電波戦隊スイハンジャー#132

第七章 東京、笑って!きららホワイト

花言葉は復讐4

神楽坂上にある毘沙門天善国寺、通称「神楽坂の毘沙門さん」の神殿の両脇には狛犬ならぬ狛虎がにらみを利かせている。

9月24日夜11時過ぎ。一組の男女が毘沙門天の前を通り過ぎた。

女は秋草文様の黒留袖の裾を左手でつまんで吾妻下駄をからんころん、と鳴らして歩く粋な神楽坂芸者。

男は割烹着姿の板前見習い風の若者である。

女の名は小はる。30才の女ざかり。

ここ神楽坂で1番と呼ばれる人気芸者で今夜もいくつかお座敷をこなし、馴染みの料亭から自宅である置屋に帰る途中であった。

それにしても最後のお座敷は変わった客ばかりだった。お得意様のフランス人、マダムドメイヌの紹介とはいえ…

急に目の前がぐらぐらして下り坂で小はるはふらついた。

「だから姐さん飲み過ぎですって」

とその肩を支えるのは神楽坂の老舗「鮨ひぐち」のせがれで今は休業中のお笑い芸人、樋口謙太郎。

実は二人は自宅が目と鼻の先にあるご近所さん同士で、今夜みたいに小はるが深酔いした時にはお座敷から家まで送るのは、大体謙太郎の役割だった。

それにしても、と謙太郎は思う。今夜の姐さんはどこか変だ。

「ほらあと150メートル、姐さんしっかりして下さいよ」

ええ、と小はるは無理してをしゃんと顔を上げ、歩き出す。

やっぱり東京の芸者は意地と張りだ。京都の芸妓さんとは違った凛とした魅力がある。

と改めて神楽坂の女に尊敬の念を覚えた謙太郎はかばうようにすぐ彼女の後ろを付いて行く。

「謙ちゃんは最後のお客さん達見た?」といきなり小はるが聞いてきた。

「ええ…外国人3人と日本人が1人。一人はインド系みたいでしたね」

料亭からタクシーに乗り込む4人の客の中に知った顔の銀髪女性がいたので謙太郎は驚いた。

こないだ食レポに行った安宿の客が今夜はお座敷遊びをしているなんて、最近の外人観光客の行動パターンは読めねえな…

その女性は実はツクヨミで、今夜は帝釈天のおごりでお座敷遊びを楽しんでいたなんて、謙太郎の知るところではない。

「日本人のほうはチャラそうなロン毛の男でしたね。いい男だけど業界人みたいだった」

二人が神楽坂の横道から石畳の小路、芸者新道へ入るとそこに人気は無い。小はるは謙太郎の傍に寄って囁くように言った。

「私の男だったのよ。といっても二か月前に別れたんだけど」

こういう時は聞き役に徹するしかないと謙太郎は心得ていた。

「銀髪の胸の大きい方のフランス人が贔屓のお客さんでね、外人だけど芸事にはうるさ型のマダムなの。…まさかあの人の奥さんだったなんてねー」

「まさか…マダムは知ってて姐さんを座敷に呼んだんですか?」

しまった、ついうっかり聞いてしまった。

でもそれは本妻が元愛人の職場に来たって事だろ?一般人なら修羅場じゃねえか。

「多分知ってるとは思うんだけど、マダムはそぶりも見せなかったわ。私も顔色一つ出さなかった自信はある。
あの人は結構動揺してたけどね」

からころ、と石畳を踏む下駄の音がやけに大きく響いた。

「ちょうどこの小路で出会ったわ。悪酔いした観光客にからまれている所を助けてもらって、間もなく男女の仲になった。

相手の素性ほとんど聞かずに1年付き合った。本当に優しい男だった…二か月前に突然ね、
妻が帰国したから別れてくれ!って馬鹿正直に土下座された時気づいたの。

優しい男って、どの女にも優しいのよね…だから平気で浮気をするの。

私も遊びで付き合ってたからしょうがないんだけど」

小はるはゆっくり謙太郎を振り返ってくすっといたずらっぽく笑ってみせた。

「この話を聞いて男の人は、私が自棄《やけ》でお酒を飲み過ぎた、って考えるんでしょうね…
本当はその逆。マダムに久しぶりに会えたのが嬉しくてついつい飲んでしまったの。
彼とはたった一年。マダムとは5年以上の付き合いだしさ」

恋より女の友情か。女ってわかんねえ、同じ男と付き合ってながら仲良くできたり、ママ友と称しながら本当は嫌い合ってたり。

ただ一つ、男として分かるのはそのマダムの夫は女房と元愛人が愉しくお座敷で酒を酌み交わす間中、冷や汗かきまくっていただろうってこと。

「姐さん足元気を付けて」と下りの階段に差し掛かった時である。

うおっ、とかああっ、という悲鳴のような声を二人は聞いた。

夜中近くに悲鳴だなんて、喧嘩ごとか揉め事に違いない。

二人は息を詰めて路上で立ち止まった。

「結構近くだったですね…気味悪いからさっさと行きましょう」

ところがである。お酒の力で恐怖心が鈍った小はるが「行ってみましょうよ」と声のした路地の方向に駆け寄った。

「ひゃあっ!」と神楽坂一の芸者が悲鳴を上げて見たものは…


「まあここからは警察の人にも言ったことなんですけどね…外国人の若い男が二人、倒れてたんですよ。

一人は金髪、もう一人は赤毛でした。二人ともビルとビルの間に挟まるように折り重なってね。意識は無かったです。問題なのは」

とそこで言葉を切った謙太郎ははい、と自分のサインを書いた色紙をカウンター席の隣に座る七城正嗣に手渡した。

「うっわあ…ありがとうございますっ!オーディション番組の頃からファンだったんです」

感激しまくった正嗣は有難そうに色紙を持参のプラケースに保管すると、謙太郎の両手を包み込んで握手した。

テレビ出演し出してから3年。こんなに熱烈な自分のファンに久しぶりに会えて嬉しい謙太郎であった。

「あとで相方の汀の分も届けますんで」

「いや、でも汀さんはお忙しいんでしょ?」

「自分が休業してるせいで相方に仕事のしわ寄せ来てますからねー、今あいつは地方ロケで四国です」

神楽坂でアクシデントが起こった翌日の夜7時、根津の安宿バーグラン・クリュで謙太郎と正嗣はなんか和んだ雰囲気になっている。

「ちょっと無理に話を進めるようで悪いんだけど…」とマスターの悟が自ら淹れたブレンドコーヒーを謙太郎の前に置いた。

「『問題なのは』の次、聞かせてもらえないかな?」

「あ、すいません。話脱線してましたね…問題なのは、倒れていた二人の周りにケバい色の赤い錠剤、青い錠剤が散乱してたんです」

「それって市販も認可もされてないような?」

違法なカタカナ4文字が脳裏に浮かんで正嗣がこころもちのけ反った。

「十中八九ドラッグだろう、と警察の人言ってました。
最近脱法ハーブやドラッグの事件が多すぎるけど、神楽坂でも起こったかと思うと嫌んなりますね」

「先祖代々守って来たフィールドが汚される気がして?」

謙太郎は今の心境を正嗣にずばりと言い当てられた。不思議な人だ。

たった30分前に出会ったばかりなのに、なぜか俺はこの穏やかな雰囲気の目の細い教師に心を開いている。

この人はコアなファンしか知らないようなマニアックなネタまで褒めてくれたので…

つい、ゆうべ嫌な気分になった事件のことも、芸能活動休業の本当の理由も話してしまった。

相方の汀がいれば「喋り過ぎだろ!」と叱るかもしれない。

「そう、その通りなんです。俺たち地元っ子にとって神楽坂は特別なんだ」

ブレンドコーヒーを一口飲んで、謙太郎は思わず「うまい」と呟いた。

さっき謙太郎の味覚障害のことを聞かされた正嗣と悟は驚いて顔を見合わせた。

「味が分かるのか?」

「自分でも驚いてます。この前食レポに来たとき出されたコーヒー…マスターが淹れたコーヒーだけ味が分かるんです。
今朝起きて一番に思ったんです。ここに来てコーヒーを飲めば自分の病気のこととか、将来の不安とかとにかく何とかなるかもって。

あの…迷惑かけない程度に通ってきてもいいですか?」


「僕のコーヒー一杯が役に立つのなら構わない。但し、僕が不在の時もあるので電話で確認して欲しい」

と悟はメモ帳に店の電話番号を書いて仏頂面のまま謙太郎に渡した。

あの、嬉しい時は素直に笑っていいんですよ。と正嗣は悟の心を読んで小さくため息をついた。

「あー昨夜は気まずい酒だったぜ、お疲れちゃーん」

と裏口から本日の当直がカウンター席に入って来た瞬間、謙太郎が立ち上がって

「なんで小はるさんと浮気して一方的に捨てたクソ男がここの店員なんだ!?」

と小角を指さし激昂した。

小角はああん?と客に向かって喧嘩上等な目つきをした。

「あんた誰よ、小はるのなんなのさ?」

「黙れクソ男、東京は狭すぎるー!」

コーヒーのカフェインによる興奮作用かな?と悟は謙太郎の様子にかなりずれた解釈をした。

後記
男と女、騙し騙され 女と女、持ちつ持たれつ神楽坂

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