見出し画像

電波戦隊スイハンジャー#159 プライム•リリー1

第8章 Overjoyed、榎本葉子の旋律

プライム•リリー1

人間、誰にしも「運命の日」は突然やってくる。
 
榎本葉子が清水寺奥の院で消失した7時間前。
 
10月13日の朝9時、昨日新婚旅行から帰った赤垣沙智が湯布院みやげを紙袋に下げて実家の野上家を訪ねると、叔母も弟もこの時間キッチンで朝食を摂っている筈なのに両者とも不在なのに当惑した。
 
しょうがないな、と沙智はキッチンのテーブルに紙袋を置いて弟が朝必ずいそうな所、実家の敷地内にある道場へと縁側でつっかけサンダルを履いて向かうと、
 
やっぱりいた。と思ったと同時に、天井の梁に膝を引っかけ「468、469…470!」と道着姿でぶら下がり腹筋をしている弟の姿を見て、
 
あー…こいつなんかモヤモヤしてる時に本気過ぎる鍛錬するんだよなあ…
 
と実の姉なりに聡介が抱えている「何か」を察した。
 
「おーい、湯布院みやげ持って来たからねー」と声を掛けると聡介は
 
「ぐぐぐっ…よんひゃくななじゅういちっ!!」と叫びながら上体を起こした姿勢のまま、首だけねじってこっちを見た。
 
「あと29回やったら戻る。日持ちしないやつは冷蔵庫入れといて」
 
と言って畳に汗の滴を垂らしながら聡介は腹筋に戻った。
 
へいへい、と一旦キッチンに戻って再び道場に現れた沙智は白い道着に黒袴を穿いた合気道の稽古着姿であった。
 
「久しぶりに稽古つけてよ」

とへっへー、と沙智は新調した袴の「赤垣沙智」と縫い付けた新しい姓名の刺繍を弟に見せびらかした。
 
結局新婚気分振りまきたいだけかよ!

女って奴ぁパートナー捕まえるとチョモランマのてっぺんに登頂したみたいなドヤ顔しくさるんだよな。

後どう降りるかが女の才覚次第だと考えもせずに。
と聡介は結構イラッとしたが、女子力高そうな女に見えるが姉貴は実は合気道四段、相手に不足なし。
 
「…休憩してからでいい?」
 
と梁から飛び降りた聡介がタオルで顔と胸元の汗を拭いていると、すいませーん、と道場の入口から若者らしき声がした。
 
「あー、今日は稽古休みの日なんですけど」と沙智が若者の顔を見るなり…
 
口に手を当てて、三歩、後ろによろめいた。
 
「どうした姉ちゃん!?」と背後に回って姉の体を支える聡介も、
 
親父の亡霊なのか?と思ったくらいその銀髪銀目の若者は姉弟の父親、野上祥次郎に酷似していた。
 
「見学でも入門希望でもアリマ・セーン。そこの道場長に稽古をつけてやろうと思ってさ」
 
10月半ばにしてはまだ温かい陽光のもと、長袖のTシャツにジーンズというラフな格好をした若者は聡介と目が合うとにかり、と嗤った。
 
「あなた誰なの?まさか新たな異母兄弟?」と少しパニくっている姉に、
 
「兄弟じゃないけど血縁者だよ」と当然のように若者は答えた。
 
彼は持参のスポーツバッグを肩に担いで道場奥にある神棚に一礼すると、スニーカーを脱いできっちりと道場玄関の脇に揃えて置いて入って来た。
 
「チョーフルネームが長い霧島のヌシだよな?」
 
聡介の質問を無視し、沙智が見ているにも関わらず若者は服を脱いでボクサーショーツ一丁になり、ささっとスポーツバッグの中から道着と袴を取り出して姉弟と同じ格好に着替えた。
 
「サッちゃん、じょうを貸してくださるか?」
 
あ、はい…と言われるままに沙智は壁にかけてある杖を若者に渡した。
 
なんだろう?初対面なのに(どうして私の愛称知ってる?)とても懐かしい雰囲気のこの人は…
 
そして、彼が聡介に向かって片手に持った杖を正眼に構えると、全身に鳥肌が立つほどの闘気が若者から迸った。
 
阿蘇でじいちゃんの出生の秘密を知らされた時から、俺はこの日を待っていた気がする。
 
「来やがれ、ニニギ」
 
聡介は逆手に杖を構えながら、背筋がぞくぞくする程の愉しみが沸き上がって来るのを感じた。
 
待っていたぜ!俺より強い奴。
 
曽祖父の天孫ニニギと、曾孫聡介の高天原族同士の手合わせが始まろうとしている…
 
その日の正午近く
 
篳篥ひちりきと笙の音色が少し冷えて来た秋の上野の空に響き渡る。
 
篳篥が最後のサビを拭き終えた後、和琴の旋律がフェードアウトし、全ての楽器の音が止んだ。
 
藝大の邦楽課の学生たちで結成して雅楽ユニット「雅~miyabi~」が演奏するスティービー・ワンダーの名曲「overjoyed」を聴き終えた上野公園の通行人たちは皆、魔法で時を止められたように演奏に聴き入っていた。。
 
え?この反応はウケたの?ウケなかったの?
 
と龍笛から唇を外した小岩井きららは急にすごく不安になった、が一瞬後の歓声と投げ銭の嵐でこのライブが…
 
うまくいった!と龍笛を握り締めて実感した。
 
拍手をくれる観客たちの後ろの方でにっこり笑って手を叩く琢磨の姿だけが妙にはっきりときららの視界に映った。
「サークルのみんなと食事に行かなくて良かったの?」
 
と上野恩賜公園不忍池周りの空いたベンチを見つけて琢磨ときららが並んで座り、琢磨は買っておいたサンドイッチとペットボトルの紅茶をきららに「しょぼいギャラですいません」と言って渡した。
 
投げ銭の分け前を貰って上機嫌のきららは好物のパストラミサンドをかじり、冷たい紅茶でごくりと流し込んだ。
 
「いーんです。こうやって気を許した仲間と外で食事する方が性に合ってるんだ、って
先月やっと気づきましたから」
 
仲間、かあ…でも気を許してくれてるだけでも進展したかな?
 
「人生は思っているよりも短い。今を大事にしなければ」
 
サンドイッチをくわえたままきららが琢磨の横顔を見たが、その目からはいつもの無邪気さは消えていた。
 
「あ、七城先生のセリフだよ」と琢磨は笑ってごまかそうとしたが、どうしてもきららの前でこみ上げてくる感情を抑えることができなくなっていた。
 
「ねえきららさん、先月結社『オニ』の方々と会って勘付いているんでしょう?
 
僕は公務員のかたわら、今ここで言えないような後ろ暗い任務を受けて『日本の為にならない』と組織が判断した人物達を社会的に抹殺してきた。
 
中には君が名前を知っているお偉いさんもいる…先輩たちはプライベートと任務は割り切れ、と言っているけど、
 
結局は同じ忍者の血を引く者同士で結婚しているし。あ、僕の親父はお袋の正体を知らずに結婚した普通の男だけど。
 
でもね、僕なんかが恋をして幸せになってもいいのかなあ?と時々思うんだ。
 
今、僕は何をやっているんだ?って…」
 
そう言って琢磨は両手で顔を覆った。琢磨の表情は分からない。が。大きな秘密を抱え過ぎて潰れそうになっている琢磨の、ほんとうの顔を見た、ときららは思った。
 
きららは泣いた子を慰める母親のように、琢磨に覆いかぶさってしばらく抱きしめた。
 
こんなに密に異性に触れるのは初めてなのに、なぜかきららの方からそうした。
 
なんでこの時そうしたのだろうか?きららは数日経ってからその感情が哀れみだという事に気づいた。
 
故に、ホワイトのミサンガに搭載されている貞操保護機能、リビドーデストロイヤー、作動せず。

 
京都に来て侘びと寂に浸りたいのなら、旧嵯峨離宮こと大覚寺の東側にある望雲亭から大沢池を望むに限る。
 
と高天原族の元老、思惟は思っている。
 
「ここからの眺めは1200年前のあの頃と変わっていませんわね」
 
望雲亭の茶室で椅子に座って亭主が客をもてなす裏千家の立礼式《りゅうれいしき》の茶会の接待を受け、
 
「結構なお点前でございました」と茶碗の淵を拭った指を丁寧に懐紙で拭ったのは、
 
出雲での宴会に3日で飽きて大覚寺に住まう旧友に会いに来たツクヨミ王子と、助手の思惟である。
 
「お見事な黒楽茶碗ですこと。お茶の緑が映えますわ」
 
と作法どおりに亭主に賛辞を述べたツクヨミは、年の頃三十五、六くらいの白目が青みがかった、上品な顔立ちをした亭主から
 
「いえいえ、ツクヨミ王女こそわざわざ京まで足をお運びいただいてご苦労様です」
 
と労いの言葉を戴いた。
 
「いたみいります」主人になり代わって思惟がゆったりと頭を下げて畏まった。
 
亭主の黒い羽織の両脇には、五七の桐の紋が白く染め抜かれている。
 
茶席の亭主はこの大覚寺の真のあるじ、嵯峨上皇。諱を神野という。
 
かつてかぐや姫として地上の偵察に来たツクヨミに恋焦がれ、振られた男の一人であった。が、
 
「お友達としてなら私の知的好奇心を満足させてくれる男」
 
として今でも神無月の宴の後にはかならずこうして嵯峨上皇の離宮であった大覚寺を訪れ、数日間逗留する。
 
ツクヨミと嵯峨上皇の仲は今では性別や種族を越えた友誼で結ばれていた。
 
「京都も近年では観光客が多すぎてわびさび雅もへったくれもありません。昔は別荘地であった宇治や、京のはずれのここにまで客が押し寄せてくる有り様」
 
嵯峨上皇は取り出した扇でぴしゃん、と自分のこめかみをお茶目に叩いて見せた。
 
「まあ世界観光都市の京都だから仕方のないことだけれどね…京の人って大勢の人接待してよく疲れないわね」
 
「はんなりとした障壁を作って自分を守ってなきゃやってらんないんですよ、王女。
私だって生前は色々…まあ話すのは野暮だからやめときますけどね」
 
と亭主と客が同時に黙りこくって三沢池の方に目をやったの午後四時前のことである。
突然、思惟の脳内電話が「763(ナムサン)コール」をキャッチした。
 
「はい、あなたの緊急事態に対処する、オペレーターわたくし思惟と申します」
 
「あの…携帯も持っていないのに思惟どのは誰と会話しておられるので?」
 
と急にオペレーター喋りになった思惟を思いっきり怪訝な顔をして見た上皇に
 
「馬鹿ね、思惟自体が私が作った人型有機端末なのよ。人体の細胞全てに手心を加えてコンピューター化した、と言った方が平安人には解りやすいかしら?」
 
「平安人って呼ばれるのはのほほんと生きて来たおバカさんみたいでストレートに傷つきます」
 
と上皇は本気で傷ついた表情をしてみせた。
 
「はいはい、苦労して働いてきたあなたには謝ります。けど、中期以降の平安貴族って皆そうじゃない?
光源氏なんて性衝動キャラが主人公の小説が流行るくらいのほほんとした時代じゃないの」
 
「…あれ、私の息子たちがモデルなんですよね。父親の桐壺帝のモデルはまさか私?って未だに藤の(紫)式部に聞けない自分がいます」
 
「あー、一人の后をえこひいきするとこまさにあんただわ」
 
「はい、はい、成程、それは由々しき事態でございますね…わたくしから出向いて解決いたしましょう」
 
上皇とツクヨミのお喋りの最中に思惟はいきなり立ち上がり、薄衣を幾重にも纏った藍色の高天原族の民族衣装の袖がふわっと舞った。
 
「え?え?思惟、誰からのコールであんたが出張る程の異常事態って何よ?」
 
「音羽山の主、水龍神カヤ・ナルミさまからです。付いて来たいのならご自由に」
 
いつもは表情のない思惟の顔が主人を小馬鹿にするようにふふふ、と笑って勝手に茶室を出て行こうとする。
 
「あ、帝はかぐや姫を未だに諦めておりませんことよ。ご自分の貞操くらいご自分でお守りくださいませね」
 
と非常に不穏な台詞を残して思惟は姿を消した。
 
「音羽山って清水寺で何か非常事態が?」とわざと立ち上がろうとするツクヨミの手を、上皇の手が掴んだ。
 
「まあ、菓子のロールケーキでも召し上がってからにしませんか?ひ・め」
 
広げた扇の向こうから、かつての帝がちら、と秋波を送った。
 
し、思惟~…!!

後記
自分の◯◯くらい、と茨木のり子先生みたいな捨て台詞吐いて主を見捨てる思惟










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?