嵯峨野の月#39 崩御と即位
第二章 遣唐
第四話 崩御と即位
甘く粉っぽい香りのする女の乳房の間で葛野麻呂は目覚めた。
む…と顔を上げて辺りを見回すと天蓋付きの寝台に絹の寝具。賓客に与えられた部屋の豪華な装飾を視界に認めて、
ああ、ここは唐の王城の中なんだな、と50歳ながらも引き締まった裸体を半身起こしてまず帽子を被り、それから衣を身に付け始めた。
徳宗皇帝のご厚意でここ長安城で美酒、美食、美女という太古の昔からある三大接待を受けて2か月近く。もう帰りたい、と思うくらい賓客ぐらしに倦んでいた。
我が傍で眠るこの芸妓もいい女だが、やはり肌は故国の女の方が良い。と思う葛野麻呂であった。正妻の広子(和気清麻呂の娘)や側室たちも良いが、とくに、薬子。
出航前の薬子との最後の逢瀬を、葛野麻呂は思い出した。
あの夜は外で強い雨が降り、薬子は背を反らせて激しく声を上げて達した。
同じ屋根の下で眠る薬子の子たちに聞こえやしないか?と葛野麻呂が心配するのを余韻で蕩けた声で薬子は言ったのだ。
「大丈夫でございます…子らは朝まで目ざめませんから」
「薬の調合が上手くなったようだな」
と葛野麻呂は薬子の顎を引き寄せて口を吸い合い、そのまま二合目に及んだ。
自らの快楽のために我が子に薬を盛るか。
春宮という高級な肉を食んでから明らかに薬子は変わった。それは情事の最中の昂ぶり方を肌で感じれば解る。
面白いぞ、薬子がそろそろ己が中に流れる藤原の血に目覚めつつあるのか?
夫の何倍も巧みな葛野麻呂の愛撫ですっかり躰をほぐした薬子はいよいよ交接、という時、葛野麻呂の上にまたがる形にさせられているのに気づいて「あれ!」と恥ずかしさで顔を覆った。
何を今更、と葛野麻呂は思うのだが
「ご病弱な安殿さまにはこの形がいいと思うぞ。男が疲れない。…それに、自ら動くと歓びが高まるぞ」と髪を掴んで薬子の顔を自分の目の前に近づけ、耳朶を優しく噛んでから囁いた。
葛野麻呂の動きに合わせて上下に揺すぶられ、立て続けに昇りくる快楽で頭の中で何かが弾け飛び、ついには自ら腰を揺すって相手と手を握り合い、天井に顔を向けて何十回も頂に達した。
「いいぞ!もっと昂れ薬子!」
私が手入れして咲かせてやった華よ、おのれの本性に目覚め、次代の帝の傍でもっと美しく咲くが良い…
薬子がもう、もう…とすすり泣いて昂ぶりきると同時に葛野麻呂も昇りつめ、精を放った。
これで終わりではないわ、絶対ご無事に帰っていらしてね…と言ってあの女は出て行く私を見送ったが、私よりも安殿の坊やのほうに心が傾いているのは体を重ねたら解る。
それでいいのだ、と帰国後の己が計画を思いめぐらせている内に、部屋の外で甲高い声で何かを告げ、廊下を走り回る宦官が通り過ぎた後で、
文官たちが一斉に大声を上げて泣き出す、という事態が起こった。さっきまで同衾していた芸妓が跳ね起きて呆然とした顔をしている。
何かただならぬことがあったに違いない。
葛野麻呂が隣室の通訳の男の所に行くと彼も芸妓とお楽しみだったらしく、慌てて衣服を整えて天蓋から飛び出して来た。
「皇帝陛下崩御、と告げているのです…」と通訳は青い顔をしていきなり床に伏して泣くふりをした。
「大使様、ここは私を真似してふりでもいいから悲しんで下さい。宦官が私たちをつぶさに観察している」
と言われるままに葛野麻呂も徳宗皇帝の突然の崩御に悲しむ振りをしてみせたが、
あんなにご壮健そうだった皇帝陛下が何故いきなり?
と頭の中は疑念で一杯であった。やがて、廊下の奥からきゃああっ…!と宮女の悲鳴が聞こえ、皇帝崩御を触れ回っている宦官を見つけると何か興奮して訴えていたが、
宦官は糸のように細い目をわずかに開いただけで何か低く脅すような口調で宮女に告げると、宮女は慌ててきた道を引き返してしまった。
「皇帝お気に入りの宮女が後追い自殺したようです」
「死因は?」
「高所から飛び降りたと」
嘘の涙を流しながら葛野麻呂と通訳は丸々と太った宦官の一挙手一投足をつぶさに観察した。
「一緒に寝た女が話してくれましてねえ…宮中を支配しているのは皇帝陛下でも王族でもなく、あの宦官という連中だと」
宦官。その原義は「神に仕える奴隷」、後宮に仕えるため、あるいは困窮した者が勤めにありつくため、あるいは宮刑(男性器を切り取る刑罰)に処された文官などがその任に着く去勢された官吏。
髭も無く艶々と太り、卑屈さの中に肥大した自我が垣間見える冷たい目をした者たち。
葛野麻呂は宮女の投身自殺にますますきな臭いものを感じた。
「なあ、首が繋がったままこの城から出るためにしばらく大人しくしておこう」
同感です。と通訳は肯いて目の前の宦官が去るまで嘘泣きを続けた。
遣唐大使はいつ何があってもおかしくないように晴れの日と忌事に着る服を両方用意している。
貞元21年1月23日(805年2月25日)、徳宗皇帝崩御、その3日後の徳宗の長男である順宗皇帝の即位に立ち会った大使は後にも先にも葛野麻呂しかいない。
仰々しくあるが、どこかあっさりとした帝位の移り変わりを見た葛野麻呂の胸中には一抹の虚しさと故国の桓武帝と皇太子安殿親王のいびつな親子関係への危惧があった。
長年の近親憎悪で最早修復不可能なお二人の間で滞りなく皇位継承が行われるであろうか?
そう思うと急に葛野麻呂は安殿の将来が心配になり、即位後の宴が終わると早々に、順宗皇帝に「務めを果たしたことを故国の主に報せ、安堵させとうございます」と退去を願い出て通訳と共に長安城を後にしたのだった。
城を出て、やっと目を光らせる役人が居ない所まで辿り着くと葛野麻呂と通訳は
「おい、私に首はあるか?」
「ありますとも!私にも首はありますか?」
と冗談を交わしてひとしきり笑い合っていたのだが、やがて無表情で黙り込んでから
「故国の宮中も闇だが、唐の宮中はもっと闇だったな」
とつぶやいた。全くでございます、と答えるように通訳も重々しく肯いた。
長安で学ぶ留学生たちは大使どの出立の宴に参加すること。
と半月以上前に所定の宿舎、西明寺に入っていた空海は使者からの文を受け取ると最後の一行、
前回の遣唐使から長安に住んでいる学生や僧、できるだけ多くの倭人を集めるのだ。
という文面に何か引っかかるものがあり、首をかしげていると在唐30年になる大先輩の僧、永忠に文をかっさらわれた。
「なになに…大使様を送る宴となれば大がかりになるだろう。わしみたいなもう唐人だか倭人だか分からない僧も招待してくださるのは有難いから行こう!」
と今年62になる永忠は可可、とほとんど歯の抜けた口を広げて笑いながら指定された日と刻限に空海を引っ張って長安入りして最初にあてがわれた宿舎、宣陽坊の広間に意気揚々と入った
なるほど広場には一の船、二の船に乗っていた留学生たち、前々回からの遣唐使で結構年老いた留学生たちが広間に集められていた。
「おい空海」とお気楽に声を掛けてきたのはやはり橘逸勢であった。
「逸勢さまの学び舎はいかがで?」
そこで逸勢はふふん、と得意そうに笑い「聞いて驚け、書の大家であらせられる柳宗元さまの弟子に認められたのだ!」と上気した顔で答えた。
ほう、柳宗元さまの!?と驚いた声を上げたのは空海の隣の席にいた霊仙で「逸勢さまは強い運をお持ちだ」とお世辞ではなく本気で褒め称えると、
よ、よせよ…と急に面映ゆくなり逸勢は赤くなって下を向いた。
やがて、宴の主役である遣唐大使、藤原葛野麻呂が入場すると留学生たちはひた、とお喋りをやめた。
(ちょっと空海)
と葛野麻呂が袖の下で手招きしたので空海は「は」と畏まりながら大使どのの傍に寄ると、
(ここは官舎ゆえ日の本の言葉が分かる唐人がいるかも解らぬ。これから私が話すことは極秘だ。聞き耳を立てる唐人を見つけてなんとか遠ざけてくれないか?)
神経質そうにこめかみを引きつらせる大使どのの表情を読み取った空海は、
これは、宴のふりした重要会議やな。と事の大事さを察した。
早速行動に移した空海は広間の近くに居る唐人にまず「もし」と日の本の言葉で話し掛け、
「はい?」言って振り返った唐人の首元にとん、と軽く手刀を入れて気絶させた。
結果、15人の唐人に声掛けし、その内3人がこの集まりに聞き耳を立てていた密偵だと解った。
いまのわしの一撃で一時(二時間)は起きぬであろう。
空海は気絶させた密偵たちの体を倉庫に寝かせて戸を閉め、あたかも作業中にうたた寝をしてた。と起きた時に思わせるよう書物や衣類を持たせる「細工」までした。
(3人の密偵には眠ってもらいました)と空海が報告すると葛野麻呂はあからさまにちっ!と音を立てて舌打ちし、今広場に集っている故国の民全員に聞こえる声で演説を始めた。
「いまここに集う日の本の留学生たちよ、宴の膳が案外質素で済まない」
と言うと会場でどっと笑いが起こる。
「この長安は先月崩御なされた徳宗皇帝の喪に服している。私も謁見の折ご尊顔を拝したが、覇気に満ちたお優しい方であったよ…突然のご崩御、私は不思議でならぬのだ。
新帝、順宗皇帝もご聡明そうな御方だったが、いつまでもつか…」
大使どのの話の内容がかなり不穏なので会場の留学生たちは急に不安になり、皆、一様に口をつぐんだ。
「特に今回の遣唐使たちよ、唐朝廷から支給された金子の少なさに驚いているのではないのかね?それが、この大唐帝国の現実だ」
とそこで葛野麻呂は懐から取り出した算盤(そろばん)を膝の上に置いて留学生一人一人に故国から持って来た留学費用を尋ねた。
「差支えの無いものから言え。長安での1日の食費は?宿舎の宿賃は?学舎に払う費用はいくらか?」
正直に言える者たちは「物価高で食い物の値が上がりました」「正規の学費だけではなく賄賂を役人に払わないと何事も通らぬのが現状です」と正直に金額を告げる。
なるほど、これが留学生たちの実情か…
とぱちぱち音を立てて算盤を弾きながら葛野麻呂は留学期間が最低でも10年20年なんて無理だ。と故国と唐との認識のずれを痛感していた。
「残念ながら、お前たちが唐で暮らしていける費用は一人平均2年分だ」
と葛野麻呂は留学生たちに絶望的な現実を告げた。だから、とそこで言葉を切り、
「そこでお前たちに告げる。2年後に帰りの船を出してやるからそれまでに各々が課題を済ませ、とっととこの国から逃げて日の本に帰れ!」
と完全に無茶過ぎる指令を留学生たちに与えた。
後記
酒池肉林に飽きてきた大使どのが見た唐王朝の深い闇。
結果、2年で逃げ帰ってきて正解になるとは。