私達は過去に惑わされる

作家になることは”今”作家であることによって達成されると考える。「プロ」かどうかはまた別の話であるが、プロであることよりは自分に誓って作家であったほうがいいのではないかと考えたりもする。瞬間的な行為である。
今だけは全てを忘れなければならない。もちろん、いつだって生きていれば今。書いてあれないときも作家であることはできる。作家であると自分で自分に名を負う。いつだって詩霊とともにある。掲げる星がいつも自分に見えていればいい。

考えすぎて寝すぎてすっかり忘れて起きたときの幸福感と全能感たるや。

いつも過去と未来に惑わされまくっている自分です。これまでやってきたこと、これからどうやって食っていくのか。自分にとっているものといらないもの嗅ぎ分けて生きていくしかないのだが。その基準となることがいつもただしく自分でなければならないね。

言葉に任せて書くということをし始めた(上部引用内)。わたしじゃないものに語らせるということを覚えてみたいな。
そんで、わたしじゃないものが言いたいことをなるべくピュアに語らせることのできる語り方を身に着けることができるように。

ここでいっている「作家」って多分かなり根源的な意味での作家なんだと思う。何かを書く人という意味での作家。文筆家なのかもしれないけど。
それで何かを書いていなくても作家というのは良いね。わたしも今日から作家になろう。そうあることによってのみ作家であれるらしい。?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?