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鉄器文明                 【直観物理と相似象 その4】

鉄器文明

 楢崎皐月は、大東亜戦争がはじまった頃、旧陸軍の命を受け、満州で東洋一の製鉄所の所長となって赴任し、高品質の鉄を作る技術に没頭したことが、後にイヤシロチ、ケガレチを発見するのためのインスピレーションを得たことの始まりだと思われます。ここではその鉄について若干の説明をしたいと思います。

 通説では、鉄器文明は青銅器文明よりも後になって発生したものとされています。その理由は、鉄の融解温度(1536℃)が、青銅という合金の元になる錫と銅の融解温度(それぞれ232℃、1085℃)よりもずっと高く、そのような技術は古い時代には存在しなかったはずであるから、というものです。
 しかし、これはどうも間違っているようだ、と楢崎皐月は「相似象」の中で指摘しています。ドイツの冶金学者で製鉄史の研究家であるルードヴィッヒ・ベックも、歴史的な著書「製鉄の歴史」の中で、鉄器は青銅文化に先行したという説を打ち立てていました。それがどうやら真実であろうという証拠が、最近の発掘調査でも見つかっています。

 従来、世界史の中で、鉄の利用はヒッタイトの時代に始まり(3300年前~3200年前)、ヒッタイト帝国は製鉄技法を独占して繁栄したと言われていました。しかし、アナトリア高原地方(トルコ)のカマン・カレホユック遺跡で、日本の調査団(アナトリア考古学研究所・大村幸弘所長)がヒッタイトよりも約1000年も古い地層の中から、鉄滓(鉄カス、製鉄の証拠)を発見しています。また、分析調査によりその成分も近隣地域の鉄鉱石とは異なることが明らかになりました。

アナトリア高原で発見された鉄滓(アナトリア考古学研究所による)

 ヒッタイトが起こる以前にこの地方に居住していたのは、ハッティ人と呼ばれる民族ですが、この民族はインド・ヨーロッパ系ではなく、シュメール語や日本語と同様な膠着語を話したということです。ヒッタイト人達は、4000年ほど前に北方から南下してこの地方に定住をし始め、その後アナトリアを征服したと伝えられていますが、この地方の古代粘土板によれば、ハッティの鉄技術を独占して、ヒッタイトの文化として後世に伝えたということだそうです。

 シュメール人も同じころに忽然と歴史の舞台から姿を消しています。シュメール文明で不思議なのは、非常に高度な都市文明なのに先行文明が存在しないこと、また、年代が古いほど文明が高度であり、時代が下るにしたがって、だんだんと高度さが失われていることです。また、旧約聖書では、4000年ほど前に、古代ユダヤ民族の祖であるアブラハムがシュメールの都ウルからトルコのハランに、更にカナンに移動したと記述されていますが、その裏には何か隠された事情が存在しているのかもしれません

 さて、日本の場合ですが、製鉄技術も古くはタタラ製鉄(※)が有名ですが、更にそれ以前にも、岩手地方にはモチ鉄(自然の鉄)を低温で還元する方法があったと言われています。釜石市には、明治時代まで官営の鉄鉱石の鉱山がありましたが、上古代には餅鉄という非常に純粋良質な鉄があり、その餅鉄の精錬法が出雲地方に伝えられて、タタラ製鉄になったと言われています。千島列島、北海道、東北地方には、これらの鉄に関する遺跡が残されています。

(※)タタラ製鉄とは、日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むのに使われるふいごが「タタラ」と呼ばれていたために付けられた名称である。砂鉄や鉄鉱石を粘土製の炉で木炭を用いて比較的低温で還元し、純度の高い鉄を生産できることを特徴とする。近代の初期まで日本の国内鉄生産のほぼすべてを担った。

Wilipedia
餅鉄 Wikipedia

 日本における弥生文化は、大陸より伝わったと言われています。その頃に日本に移住したのは製鉄部族と言われる人々で、天孫族との関連性があるようです。しかしもうこの頃には、鉄の大量生産技術が発展し始めて、良質な鉄の精錬技術は廃れ始めたようです。

 世界的に有名な古代の鉄として、ダマスカス鋼も有名です。これは古代インドで造られた鋼材で、強靭さ、錆びにくさ、表面に浮かぶ優美な波紋に特徴があります。この鋼材を使った刀剣は日本の古代の刀剣同様に珍重され、王家の宝として伝えられています。しかし、残念ながらその製法は現代に伝えられていません。

ダマスカス鋼の刀身の木目状模様 Wikipedia

 インドのニューデリーにある世界遺産のクトゥブ・ミナール内に、高さ7.3メートル、直径44センチメートルの「巨大な鉄柱」があります。それは紀元前400年頃に、当時インド最大の製鉄基地を有していたマガダ国を継いだマウリア王朝(紀元前315年 ~ 紀元前185年)で造られたもののようで、マガダ国が最も栄えたアショカ王時代に因んでアショカ・ピラーとも呼ばれます。柱の表面にサンスクリット語の碑文があり、それによると、西暦415年にこの地に建てられたとありますので、どこからか移動したことになります。この柱は鉄成分99.72パーセントの高純度なものです。しかも、2500年を経ても未だにサビていないことで有名です。実際に見た人によれば、表面上に錆が付いているそうですが、鉄の錆は普通内部に向かって進行するので、2500年の間野ざらしの状態にされれば、普通の鉄柱であればボロボロに朽ちて原形も留めていないでしょうから、やはりマガダ国の冶金技術は素晴らしかったと言えるでしょう。

錆びない鉄柱 (インド・ニューデリー、クトゥブ・ミナール)

 おそらく、日本が世界の中心であった頃の鉄の冶金技術が上古代にメソポタミア地方に及び、そこからインドに及んだのではないでしょうか。インドにおいて、仏陀を生んだシャカ族(サキ族)も製鉄部族で、歴史的には滅亡したことになっていますが、実は、中央アジアで月氏(カッシート人)となり、その後日本に入った天孫族のルーツであるという説もあります。すなわち、インドをはじめとする世界の諸地域では、戦闘のために製鉄の大量生産技術が開発されて普及し、製鉄部族である天孫族の渡来と共に日本に再上陸したのではないかと思われます。

 鉄は不思議な金属です。自然に存在する元素のうち、原子核の存在エネルギーが最低で、最も安定なものは質量数60付近の元素なのですが、これは、鉄、コバルト、ニッケル、銅といった鉄族の元素に当たります。

 ということは、質量数最小の水素から始まる原子系列が核融合を起こして巨大なエネルギーを放出しながら原子番号を上げ、低エネルギー状態に遷移していくと、最終的には鉄族になるということです。また、質量数の非常に大きなウランをはじめとする核分裂物質が、核分裂を繰り返し、巨大エネルギーを放出しながら原子番号を下げて低エネルギー状態に遷移して行くと、行き着くところはやはり鉄ということになるのです。

 直感物理によりますと、ここまで行き着いたものは、アマ始元量の性質である、極限循環率によって還元され、エントロピーを下げることになります(ネゲントロピー現象)。鉄の性質は、不純物の種類や量によってさまざまに異なりますが、不純物を含まない純粋な鉄は決して錆びることはない、つまり酸化することはない、と言われます。

 以上から、エントロピーの上がらない場、アマの始元量、すなわちゼロ・ポイント・フィールドに行き着く道へは、潜象の領域から鉄の性質の研究を深めることによって到達できる可能性があります。

 



 

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