを言っていました。
もし、承久の乱が起きなかったり、後鳥羽上皇が勝っていたりしたら、その後の歴史はまったく違ったものになっていたでしょうね。
武士の世ではなく、もし朝廷の世になっていたら、今の日本はどういう姿になっていたのかな。

 本郷先生は、承久の乱の本質は在地領主vs朝廷支配だと言っています。
先にも書いたように、義時と後鳥羽上皇の考えの差が戦いにつながったのだと。
日本史のターニングポイント承久の乱、もっと注目されていい出来事だと思いました。

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