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「明日泊めてください!」と生放送で叫ぶと1月で何人に泊めてもらえるか? 儀礼と贈与をズルく使って遊ぶ方法。

「すみませーん、このままだと明日泊まる場所がないです。だれか泊めてくれるひと、メールくださいぃぃぃ」

ノートパソコンのwebカメラに向かって俺は呼びかけた。
画面には生放送が映っている。カクカクと紙芝居をめくるような遅さで、俺の間抜けな顔が歪み、それをおおうようにコメントが流れてくる。
「wwwwwwwwww」
「そのままタヒね」
「100万円くれたら泊めてやるよ」
口汚いコメントたちは画面の男が惨めになればなるほど、危険になればなるほど喜び、画面が見えないほどに沸騰した。
ニコニコ生放送だ。
いまやもう、サブカルチャーの記号としてはあたりまえになったこのサービスで、僕は「おい、ゆとり! あした泊めてください」という放送企画をやっていた。30日間見知らぬ誰かの人に泊めてくれるように呼びかけ、実際に泊まるという生放送番組だ。仕事でもなんでもなく、趣味で遊んでいた。
2009年のことだ。

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そしてそこから9年の時がながれ、2018年に「プロ奢ラレヤー」出会うことになる。
当時21歳。彼は家をもたず、奢られる仕事をしていた。

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このnoteは「儀礼研究所」のレポートだ。
インターネットコミュニケーションと儀礼について、体験談から報告しようとおもう。つまり、冒頭のニコ生の話だ。

さてさて、前提を説明しよう。
儀礼研究所とは何かというと、プロ奢ラレヤーの主催するSlackで行われているオンラインイベントだ。
毎週木曜日に古典をベースに「儀礼」について話し合うという、異様に知的な試みが、大学を中退してヘラヘラと笑いながら他人に奢られて生きている男によって主催されている。毎回40人以上が集まり、真剣に本を読んだ。その一通りのまとめとして、全員がnoteで儀礼について論考することになっている。このnoteはそのレポートというわけだ。

儀礼というのは
・2名以上で行われる
・定期的な
・神聖なもの(軽くあつかってはいけないもの)
例をあげれば名刺交換とか、年賀状とか、学校の朝の会とか、部活の掃除とか、花見とか、そういうよくわからない行事のことだ。日頃から忘れ物が多く、宿題をまったくできない自分のような人間にとって「敵」として立ち塞がる、イライラするような習慣すべてだ。なんでこんな意味のないことをしなくちゃいけないんだ……学校の隅っこで何度そうおもったことだろうか。

■贈与は超おとくな道具

しかし、それにしてもなぜひとに奢られている男が儀礼なんてものを研究しているのだろうか?
それは1つ前に行われていた「贈与研究所」にさかのぼる。

「贈与」というのは、ひとに贈り物をすることだ。バレンタインにプレゼントしたり、遊びにいくときに手土産をもっていったり、おまけをあげたり、ひとに奢ったり。あらゆる「贈与」という行為を、これまた古典をベースに考えるというのが贈与研究所だった。
その研究のなかでわかってきたことは、贈与というのは「関係性を作る」非常に重要な行為だということだ。贈り物そのもには、あまり意味はない。「贈る」「受け取る」ということにより、相手と関係性が維持されるということが非常に重要なのだ。
古典によると贈与には他にも様々なハックしがいのある機能が満載なのだが、もっとも素朴で基本的な機能というのが「関係性づくり」だ

これを「賄賂」みたいに感じちゃう人もいるだろう。それは贈りあう中身に注目した考え方だ。贈与というのは実は、中身の価値が全然なくてもなりたつ。100円、缶コーヒー、マスクなど、ほんのちょっとしたものでも人は無視できず、関係性を作ってしまう。

プロ奢ラレヤーとは、まさに「贈与を受け取る」ことで様々な相手と関係性をつくっている存在である。
それは本人が「奢られるのはどうでもいい。面白いやつに会いたいだけ」と明言していることからもわかる。プロ奢ラレヤーはコーヒーをタダでのみたいのではなく、珍しい話を聞きたいのだ。その手段として、「奢られる」をやってみたら上手くいっただけのことだ。直接会って聞いたところによると3000人ほどから奢られているという。3000人のヘンなやつと関係をもっているというのは、それだけで本を出せちゃうし、noteの月額課金で毎月100万円以上を得るほどに価値を生み出せる。

■贈与と儀礼の実例

プロ奢ラレヤーが贈与を上手くつかって独自のポジションを作っているのはいいとして、なぜ儀礼なのか? それは、儀礼というのが贈与の一種の拡大版だからだ。

ちょっとここから図をつかって説明してみたい。
ここはあなたの近所の公園だ。
まったく知らない人たちと、たまたま公園にいるとおもってほしい。

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ここで、たとえばあなたが煙草を吸い、たまたま煙草を切らしていただれかに煙草を渡したとする。贈与だ。この瞬間に、関係性が生まれる。もしも2度3度と煙草を渡したら、そのひとともっと強い線が結ばれるだろう。

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人を結ぶのは贈与の線だけではない。
たとえば「毎回挨拶をするひとたち」が3人いたとする。あいさつをくり返すといずれ仲良くなる。
他にも「毎回ラジオ体操をするひとたち」が3人いたとする。最初は単なるお隣さんだが、いずれ仲良くなるだろう。

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これが儀礼だ。
2名以上で、定期的に行われる、わりと大事なもの。
贈与というのが煙草1本(20円くらい?)で成立するように、儀礼というのも中身はなんだっていい。同じ行為をくり返すことそのものが、人との関係性を作ることにつながる。

関係性さえできてしまえば、あとは噂話を聞くことも、いっしょにポケモンGoをすることも、お互いの家に遊びにいくこともできるだろう。色々なチャンスが転がってくる。

■インターネットで儀礼を活用する

さて、ここで舞台は2009年にさかのぼる。
ノートパソコンを手に「泊めてください!!!!!」と呼びかけていた俺は、どれくらいの人に泊めてもらえたのだろうか?

その数、実に15組。1ヶ月のうち半数以上、知らない人の家に泊まり歩くことができた。知り合いからのリクエストは蹴っていたので、マジでガチでまったくしらない、インターネットの生放送を見てメールをくれたヘンな人達だ。

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彼らが泊めてくれたのは、自分が毎日23時という決まった時間に放送していたこと、そして「wwwwwwwwww」「そのままタヒね」「100万円くれたら泊めてやるよ」というような言葉を浴びていたことにある。これは、2名以上、くり返す、わりと大事なことの条件にあてはまる。つまり儀礼だ。放送を見てコメントをした時点で、公園のラジオ体操のように「儀礼」の輪に組み込まれている。その関係性から、見ず知らずの人に宿泊場所を提供するという「贈与」をするに至るのだ。

インターネットにおいても、儀礼は人工的に、簡単につくりだすことができる。そしてその関係性を元に、おもしろいことをしたり、利益を得ることができる。スーパーチャットをもらったり、お店に足を運んでもらったり、欲しいものリストからプレゼントをもらったり。プロ奢ラレヤーでなくても、活用法は無限に見つけることができる。

贈与と儀礼。おもしろい。


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