見出し画像

嵯峨野の月#126 頭の冬嗣

第6章 嵯峨野10

頭の冬嗣

藤原冬嗣が東大寺の別当に任ぜられたばかりの空海のもとを訪ねたのは大同五年(810年)の夏の終わり。

当時朝廷は即位間もない嵯峨帝の親政が始まったばかりだが、

平城上皇の寵姫、藤原薬子ふじわらのくすこが天皇の勅書を取りまとめる官僚の長である尚侍ないしのかみのままであるのをいいことに上皇の勅書を濫発して親政の邪魔をし、勅書の山を前に

帝と上皇、どちらのに従えばいいのか?と臣下たちが頭を抱える

二所朝廷、と呼ばれる政治の混乱の最中さなかにあった。

そこで嵯峨帝は自分の政策の機密が薬子に漏れぬため、まずは今上帝である自分の勅を優先させるために

蔵人所くらうどのところ 

という天皇直属の秘書室を新たに設け、その長官である蔵人頭くらうどのとうに最側近の冬嗣を任命したのだ。

そういう重職に就きながらも旧都の平城宮に出向し、平城上皇と尚侍藤原薬子の動向を探るという二つの役目を課せられ、常人なら心労で倒れるであろう役目を真の政敵平城上皇の前でも一切の隙を見せずむしろ涼しい顔で勤めた。

この時代、一人の身にいくつもの役職を課せられ日頃激務にある貴族が寺社に詣でる目的は、大体心身の休養と高僧への人生相談と決まっている。

「これはこれは、欠点なんかなーんもあらへんってお顔のとうの冬嗣どのが拙僧をお訪ねなさるとは一体何のお悩みごとで?」

とからかうような口調の空海に冬嗣はそんなにあからさまに言うなよ。と相手をちらりと見てから、

「私個人には落ち度はないつもりだ。が、藤原家は祖の不比等以来何人もの貴族が過ちを犯してきた」

と高祖父、不比等の四人の息子たちが興した藤原の分家同士が絶えず争い続け、国政を乱し何千もの命を奪ってきた罪業深い藤原家は、

いずれ報いを受けて滅亡するのではないか?

という懸念を自分が唯一こいつは本物だと認めたひじりである空海に初めて打ち明けたのだった。

最初はにこやかにうなずいて話を聞いていた空海がひと通り話を聞き終えると…

「では、冬嗣どのは藤原家の隆興の加持祈祷をわしに依頼したい、と」

とすうっと目を細めて相手の覚悟をうかがうように笑顔を消した。

これが命を懸けて神仏と向き合う空海阿闍梨の、本当の「顔」なのだ。冬嗣はこの時初めて空海に強烈な畏怖を覚えた。

でもそれが何だ。この怖さを乗り越えてでも、俺は藤家を守る。

「そういう事です阿闍梨」

真っ直ぐ相手の眼を見て答える冬嗣に帰ってきた答えは「では取り掛かりましょう」という一族の未来を懸けた依頼を軽い口調で引き受ける空海の快諾だった。

冬嗣自身も参加して本気で祈り続けた三日三晩の加持祈祷から十六年後の天長三年(826年)夏。


平安左京三条二坊にある左大臣藤原冬嗣の私邸、閑院邸の庭園では甘い音色の唐楽が響き渡り氷で冷やした酒が杯に注がれ、舌が蕩ける肌美味なな酒の肴が振舞われやれ唐玄宗皇帝が連日開いたという宮廷楽団、梨園の宴もかくや、と出席の貴人たちがもてはやす管楽の宴もたけなわ

日頃の政務の疲れを忘れて心から宴を愉しむ招待客の様子を満足げに眺めるのは宴の主催者でこの年五十一才の左大臣、藤原冬嗣。

彼は四月前に思い立って氏寺の興福寺に詣でた後病に倒れた。診察してくれた宮中医官の和気真菅わけのますがからは

「この病は長年の過労と老いからです。ご政務復帰どころか今年の夏を越えることもご無理かと」
と余命宣告をされた。

ならば思い残すことが無いようすべき事としたい事をする。

と心に決めて最初に行ったのが親類、友人、部下を招いたこの宴。三月前みつきまえ、親友の多治比妃高子と死別して気落ちし、実家に宿下がり中の妹で嵯峨上皇夫人の緒夏も久しぶりに笑顔になって源信みなもとのまことが吹く涼やかな笛の音に耳を傾けている…

妹が笑顔になってくれただけでも冬嗣は宴を開いて良かった、と思うのであった。

白衣のままで病床から半身起こし、御簾ごしに宴を眺める冬嗣に「殿…内裏からのご使者が」と告げるのは彼の正妻、藤原美都子ふじわらのみつこ

「左大臣どのに申し上げる」
蒼白な顔をした使者が告げる内容に冬嗣はみるみる顔を強張らせ、

御簾の向こうに控えていた長男長良と次男の良房に耳打ちした。は、と神妙な顔でうなずいた息子二人は直ちに庭に降り、

「皆様、お楽しみのところを申し訳ありませぬが大事のことを告げます」と長良ながよし

「先程、帝の一の親王さまが身まかられましたのでこの場を持って宴を中止致します。皆様直ちにお帰りになり喪に服されるよう」

と良房が日頃漢詩の詠唱で鍛えた声で宮中の大事を告げ、宴はお開きとなった。

天長三年五月一日(826年6月9日)、淳和帝第一皇子恒世親王薨去。
享年二十一才。

最愛の息子の早すぎる死に淳和帝は数珠を握ったまま食も睡眠もとらず、

「とにかく横におなりなさいませおほきみ!いくら頑張って読経しても恒世さまの御霊みたまは戻りませぬ」

と側近の藤原吉野が心配のあまり声を強めて叱咤する程憔悴していた。

「なあ吉野」
「はい」

「兄上皇の次に即位するのは血筋から言って朕ではなく恒世つねよの筈だったし、高岳廃太子の後兄が強引にこの子を東宮に連れて行こうとしたから朕が常世の代わりに…常世を守るために即位したつもりだった」

「はい…」
目を虚空に泳がせていた淳和帝は数珠を引きちぎり、
「なのに、なのにっ、幼い子(正道王)を遺して父より先に逝くだなんてどうしてだっ!恒世が居なくなったら朕は何のために即位したのだあっ!?」
と叫んで珠の散らばる床の上に伏して嘆いた。

「ご心痛お察し申し上げますがあなた様はこの国の天皇。御身を軽んずるご発言は看過できませぬ」

と声を低めて本気で主を叱る吉野に淳和帝は泣き濡れた顔を上げ、

はは…またしても「天皇として」だ。

天皇になればこの身は人には在らず。私心を脇に置いてただひたすら民国土の為に祈り続ける辛いだけの立場だから父が代わりに引き受けたのに。

思えば恒世、お前は今際の際に熱にうなされながらもこちらを向いて
「今まで好きに生きさせてくれてありがとうございました」と言ってから笑って逝ったな。

堂々と逝った息子に対して朕がこのように見苦しいさまを晒してはならぬな…

「あい分かった。春宮に譲位するまで朕は、泣かぬ。心配かけたな吉野」

気を取り直した淳和帝はそこで初めて乱れた御髪おぐしを直した。

「あと少しの辛抱でございますゆえどうか…どうか平に」

と畏まる吉野も堪えきれず涙を浮かべる。梅雨の入りを告げる雨が内裏の廊下を打ち付けた。

時は夏。命は露。君臣老ゆ。余は無常。


残り少ない余命を使い切るため冬嗣は正妻美都子はじめ側室たち子供たちへの相続手続きを全て済ませ、生きている間に会いたい人物全てを枕辺に呼んで伝えたい言葉を
伝えた。

まずは、義弟で政変の危機を共に乗り切った長年の盟友である藤原三守ふじわらのみもり

「…実は、式家の右大臣緒嗣どのがもうじき病で引退なさる。次の右大臣には三守、お前を推挙した」

そう言われて三守ははっと顔を上げて目を見開いた。

その面差しからははいつもの柔和さが消え、朝廷と次代の天皇である正良親王を守るために覚悟を決めた大臣に相応しい男の顔になっていた。

「長い付き合いでようやく正体を見せたな」

と枕頭で冬嗣が皮肉を言うと三守も
「帯刀を返上してまで引退を願い出た年寄りの我を死ぬまでこき使うつもりですね?」
と返す。

当たり前だ!と冬嗣は苦笑し、

「俺より九才も若いお前が御代替わりでさっさと楽隠居など、許さぬ。

帝は聡明な方だがお心は決して強くない。春宮さまも生来ご病弱でご即位まで健在であらせられるか…後を任せられるのはお前しかいない。頼む」

と初めて人前で弱気になって三守の手を握った。

かつてなく弱々しくなっている義兄の手の力に三守は、

「承知致しました。後顧の憂いはこの三守に任せられたし」

と両手で冬嗣の手を握り返し、そう宣言した。

これが藤原冬嗣と藤原三守、莫逆の友である二人の最後の会話となった。

次に呼んだのは、桓武帝皇子で今は参議の良岑安世よしみねやすよ

実は彼は冬嗣七才の時に半ば強引に後宮に召された母、百済永継くだらのながつぐが生んだ異父弟であり、彼が長じてから後見役として何かと面倒を見てきた。

さきの右大臣、内麻呂さまと兄上のお引き立てが無ければ今の私はありません…あの時私を蹴飛ばしてくれて本当に感謝しております」


身分低い母から生まれた皇子として宮中で粗略に扱われて育った安世は屈折し、元服後度々宮中から抜け出しては九条の博徒や侠客とつるんで遊ぶ不良少年となってしまった。

病の母に請われて初めて会うなり安世を蹴飛ばし、「親不孝者は大嫌いだ!」と一喝して更生させたのが兄の冬嗣だったのだ。

「共寝していた遊女の前で恥をかかされ、外に転がるまで強く蹴られてこの安世、目が醒めました」

そう言って照れくさそうに笑う安世の顔を見ながら冬嗣は、
父内麻呂と俺がこのお方を無条件で可愛がったのは…
お育ちに同情したから。何をやらせても優秀ゆえに才気走りすぎる青さが可愛いかったから。
しかし結局は、母永継生き写しのこの笑顔に父も俺もほだされてしまったのだ。と得心し、

「さらに気を引き締め、春宮さまの御身お守りいたしまするぞ」と自信を宿した眼できっぱり言った安世に冬嗣は「安世はもう大丈夫だな」と初めて弟を敬称抜きで呼んだ。

呼ばれた安世は「なんとまあ、四十老の我を子ども扱いして…」と言ったきり俯いて嗚咽し、冬嗣は無言で弟の肩を抱き寄せた。
兄弟は最初から母永継を通して強い絆で結ばれていたのだ。これ以上何を言うことがあるか。

安世が退出した後最後に左大臣冬嗣の枕辺に呼ばれたのは正妻美都子との間に生まれた長男の長良。北家の頭領として家督を相続する息子に冬嗣は、

「お前を呼んだのは頭領としての心得ともうひとつ、お前にだけ言い遺しておきたい秘事がある」

と告げ、決して頭領の君以外に伝えることを許さない遺言を長良に口述筆記させて厳重に封をし、

「いいか、くれぐれも信の置ける跡継ぎにだけ伝えるのだ」
と重ねて念を押した。

「は、この長良、必ずご遺言を守ります」と秘事の遺言状を懐深くしまった息子を前に、長良なら後事を全て託せる。

俺はもう伝えることは全て伝えきった、思い残すこと無し。

と思い定めると急に腕の力が抜けてがくり、と上体が落ちる。
「父上!」
長良が差し出す腕をやんわりと断った冬嗣は、
「…母を呼んできてくれぬか?」と人生の最後に触れたい相手に最愛の妻、藤原美都子を呼び寄せて彼女に上体を支えて貰った。

「しばらく二人で庭を見たい。御簾を巻き上げたら両親ふたおやを置いて出てゆけ」

言われたとおりにした長良が退出すると夫婦二人きりになった主寝殿の間から見渡す庭園は木々も、池も、芝生も、夏の光を受けて全てが生命力に満ちて輝いている。

妻の肩にもたれかかった夫は残る力で「美都子」と呼びかけ「はい」と美都子が答えると「済まぬが、庭の様子を語ってくれぬか?」と耳元で囁く。

ああ、もう殿はお目が。察した美都子はあふれそうなものを堪えながら、

「御池の水面がきらきらと光り輝いていて…あら、今殿お気に入りの白い鯉がこちらに向かって泳いできました。今年も松葉が青々と茂って。相変わらず都の夏は日がきついですわねえ」

と目に見えるものを事細かく説明してくれる妻の肩で夫は甘えるような顔で目を閉ざしている。

「あら、まだ蝉が鳴いています!松の木に珍しく鳥が止まっていますわ、よ、殿…」

既にこと切れている夫に向かって美都子は涙を溢れさせながらも説明を続けた。

天長三年七月二十四日(826年8月30日)

藤原冬嗣薨去、享年五十一。

最終官位左大臣正二位兼左近衛大将。

藤原北家を摂関家にしたのは次男の良房だが桓武、平城、嵯峨、淳和の四朝に仕え、その礎を築いたのは、間違いなく冬嗣である。

その冬嗣が死んだ。淳和帝、没後間もなく一位を贈り長年朝廷に誠実に使えてくれた臣に最大限の感謝を表した。

七日後に高野山に山籠もり中の空海にも冬嗣薨去の知らせが届き、本堂で彼の供養を行った後に、

「あの生真面目なとうどのがわしとの他愛もない約束をまさか遺言にしたためてなければええけど」

と呟き、それを聞いた真済しんぜいが「どういう事ですか?」と筆を舐めて帳面に書きつけようとする。が、

「いや、こっちの話」と空海はそれ以上何も言わなかった…


それから長い長い年月が経ち、高野山の麓天野の里に従者をたくさん連れた一人の出家した貴人が

「空海阿闍梨が眠る高野山に詣でたい、案内申し付ける!」

と里の者に無理を言って慣れない登山をし、杖に縋りついて這う這うの体で頂に辿り着くと、

「寺は全て廃墟で御廟跡も目印に槇が供えてあるだけ。何という事だ…このままでは隆興祈祷の御恩返せず我が家は滅びてしまう!疾く寺社全てを建て直すのだ!」と
ほとんど不可能なことを従者に言いつけるこの貴人に里長が「あなた様は何者なのですか?」と恐る恐る尋ねた。

「ああ、よく見るとお前目が青いな、渡来人の末裔か。我は行覚ぎょうかく。俗名、藤原道長と申す」

治安三年(1023年)、元摂政太政大臣藤原道長のこの高野山参詣をきっかけに金剛峰寺をはじめ全ての寺社が復興し、天皇や貴族の高野詣でが大流行し百八十年ぶりに忘れ去られていた真言宗に光が当たる事になる。


天長二年秋、高野山に戻る空海が冬嗣邸に挨拶に来た時、

「阿闍梨の祈祷のお陰で藤家間の争いは収まり、我も左大臣という職を賜ることが出来た。可能な限りの御礼がしたい。阿闍梨は何を欲する?申してみよ」

と冬嗣がこの場で空海に何も与えなかったら罰が当たる、という位平身低頭してしつこく訊ねたが空海は静かに、

「今は何もいりません、ただ」

「ただ?申してみよ」

「この国から真言宗が消えそうになったらまず高野山に参詣して寺を一つ建てて欲しいですな」

と冗談のつもりで言った空海との最後の会話を律儀が取り柄の冬嗣は正式な遺言として長良に託し、長良の直系五代子孫、道長が実行した百九十七年後に、

冬嗣は空海との約束を果たした。

後記
平安中期、廃れていた真言宗を復興させたのは意外にも藤原道長。












































































































































この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?