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若者らしさってなんだ。【インドア目線】

昨日は成人の日でした。

新成人の皆様、おめでとうございます(*´-`

93年生まれ、今年で25歳になる僕は、
彼らからしたら、「若い」とはいえない身分です。

ご縁があって、大学の後輩たちと話すこともあるのですが、

まだお酒も飲めない人もいるわけで、


歳が4~5個も離れていると、

こちら側から工夫して話さない限り、

何も考えずに話題が合う、気が合う…という娘とにはなりません。


たとえば小さい頃見たテレビ、
流行ったゲームの話になると、

5年も差があると、小さいようで大きい
「ジェネレーションギャップ」になります。


(こうやって書いていると、なんだか自分の歳を実感して怖くなってきた…)

さて、僕も彼らくらいの歳の時に、


まちなかの貸しギャラリーを会場にして、


大学のサークルで展覧会をしたことがありました。
こちらを参照)

自分達でギャラリーの方や協賛者様に
ご挨拶に行くのはもちろん、

飲み会の監事すらやったことのなかった自分が、
施設を借りたり、やり取りをしたり、
設営や来客対応を自分達学生だけでするのも、

ドキドキな体験でした。

部が長年お世話になっていたギャラリーのオーナーさんは、

僕たち学生も含めた若い方を応援されている方で、


ギャラリーの利用料に関しても、
学割を利かせてくださったり、展覧会終了後にも、時間をとってフィードバック機会をくださっていました。

展覧会当日になり、

来場された方々は、
大学の友達を除けば、基本的に地域の方、


僕らにとって普段会わない、
「はじめまして」の方々です。


やること、会う人、
全てが未体験のことだらけ。

わからないながらも、


当時は
これも20歳にむけて頑張るためのひとつだぞ~と
モチベーションを絞りだし、

自分の出展作品も、ポジティブなテーマの絵を新作として出しました。

準備においても制作においても、

その時の僕の、100%をやりきりました。

…ところが、
展覧会の来場者アンケートを見ると、

僕なりに、気になる文字が。

「若者らしさがない」

「若者らしく、もっと自由にやればいいのに」

…???

当時20歳の僕は、
「若くない」というのでしょうか?

ハジけてないというのでしょうか?

そもそも、
93年生まれなのにDEENが好きな自分が、

若者らしさというワードなどとは
無縁な話だったのでしょうか…

展覧会が終わっても、

次の年度に後輩たちのサポート役に立っても、

この疑問はずーっと頭の隅に残りました…。

●若者が初めて「若者らしさ」について考えた

1年の時のこの展覧会で、
地域の方の声を近い距離で聞くまで、

僕の身近な話し相手といえば、
大学の学科やサークルの仲間がほとんどでした。

あの展覧会を通じて、親世代、

あるいはもっと上の、
相対的に「若くない」方々の生の意見を聞いて、


はじめて自分は
若者」であることを実感したのです。

若いんだから頑張って」と言われても、

そもそも自分がそういう立場だなんて、


恥ずかしながら、真面目に考えるキッカケが、

これといってなかったのです。

展覧会が終わったあとの反省会でも、


部員で集まり、


「若者」だけで「若さ」について話し合っても、
何の答えも出ず、

結局スルーしてしてしまいました。

●『若さ』?『若者らしさ』?

2年生になり、季節が一周し、
1年下の後輩のサポート役になりました。

(秋から部長にもなったので、部自体の責任者でもありました)

後輩と一緒に
展覧会を作り上げる楽しみを感じる裏で、

展覧会にむけて作品を作っている時は、

焦るように、答えのわからないままの、


あの
「若者らしさ」という言葉に


なにか無理矢理、
先が見えない相手に向けて近づけようとしている自分がいました。

自分のやりたい作品を作っているはずなのに、

「若者らしく…」

あの言葉が、しきりにフラッシュバックしてきて、

作品や自分のハートそのものが
縛り付けられそうな気分になりました。

今作っている作品が、
今の自分だから描ける、能動的な絵になってるのか、

それとも誰かに指示されるまま描いた、

人の目ばかり気にした
主体性のない作品」になってしまうのか…

自分でも、何をしてるか、よく分からない…

制作時の、
気持ちのコントロールが難しい時期でした。

2年目の展覧会当日になり、

気心知れた友達や、
美術部での僕をあまり見てもらったことのない方に、

作品や展覧会全体を見てもらいました。

やった!

ところが、
別の方が残していったアンケートに

またあの文字が…

「もっと若者らしく」

僕は、たしかに去年より大きいサイズの作品に挑みました、

ところがそれは、どうも
「若い」とは関係ないみたい…

おもいっきり自分の好きな、
抽象的なテーマの作品を出してみました。

ところがそれも「若者らしさ」とは
イコールにはならなかったようでした…

もう、負のループに、陥りそうでした。

1年時の1月頃に制作「Keep On Dreaming!」

僕は、美術部での悩み事や、


ギャラリー巡りだけでは腑に落ちなかった
日頃の疑問は、

美術部以外に掛け持ちしていた
サークルの人と出会ったり、

アート関係以外の大人と話せる催しに参加することでリフレッシュしていました。

機会がある毎に、
その大人の皆さんが考える

「若者らしさ」像に、聞き耳を立てていました。

そうやって、数をこなしていくうちに、

感じたことがありました。

人それぞれが考える「若者らしさ」「若さ」って

よく噛み砕いてみると、

解釈がひとりひとり違ったのです。

メチャクチャ元気のいい、
ワイワイ騒いでいる様子を

「若さ」「若者らしさ」と考える方もいれば、

騒ぐわけではなくとも従順素直な様子を

「若さ」と考える方もいました。

誰かの抱く「若さ」に応えようとしたって、

結局は別の誰かが抱く「若さ」に当てはまりません。

…それを感じてから、

僕は少なくとも創作活動においては、

「若者らしく」という声を、
気にしないようになりました。

●僕は「若くない」

「若者らしさ」の明確な答えなんて、どこかにあるようで、

実はどこにもないように感じました。

もしあるのだととしたら、
「その人らしさ」なのかなと今は思います。

少なくとも創作活動・自己表現において、

「その人らしさ」の感じられない作品ほど、
つまらないものはありません。

僕はギャラリー巡りを通じて、偶然ではありますが


上手さよりも「その人らしさ」と
向き合っている人たちと、

お話しする機会に恵まれました。

何か気を遣っていることがあると、

それが無意識的に、残酷に

良くも悪くも

自分の作品に現れてしまいます。

そういう活動を楽しんでいる、
僕の身近な後輩たちには、

少しでも、若者らしく…ではなく、

「彼ららしい」ものを作ってくれるよう、
願うばかりです。

時には、僕も矢面に立ったり、
大人からの声を彼らに通訳したり、


アフターフォローをしたりします。

地域の大人と、
顔を合わせる機会が少ない人にとって、

「大人の声」って、想像以上に、
重く響くんです。

特に、僕のような自己肯定感低めの人には、

(自業自得という言葉も聞こえてきそうですが)

尚更、響くんです…

今の後輩たちの作品展に、

「若者らしさ」像を抱いて、会場に来られる方も、

おられると思います。

是非、「若者らしさ」より、

「彼ら自身」を見に来ていただきたいと思います。

●年齢的な「若さ」について

そして、アートに限らなくとも、

今の後輩の学生たちは、

たとえ同じ大学の後輩といっても、

中学・高校時代の時点で、

ゆとり世代の僕よりも、
はるかに多くのものを積んで、同じ大学に来ています

年齢や学年が僕のほうが上だからといって、

それを言い訳に僕が彼らに上から教えたり、


彼らと対等に渡り合えるものは、


実は、もうすでに数えるほどしかないのかもしれません。

彼らを「配下につける」のではなく、

リスペクトしなくてはいけません。

それができなきゃ、
これから先、僕はいわゆる「老害」になります。

地域の中でこそ「若者」と呼ばれている僕は、比較的

好きなことをさせてもらっている
立場かもしれません。

でも、周りが思っているほど、

僕はもう、実質的に若くはないのだと言い聞かせて、
毎日を過ごしています…

読んでいただきありがとうございます。いただいたサポートは、鳥取のアートシーンで活動されている方々を応援する際に使わせていただきます。