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歴史探偵 「藤原氏と平城京」

 今回は、平安時代に権力の絶頂を極めその後も千年以上生き残った一族「藤原氏」についての調査。

 まず、藤原氏の権力繁栄の祖は中臣鎌足の子である「藤原不比等」によって。
不比等は「平城京」にでっぱりを作って、藤原氏の寺である「興福寺」を建立。
交差点で下から見えるようにし、自らの権力を誇示した。
そして、自らの孫である皇太子の隣に自分の屋敷を作って、いいように養育した。
こうして藤原氏は権力を握っていったそう。
このころから、天皇の后を自分の娘にして摂関政治みたいなことやってたんだ。

 そして、藤原氏のライバルとして台頭してきたのが「橘氏」。
代表的なのが聖武天皇の側近だった「橘諸兄」ですね。
不比等の孫である「藤原仲麻呂」は橘氏の権勢を削ぐため手を打った。
まず、橘氏の地盤である山城国と都を結ぶ道に関所を作って、物資が届かないようにした。
反発した橘氏は挙兵するものの、関所を抜けることができず。
追い詰められた橘氏はクーデターを画策するものの、仲麻呂に事前に察知され処罰されます。
こうして、ライバル橘氏を葬り去った仲麻呂でした。
この番組にはでてこなかったけど、他にも卑劣な藤原氏の他氏排斥がありますよね。
「阿衡の紛議」とか「応天門の変」とか。

 時代は平安時代後期になって、「藤原頼長」という人は春日詣を熱心におこなっていた。
春日大社は藤原氏の氏神が祭られている神社。ここに詣て神宝を奉納し、自らは神に認められた存在だということを誇示していた。
神社詣も権力誇示に利用していた藤原氏でした。
近田探偵が当時の貴族の装束を着て春日詣を再現してくれました、お疲れ様です。

 藤原氏はなぜ千年以上も権力を握ることができたのか。
河合先生が言うには、「武力をもたなかったから」。
武力をもたなかったからこそ、策略を使って生き延びることができたのではないか、と。
それにしても、千年以上も生き延びるなんて藤原氏はすごい一族ですね。

 肝心の道長の話がでてこなかったのが残念かな。
平安時代におこなわれた摂関政治の話とか説明してほしかったのですが。
時間の都合でできなかった、とか?
それでも、興味深い内容でした。

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