見出し画像

三大欲求を押さえれば子育てうまくいく節、実験中。

子育てが得意とか私って子育てに向いている、なんて人っているのかしら?

特技:子育て

見たことも会ったこともないけど?

「あの人っていい親だなぁ〜」という人たちは周りに多いけれど、きっと当の本人だって悩みがないわけでもないし、得意だから、向いてるからそれをしているってことではないと思うのよね。

もちろん例外なく私も。
元から誰かに何かをしてあげるのが好きなわけでも、ましてやいわゆる子ども好きからもかけ離れてしまっている。

そんな私が編み出した子育て必勝法。(知らんけど)
その名も三大欲求を押さえれば子育てうまくいく節。

子どもの三大欲求を満たすことを求めていくうちに自分のライフワークや仕事とも、道が合流していることに最近気づいたんです。

一旦これらのことまとめてみようかと思います。

あれから6年が経ちました。最初の壁は「睡眠欲」

長男出産から今日で丸6年。
当時は地図も持たされず、言語もわからぬ新しい星に放り込まれたような感覚でした。

毎日、夜がくるのが怖かった

やってくる睡眠不足の毎日。
数ヶ月も経つとガチの夜泣きに悩まされ、当時出会ったママ友と「眠れないって本当に拷問として存在する手法を今私たちは受けてるってことだよね」とお互いを慰め合ったのが忘れられません。

その頃、まだ情報としては乏しかったものの、運良く乳幼児の睡眠について学ぶ機会を得た私は言葉通り藁にもすがる勢いで残された力を費やしました。
そこからはあら不思議。魔法にかけられたように生活が変わったのよ。

長男は劇的によく眠るようになり、起きている時はご機嫌で過ごせるようになり、同時に私も拷問から解放され家族は笑顔にあふれ幸せに暮らしましたとさ。

めでたしめでたし。

シンプルがゆえ奥深い。情報迷子になりがちな「食欲」

さて、三大欲求って私が認識してた欲求であってたっけな?と思って調べてみたところ、あってました。(ほっ)

食欲・性欲・睡眠欲

この三つのことを指し、人が生きていく上で必須の欲求とのこと。
では欲求ってなんだろう?

漢字の通り「欲しがり求めること」なんだろう。
イメージとしては本能に直結した強い願い、みたいなところかしらね。

睡眠が落ち着いてしばらく経つと、長男の離乳食が始まりました。

そこでまた迷子になる私。
本当に安心できる安全な食事ってなんだろう?

常にアップデートが必要だけど、基本はこのソース(情報源)に頼ろうという指針がようやくできてきた

もともと割と健康オタク気味で人体実験的に自分の体を使って色々と試すのが好きだったんだけど、さすがに子ども相手に不確実なことはできるまいと思うじゃないですか。

「ベスト」な手段を一発目から選んでいかねばならない。
なぜだか親、特に母親ってそう思いがち。特に赤ちゃんの時ってよりコミットしがち。

ルーキーな私ももちろん沼りましたよ?
必死で今もなお情報をアップデートしている身なんだけども。

当時は長男の食物アレルギーもあってかなり気を遣っていた。
お菓子や外食もめっちゃ気を遣ってた。

なぜならその頃から薄々と感づいていたから。
三大欲求を満たすことの偉大さに。

きっと親ができることって少ないしシンプル

というより、むしろ子育てをしていく中でだんだんと私の中に仮説ができてきたのよね。

いくら有意義な(と親が感じる)経験や環境を提供したとしてもそれが幸せへの近道だとは限らんよね?
ましてや(親が信じる)幸せを最短で手に入れたからといってそれが子どもにとって幸福かどうかもわからんよね?

性格とか環境とか年齢とか時代だとか、不確定要素がありすぎるこの状況で他人の幸福のためのレールづくりなんて無理ゲーなんではないか。
全ては親のエゴなのではないか。すべては結果論なのだから。

面倒なことが苦手でズボラな私は、こうなった時にはこう、こうするためにはこう、みたいな思考も本当に苦手で。
結局、「今幸せなのかどうか」ってところを第一にフォーカスするのが楽なのでは?と考えることにしました。

繰り返しになるけど、子どもが今幸せかどうかっていうのも所詮他人のことなのでわからない。
なのである時から今「私」は幸せなのか?と俯瞰した目線でものを考えることにしたんです。

そうすると、親としてできることはシンプルに三大欲求を満たしてあげることしかないのではという仮説に至ったわけなんですけれど。

後回しにしていた第3の欲求、「性欲」

睡眠、食事と通ってきて最強のガイドを得たような気分になり、三大欲求ってやっぱり根幹だわ!と鼻息を荒くしていた私だったけど3つ目の欲求に関しては、ふと「はて、性欲な・・・」と思考停止に近い状態でした。

途方にくれたのは子どもが男の子だってこと。
我らママは、おちんちんのことなんて全くわかりませんよ?

さらにいうと性欲が身近になるのはもっと成長が進んでからなんだろう、と都合よく考えて後回しにしていました。

考えを改めさせてくれた2人の女性の存在

お産を手伝ってくれた助産師さんがそのうちの1人目。
次男出産(また男…!)は助産院で立ち会い出産ができたのもあって、長男は私の股から自分の弟が出てくるところを目の当たりにしました。

その助産師さんは遠方から一家で引っ越してきたばかりで、地元では性教育の普及活動もしていたとのこと。
今回の長男の立ち合いは性教育の入り口としてものすごくいい経験だったと思うよ、とおっしゃってくれました。

そして、子どもと一緒に学べる性教育の絵本を教えてくれたんです。

なんとなくピンと来た私は、退院もままならないうちに購入。
その後は他の絵本と同じように本棚にならべ、寝かしつけ前の絵本タイムに読み聞かせをしていました。

性教育はエロじゃない

ところでちょっと話は逸れますが、性教育ってちょっとエッチな話をするイメージめっちゃありませんか?
私はそうでした。

それは私自身が受けてきた性教育(のちにそれはかなりリベラルで限られた時代の教育だったと知るんだけど。これはまた別の機会に。)は性行為をすると、こういうことがあるよ、こういうことに気をつけてね、といった予期せぬ妊娠や病気から身を守る術に近いもので性行為と直結するポジションのものだったから。

話を戻しますが、前述の助産師さんからの教えがあって、もしやこれって小さい子どもにとっても大切なことなのでは?というゲートが開かれ始めたときに出会ったのが2人目の女性。

彼女は保健師として、学校に性教育の授業をしに行っている女性でした。

当時、私と夫で開発していた布ナプキンショーツのブランド立ち上げのためのクラファンを準備していたのですが、この活動に興味をお持ちいただきお話する機会をもらいました。

そこで彼女の提供する性教育講座を受けさせてもらい価値観が一変。

  • 性教育は自分自身の体や心を大切にすることを教えてあげられる教育

  • 自分を大切にできる子は相手も大切にできる

  • 性教育は人権

  • 話を素直に聞いてくれる幼少期からの教育が大事

ダバダバ舞い込んでくるインパクトの連続で私は聞き入りました。
さらには学校教育では一元化されていなく、家庭単位でかなり教育格差が出てしまい問題になっている、ということも知ることになりました。

三大欲求の3つ目は心欲だった

私が探し求めていた答えに出会ったような気がしました。

三大欲求のうち、後回しにしていた性欲が「心の健やかさ」を示すものだとしたら?
やっぱり三大欲求って子育ての指針としては偉大なのではないだろうか?

かつての人が「これって人間にとって絶対必要だよね」って定義づけた理由がわかる気がしたんです。

幼少期からの方が話を受け入れやすい、というアドバイスもあり、特に長男(この頃2歳半)は出産の瞬間を見ているというのも後押ししてその後は彼女が書いた性教育の本も追加で本棚に並ぶようになりました。

実際読んで見てもらうとわかる通り、受精卵がどうやったらできるのかということもしっかり絵で描かれていて言葉でも説明もされてて、慣れないうちはドギマギしてしまうかもしれなんだけど「冷静に、淡々と」とアドバイス通りに読み聞かせたところ、他の絵本と同じようにひとつのお話として子どもたちは受け取ってくれてこっちが拍子抜けしたことを鮮明に覚えています。

心の健やかさって言ったって奥深すぎる。
いくらでも工数がかけられそうなのに数値化は難しいし。

でも例えば「性教育」に注目してみるってのはどうだろう?それにはまず親である私自身の価値観のアップデートが必須だな…といった新たな仮説が私の中で浮上したんです。

第三の欲求を満たすためには性教育も一つの指針にしていけばいいのかもしれない、と改めて確信したできごとがこの時期にありました。

数年後の思春期に母と息子たちの関係にどう影響を与えるのか楽しみにしながら。
これもまたタイムカプセルの形をした実験のひとつかもしれません。

気づいたら私も足突っ込んでたことにびっくりした話で締めくくる

同時期に開発していた布ナプキンショーツ。
KAANEのミッションは「娘や姪の世代に生理は苦痛という概念を継承しない」と掲げています。

三大欲求の「性欲」が心の健やかさで、性教育の重要性につながっていて…なんてアイデアに出会う前に決めていたミッションでした。

そうか、私の「三大欲求を押さえれば子育てうまくいく節」はKAANEだけじゃなくて私自身のミッションにつながっているのかもしれない、とストンと腑に落ちてしまったんです。

仕事も子育ても、人生というステージでこの実験を信じ続けてみようという確信と、運が良ければ社会貢献すらすることができるかもしれないというワクワクとした感情も湧き上がってきました。

子育てがうまくいくって定義もはっきり言ってよくわからんのですが。
ひとつ思うこととしては、

うまくいくから、自分のことにフォーカスできる
自分のことにフォーカスできるから、周りもうまくいく

とも言えるかもしれないなとも思います。
楽できる、とも言い換えられるのかも。

私はやっぱり自分のことに一生懸命になりたい。
子育ては出来る限り楽したいしね。笑

それを追求したら周りもうまくいく、なんて最高じゃないですか。

これからまだまだ続く子育て。
きっとあっという間なんだろうけど、過ぎてきた時間をいつか振り返った時に「三大欲求のあの説、結局かなり有力節だったかもね」とこれを読んだあなたと話せる時がくるのを楽しみに実験を続けてみようと思います。

あっぱれ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?