声が出せないなりのコミュニケーション
幼稚園から小学校3年の終わり頃まで、家では問題なく話せるのに学校で同年代の子供と話せなかった私。
地元は、1クラス十数人しかおらず、上級生や下級生の顔と名前を覚えるのも苦労しないレベルの山奥のど田舎でした。そのため、上級生の男子児童からは家では喋るくせに学校で話さない変な奴として、怒鳴られたり馬鹿にされたりしていました。
一方で、上級生の女子生徒には私が学校で話せないのにも関わらず、それを責めずに優しく接してくれる人も何人かいました。私に何か言って来た人に、注意してくれる人もいました。
家に帰ると、家族と安心して話せるけど、学校だと体が固まって授業を受けるのに精一杯。授業中、朗読の時間や夏休みの自由研究の発表はなんとか出来たけど、雑談はもちろん出来ず、コミュニケーションは、Yesの時は首を縦に振り、Noの時は首を横に振ることで意思表示をしていました。
今にして思うのは、首を縦に振るか横に振るかだけではなく、紙とペンを使って短い言葉でも良いから自分の意思表示が出来たら良かったな、と思います。話せないほかに、上手く笑うことも出来ずにいたので当時の私の表情から何を考えているか、理解できた人は少なかったかもしれません。
私に優しくしてくれた人には、『ありがとう』の気持ちをもっと伝えたかったです。間違ったことをした時は、『ごめんなさい』を言いたかったです。
私に対して批判的な人にも、出来れば何か言い返してやりたかった。けど、怖くて何も言えず、『しゃべれよ』と脅されても、決して話せるようにはなりませんでした。
幼稚園や小学校3年頃までの私は、親や先生に、『私が話したくても体が思うように動かず声が出ない』ということを全く伝えることが出来ませんでした。病気なのか、違うのか、出口の見えないトンネルに迷い込んだ気持ちでした。
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