電波戦隊スイハンジャー#55


第4章・荒ぶる神、シルバー&ピンクの共闘

豊穣の女神1


紙吹雪の中で白無垢姿の娘が髪乱し、息も絶え絶えに羽根に見立てた袖を振らせるが次第にその力も弱まり上体を反らせ、息絶えた…


日舞「鷺娘」は、紺野蓮太郎の十八番おはこである。


春の発表会での蓮太郎の舞いをDVDで見た光彦はこれまでにない心の揺さぶりを覚えた。


なんて、なんて美しい世界なんだろう…。


喉かきむしりたい衝動にかられ、辛うじて押し留まる。


日舞、歌舞伎などの伝統芸能は光彦にとってはテレビの向こうの世界だった。


母方の祖父、織人おりとが毎週Eテレで「芸能花舞台」を見ているのを知っているし、光彦も一緒に何度か見た。


でも所詮、白塗りのおじさん達が演ずる伝統芝居。


役者さんたちは過剰に神妙にして「皆々様のお蔭です」と窮屈そうに頭下げ続け、一部の裕福なお客さん達が高いチケット代払って「よっ、成田屋!」とか、さも「通」でありますよ、とすまし顔。


国や金持ちだけ保護してりゃいいじゃん、と思っていたのだ。


それでも故中村勘三郎の芝居には心動かされるものがあった。


庶民の怒りや無念、生きていることの苦しさ楽しさを体全体で表現する「本当の芝居」を見せてくれる。庶民の側に降りてきてくれる役者さんだ、と祖父に話したら、


光彦、お前は『通』になれる素質がある。感性が鋭いのだ。


と強面の顔をほころばせて言った。多分褒めてくれたのだろう。しかしその後の織人の言葉が、光彦の胸中を複雑にさせた。


「感性が鋭すぎるのは、医者向きではない気がする。光彦、人生には選択肢が色々あるのだ。無理にここの病院を継ごうなんて思わないでいい、ゆっくり考えなさい」


「それは、繊細な人には辛い世界だってこと?」


そうだな、と織人はうなずいて寝る前のお白湯を茶碗で飲んだ。ごっつい両手。じいちゃんはこの手で何千人を治療してきたのだろうか。


「病と死がつねにある世界だ。よほど神経が太いか、麻痺するかでないと勤まらんよ。


野上の聡介坊に憧れているようだけど、ありゃ神経がどうかしている方だな。なつくのはいいが憧れるのなんかよせ」


聡介先生がどうかしている?


まあオッチーさんや空海さんに負わせた怪我の程度を見た限りではやり過ぎと言えなくもないが…


「鉄太郎おじさんがめちゃくちゃな育て方したからな。他の孫たちには甘いのに、あいつだけにはきつく当たった。ここだけの話だが…」


織人はリビングに他の家族が居ないことを確かめてから、不思議ばなしでも始めるように光彦に顔を寄せた。


相変わらず顔のでかいじいちゃんだな、と光彦は思う。老眼鏡の奥のぎょろっとした目がなぜか子供のようにきらきらしている。


「20年くらい前、にわかに格闘技ブームが起こってな。K-1かプライドとかいうものだが。体鍛えりゃ格闘家になって出世できるんじゃないか?と不良どもが夢を見たんだ。


そのため、時代おくれの『道場破り』をこの近所の、柳枝流道場でもやらかす不良がいてな…鉄太郎おじさんは表向きは他流試合を禁じているが」


「でもやっつけないと追い返せないよねえ?なめられるし」


そうだ、と織人はくっくっ、と思い出すように笑った。


「だから、その時は11才で、まだ白帯の聡介に道場破りの連中の『ケンカ』の相手をさせたんだ」


まさか!相手は10代後半から20代前半の大人たちだぜ。


「そりゃ白帯の小学生が出てきたらなめてんのか!ってなるわな。


鉄太郎おじさんがうちは他流試合は禁止なもので、代わりに孫を鍛えてくれないか、孫に勝ったら、わしが稽古をつけてやろう、とくる。


聡介は道場破りに最初にこう聞いたそうだ。


『これは試合ではなくケンカだよな?』と。


『ああ、そうだ』と相手が答えたら『じゃあ負けたら文句なしな』と言って、相手が飛びかかるのを待ったそうだ。立会人をしていた師範代の野村が言ってたよ、


『なんて恐ろしい笑顔をするガキだ。冷や汗が出た』って。

若い頃は県警の機動隊長やってた野村がな」


「で、結果は?」


信じられるか?と前置きして織人は話を続けた。


「15人、1年間で15人の腕っぷしのいい若者がだ、聡介に倒されてこの病院に担ぎ込まれて来た。数か所複雑骨折。筋肉が断裂したものも居た。


命に別状はないが、文字通り壊されたのだ。その内の1人はテレビで有名なK-1選手だったよ。


まさか11の子供に壊されたとは言えないから、交通事故と称して彼は引退した。


リハビリやれば復帰できる怪我だったが、彼は闘争心を叩き壊されたのだよ。それから柳枝流に手を出す者はいなくなった」


「それってひどい傷害事件なんじゃないの?」


「鉄太郎おじさんは聡介に全部合気道の技で倒させたし、まずは相手に仕掛けさせた。聡介の体に触れた瞬間、自分の力を利用されて投げ倒され、弾き飛ばされる。


古武道の用語で『嵌める』というらしい。


もし突っ込まれたら『自分は何もしてないのに、相手が勝手に転んだ』って言い訳も考えてたそうだ。まあ小5のガキに負けた、とは腕っぷし自慢のやつらも言えないし、いつも立会人だった野村師範代は県警の刑事だ。

なんとか揉み消す心づもりをしている。鉄太郎おじさんは老獪だったよ…いいか、光彦」


と織人はぴん、とぶっとい人差し指を光彦の眼前で立ててみせた。


「鉄太郎おじさんは普段は愛妻家で、子供たちにも甘い優しい近所のおじさんだった。

でも、武道に関しては鬼神の如く厳しい。

聡介は鉄太郎おじさんの血を色濃く引いている。

弱者には慈悲深い男だ。いい青年だと思う時もある。


だが、あいつの本性は阿修羅像そのものだ。1つの体に強い慈悲があり、修羅を飼っている


…おまえには平凡な、幸せな人生を歩んでほしい。聡介みたいな優秀な外科医を目指すのはいいんだ。


だが聡介の本性には…惹かれるな」



少し興奮して喋りすぎたのか、織人は急に眠たい様子を見せた。寝酒が過ぎた、と呟きながらくるり背中を見せた祖父は


「今の話は誰にも言うなよ」と忠告し、そのまま奥の寝室に行ってしまった。


思ってしまってもいいぜ、「人間じゃない」ってな。


と担任のマサに聡介は言ったそうだ。その時の聡介先生の表情が忘れられない、とも。


シルバーエンゼルとしての彼に出会った時からそうだった。確かに、真空波を操れるなんて人間業じゃない。


研究室で勝沼さんに怒りをぶつけた聡介先生は理不尽かもしれない、マサも生まれ付きテレパシー能力を持って「生徒の心の闇が辛い」と言っていたし、あの時も聡介先生の肩を持ったのはマサだけだった。


でも異端な者には彼らなりの、激しい孤独や怒りがあるのだ。それは凡人の何倍もの苦しみだろう。


光彦は研究室で上半身裸にされて怒る聡介の姿を、無理矢理肉体改造されて羊水の中から立ち上がって咆哮するミュータント、ウルヴァリンに重ねた。


DVDの画面は「鷺娘」からべつの演目、蓮太郎と蓮太郎の父である家元が、白拍子姿で巨大な鐘の周りを舞っている。白拍子二人と鐘の周りには小坊主さんたちが十数名いて、「やめてくれ!」とお願いしているようだ。


この舞いは、どうも物語の背景がわからないな…訊いてみようと光彦が画像を一時停止した時に、聡介と蓮太郎が八坂神社のお参りから帰って来た。



なんだか2人は、とても気まずそうだった。幼なじみだと聞いたがケンカでもしたのかな?


「お昼は近くの料亭から仕出ししてもらうから。本物の京料理よ」と蓮太郎が光彦に声をかけたが、テレビの画面を見て少しむっとした。


「蓮太郎さん、この演目はなに?」


「…二人道成寺」


抑えた声で蓮太郎は自室の座卓の前の座布団にどっか、と腰を下ろした。まったく、喜怒哀楽の激しいオネェ兄さんである。


「話の背景が分からないよ」


蓮太郎が無言でいるので聡介が説明した。


「安珍清姫伝説は知ってるか?お能の『道成寺』」


「知ってるよ、清姫って幼い娘が旅の途中で安珍っていう美形の坊さんに一目惚れして迫るんだ。でもそれからが無茶苦茶で、鐘と大蛇が出てくるってしか知らない」


そこまで知ってりゃ上等だよ、と聡介は話を続けた。


「僧である安珍にとっては迷惑な話だ。夜這いをかけてきた清姫に安珍は『また会いにくるから』とその場限りの嘘をついて逃げる」


「同じ男として当然そうすると思うよ」


「清姫は安珍を待つが、来ない。嘘をつかれたと気づいた清姫は怒り狂い、裸足で山中を掛ける。追いつくもまた、安珍は他人に変装したりして嘘をつき続ける。


清姫は怒髪天を衝き大蛇に変身して河を渡り、安珍をかくまう寺に追いつく。それが道成寺。


安珍はそこの鐘の中にかくまわれていた。哀れ、安珍は鐘ごと大蛇清姫に鐘ごと火を噴きかけられ、焼き殺されてしまいましてとさ、めでたしめでたし」


「めでたくなんかないわよ」


と話を聞いていた蓮太郎が呆れた。


「聡ちゃん声がいいから、ナレーションに聞き入ってしまったわよ。でも最後のオチは全然めでたくなんかないわよ!」


「えげつない話だなあ。安珍悪くないよね?坊さんだから女避けるのは当然の事で。同じ男として同情するよ…」


能や歌舞伎の題材にはえげつねえ話が多いよなあ…と光彦は思った。


「道成寺は仏教説話の一つでな。女性からむやみに恨みを買ってはいけない、という戒めの意味で伝わっているんだろう。その後大蛇清姫は我が行いを悔いて入水自殺し、安珍の霊と共に供養されて成仏したって後日談がある」


「なんだ、成仏したんだ。で、白拍子さんの舞いと何の関係があるの?」


「蓮太郎と家元が舞ってるのは歌舞伎の『京鹿子娘道成寺きょうかのこむすめどうじょうじ』。安珍清姫伝説の後日談だ、もし清姫が成仏していなかったら、っていうサイドストーリー。


昔から二次創作はあったんだなー。普通は白拍子花子がピンで舞うんだが、この『二人道成寺』はルーキーとベテラン、親と子供、実力が同等な者同士とかが二人で舞うんだが…」


「主人公が花子というのは分かったよ」


「ねえーその話は後にしない?」と蓮太郎が割って入り話を止めさせた。仕出しの弁当が来たのだ。


京野菜をふんだんに使ったあっさり味のお弁当は非常に美味しかったが、なぜ『娘道成寺』で蓮太郎が機嫌悪くなるのか、腑に落ちない。


蓮太郎が御不浄に立った隙に、聡介が光彦に教えてくれた。


「実は、蓮太郎は『白拍子花子だけは綺麗なだけの下手くそ!』と家元にどやされてるのさ」


えー?さっき見た「鷺娘」や「藤娘」は素人でも感動するくらいなのに。


「蓮太郎は小さい頃から美しいもの、綺麗なもの、清しいものばかりを好んで、汚いもの、醜いもの、破綻したものには蓋して見ない傾向があった。『そんなもの消えてなくなれ!』ってくらいにさ。


…精神的に潔癖症とも言える。それが、白拍子花子を演ずる上で、邪魔になっている」


何で?との光彦の問いに聡介が怪談話のオチでも話すようにわざと怖い顔をしてみせた。


「白拍子花子は、実は成仏していない清姫の怨霊だからさ。

一番美しいが、中身は執念でどろどろになった醜い心。蓮太郎には、それが分からないからだ。


花子は、歌舞伎でも日舞でも、難役中の難役。


芸の肥やし、ってゆーが、肥やしでも芸にする根性がないと…それが蓮太郎の壁なんだろう」


あ、と聡介は急に思い出したように勝沼に連絡しなきゃ!と慌ててiphoneを取り出した。


帰って来た蓮太郎が


「ごめんね、祇園で遊ぶ約束だったけど。今は観光シーズンだから舞妓ちゃん芸妓さんは予約一杯なのよ」と詫びた。


「悪いが光彦、野暮用が入ったんでお前は夕飯前に家に帰ってくれ」


えーっ、と光彦は不満いっぱいに抗議の声を上げた。


「舞妓はんー!!」


なんて事要求するガキだ、将来怖いな。と青年2人は思った。


「だめー!夜は大人の世界っ」


青年2人とガキ1の勝負は目に見えていた。昼の祇園を散策する、という条件つきで光彦の説得に成功した。


 「はいこちら、したまち@バッカーズです」


東京根津、安宿屋「したまち@バッカーズ」店員魚沼隆文は慣れてきた接客用の声で受話器を取った。


「え、野上先生?は、はあ…分かったべ」


なんだかな、と言った顔で電話を切った隆文に社長の勝沼悟が声を掛けた。


「野上先生が宿屋の直通にかけてくるなんて珍しいね、何て言ったの?」


隆文は聡介の口調を真似て伝言を口にした。


「今夜8時。隆文とオッチーさん夫婦連れて伏見稲荷大社に来やがれ」

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