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衝撃的な報道「農家の自殺者が3割増加!」は真実か

注※この記事では「農業従事者の自殺」という極めてセンシティブなテーマを扱っています。感情を揺さぶるような個々の事例は扱っておらず、あくまで統計上の数字を分析する形で扱っています。ぶっちゃけ「人の死を無機質な数字として語っている」文章です。こうした表現の記事を不快に思われる方は、閲覧を遠慮していただきたく思います。


「農家の自殺者が380人もいて以前より3割も増加し、国会やネットで大問題になっている」
先般、農家仲間からこんな話題を耳にした。
日本農業新聞にはこのような記事・論説が載っている(2024/03/29の記事は有料なので、2024/04/05の論説記事を参照のこと)。

正確には、林業・漁業を含めた第一次産業従事者の自殺が増加しているという報道である。

SNSでの反応

Twitterで「農家 自殺」で検索してみれば、この件に関して軒並み

  • 農水省の政策が無策(意訳)

  • 自民党政府、岸田政権は農家を潰そうとしている(意訳)

  • ウクライナや外国移民に金は出すが、国内農家は助けない日本政府(意訳)

  • ワクチンガー(超意訳)

  • コオロギガー(超意訳)

みたいな某政党が使うような単語のオンパレードで批判するツイートが続出。「あっ…(察し)」と宇宙猫になってしまった。

Space cat.

さらには、農家界隈で「学校給食で小松菜納品を断られたと投稿したが、単に契約無し・虫食い品だった」とバレて炎上したあの人も案の定Youtube動画で叫んでいる。

これで「信用しろ」というのが土台無理なのだ。


国会では山田勝彦氏(山田正彦元農水相の子息〈世襲〉)が取り上げる

この件について、自民党の山田敏男氏や藤木眞也氏など農政精通の国会議員からは特に発信はないが、一方で立憲民主党の山田勝彦氏がひとり気を吐いている。「自殺者増加」対策を議論するのは良いことだが、なにぶん種苗法デマの吹聴を続ける山田正彦元農水相の子息(世襲)である故、氏の発信・主張には138億光年くらい距離を置きたい。

立憲民主党 国会情報+災害対策 @cdp_kokkai 2024/02/26 のツイートより引用

とはいえ、事実として農家の自殺が多いことは憂慮すべきことなので、この報道の背景について「政府統計」という公正なデータを根拠に深堀りをしてみたいと思う。


報道記事から

まず警戒しておきたい点は、上記引用のように「2022年農林漁業者の自殺者数が前年から32%増」と国会議員が指摘しているが、この指摘がそもそも誤解を招いているのではないかということだ。
次の記事にの冒頭には、

厚労省は、今回から統計方法を一部変更し、農林漁業者は「自営業・家族従業者」から「農林漁業自営者」「農林漁業者従事者」と2つの分類に分けた。このため前年との単純な比較はできないと説明している。

農業協同組合新聞電子版 2023年3月15日

このように重要な注釈が書かれている。
「前年の数字と単純な比較はできない」とあるのだが、先述の議員、単純な比較をして議場や世間に対し誤解を招いてはいないだろうか?
その前年(2021年)の記事はこのようにある。

まとめによると、昨年1年間の農林漁業従事者は、「自営者」で254人、「従事者」で141人で、合わせて395人に上った。前年の298人から97人、率にして約32%増えた。男女別では、男性が合わせて359人、女性が36人で、男性が約9割を占めた。

農業協同組合新聞電子版 2023年3月15日

職業別に見ると、農林漁業者は298人(男性270人、女性28人)で、前年の309人(男性259人、女性50人)を11人下回った…(以下略)

農業協同組合新聞電子版 2022年3月18日

2021年以前の統計の対象は「自営業・家族従事者」という区分を対象としていたのが、2022年以降の統計の対象は「農林漁業自営者」「農林漁業者従事者」という区分に変わっている。
ここで言う「従事者」には「家族従事者」は勿論、家族以外に雇用された「一般従事者」が新たに加わっていることになる。
2022年の「自営業・家族従事者」と2023年の「自営者」とを比較すれば298人→254人と減っているが、2023年はそれに141人の新設された区分の数字が加算された395人という数が注目されてしまった。
調査対象の母数が増加しているのだから、自殺者数が大幅に増加するのは当たり前だ。厚労省が「単純な比較をして世間を煽るんじゃねーぞコラ」と釘を刺すのも頷ける。


政府統計から抽出

「自殺者が3割増」がかなり胡散臭い、政府批判ありきのための曲解である可能性もでてきたが、実際のところ農家に関係する自殺者数というのはどう推移しているのか、明確にするため過去の統計情報を洗ってみたいと思う。
過去の「農業従事者」等の自殺者数の統計情報は、平成16年分まで、厚生労働省のサイトで確認できる。

警察庁のサイトにも同様のデータはあるので参考まで。

そして、母数となる農業従事者等の人口については、農林水産省のサイトで平成15年分まで確認できる。

これら「農業者人口」と「農業者の自殺者数」を元に、10万人当りの自殺者数を算出してみた結果が後述する2パターンの表である。


統計データの区分の注意点

算出する前に、統計データに注意しなければいけない点が多々ある。
まず農業者人口を表す区分には、統計年によって多様な分類方法があり、容易には統一できない。農水省の注釈を参考に、算出に用いる区分を把握しなければならなかった。

農業従事者:15歳以上の農家世帯員で、年間1日以上農業に従事した者
例えば、普段は都会で生活していて春の田植えと秋の稲刈りだけ帰省し1日ずつ手伝う農家の子息というケースもこれに含まれてしまうので、今回のデータ算出に用いるには適さないと判断した

農業就業人口:農業を専業でする者と、農業以外の仕事にも従事しているが農業の日数が多い者
実質的に、農業自営者(農家の父親)・農業従事者(農業を主に手伝う妻・子息・老親など)がこれに含まれ、算出に用いるのに適している

基幹的農業従事者:普段の主な仕事が農業である者
農業自営者本人・農業に専従している農家家族がこれにあたるだろう

役員・構成員:農業法人の役員がこれにあたるだろう(専務などの役職のある農家家族もこれに含まれるだろう)

常雇い:家族以外に雇用している従業員がこれにあたるだろう

さらには自殺者数についても「自営業・家族従事者」「自営者のみ」「従事者」と区分が細かく分かれており、これも統計年によりバラバラである。
よって、農家・農業法人に務める従事者の項目が不明確な平成19年~令和3年のデータについては「従事者」の数字を埋めるのは諦め、「自営業・家族従事者」「自営者」の数字を用いることとした。

令和3年の資料から抜粋


Aパターン:算出対象に「農業等従事者の自殺者数」を含むケース

Aパターン

解説
まず農業者人口について、平成16年~平成26年までは農業就業人口を算出に用い、平成27年以降はより細分化されている「基幹的農業従事者・役員等・常雇い」の合計を算出に用いることとした。自殺者数については、各統計年の農林漁業に関する全ての区分を合計して算出に用いた。
この結果、農業者人口10万人当りの自殺者数の数値は、平成28年まで20人台なのが29年からは10人台にまで減少していたが、自殺者数の統計に「農林漁業従事者」が再び加わった令和4年以降は約27人と急激に増加した形になる

見方を変えれば、「令和3年までは家族従事者以外の一般農業従事者の自殺者数が統計に表れずに報告されていたのが、4年から新たに加えたことで実相がより顕現化された」と言えなくもない。
しかし、ここで問うているのは「近年農家の経営が悪化し自殺者が3割も増えた、という主張は真か偽か」であるため、それまで不可視であった数字が可視化されたことで増加したと主張するのは論理的でない。
先述の「報道記事から」の項で指摘したとおり、統計発表元の厚労省の注意喚起を無視し、統計の取り方が令和3年までと4年以降で異なることによる数字のギャップを強調して、農家の自殺が32%も増えたとして不安感を煽るのは不誠実である。

「数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う」

では続いて、同じ統計データを元に別のパターンで10万人当りの数字を算出してみよう。

Bパターン:算出対象を「自営者(+家族従事者)/基幹的農業従事者」に限定したケース

そもそも、先述の国会議員は「経営環境悪化」が原因で自殺者が増えたのだと述べている(大元となる農業協同組合新聞記事も同様の内容である)。
――であれば、農家経営が苦しくなって不幸にも自殺を選択するのは従事者よりも事業主たる「自営者」であると考えるのが通常である。
母数となる農業者人口の「基幹的農業従事者」は全統計年分揃っているし、子数となる自殺者数でも(家族従事者の数字が混入するが)「自営者」の数字も全年分揃っている。
よってBパターンではこれらの数字だけを用いて算出した。次の表がそれである。

Bパターン

いかがだろうか。
今回、過去の統計を調べて驚いたのだが、(Bパターンを元にすれば)意外にもこの20年間は、波はあれど農家の自殺者数は減少傾向にあったということだ。私自身「農家は年々厳しくなっている」などと、常套句のようにJAや農政関係者から耳にタコができるほど言われているにも関わらずである。

まとめ

私個人としては、この表の数字が「農家の自殺者が3割増」という風説に対する、明確な否定の根拠であると考える。
令和5年は確かに4年と比べれば増加はしているが、約11%であり32%という主張と比べてはかなり低い。
さらにいえば最も自殺率が悪化していた平成19年の約39人と比べれば41%も減っている。業界全体として、農家を精神的に苛むストレスが以前と比べて極端に増大しているとは思えない。
ただ、今日この日も日本のどこかで、持続的な営農という使命との戦いの末に自死という道を選んでしまった一人の農業者とその悲しみを背負う家族等がいるであろう、そのことから目を背けることは出来ない。
不幸にも自殺という解決手段を選択する農業者がいることは事実なので素直には喜べないが、統計データからは長期的スパンで見れば農家の自殺件数は過去と比べて改善してきていることを示しており、決して悲観視ばかりする環境ではないと感じている。

であるので、短期的スパンで数字を比べたり、統計方法の変更など背景情報に注意を払うことなく、センセーショナルなやり方で人々の不安や怒りを煽るような勢力の声に惑わされず、正しく一次資料をあたるという習慣を皆がつけてもらいたいと思っている。