イハカムナ...…岩理 カムナガラノミチ 9 【直観物理と相似象 その 27】
イハカムナ……岩理
「イハカムナ」とは、岩の生命核ともいうべきもので、岩に宿っている魂といったものでしょうか。カタカムナ人は、岩にも生命があることをサトっていました。岩が生きているという事は、結晶が拡がって成長して行くという事です。結晶の結合力は、電氣的な正反(サヌキ アワ)の親和力によるものであり、岩の成長に伴って、サヌキ アワの配列の層ができます。このような結合の仕方をイハメと言いました。そのイハメは、環境(大気、大地)の状況に相応して発生するというのが、彼らのサトリでした。彼らのつくる石器は、ただ闇雲に石を削ったものというわけではなく、岩のナリ(本性)に適う、独特の方法で、「イハメ」を削いだうえで、イワカムナをとり出して工作したもの、すなわち生命を持つ「イハ」からつくった石器なのです。しかし、普通の石は「イシ」であり、これは死んでいる石を指すのだそうです。
第57句 イハネ ヘグミチ(水流加速器のサトリ)
<ヤマネ ミト イハ>とは、山の根の水の出てくる戸(ミト)、すなわち、水源地の辺にある、水に打たれて岩盤が顕れている岩であり、それは生命を持つ岩、成長しつつある岩である、という意味です。
<イキチ イハ>は、生命(イキ)を持続(チ)している岩の意です。
<ナガシ イシ ウチ>は、水流に載せて石を流す方法(水流加速法)のことです。科学的には、水流の持つ運動エネルギーは、その速度の6乗に比例します(速度が2倍になれば、エネルギーは64倍、10倍になれば、エネルギーは100万倍)。したがって、速い流れ、例えば鉄砲水や津波の破壊力は爆発的に大きなものになるのです。カタカムナ人は、このように速い流れの中で石をぶつけあってイハメに沿って削り取る、水流加速法を使って、イキチイハを得ていたのです。
<オトシ ウチ>は、水流加速法の水流の傾斜を垂直にし、流れ石が、大きな「落下加速度」によって、極めて重い石となり、衝撃破壊力が極度に高くなるようにしたものです。すなわち、石を水流に載せて滝のように落下させ、直下の大岩のイハメを削ぐ方法なのです。
楢崎は、実際に、川の上流から樋(トヒ)をつくって水流を加速させ、ナガシイシウチやオトシウチによって、大岩を移動させたり、破砕させたようである、と記しています。現代にも、一部には「タキオトシ」と呼ばれる方法が伝えられています。樋を岩の上に持っ行って、滝と同じ効果を得ようとするものです。
以上のように、石をただ空中から落下させるのとは異なり、水流に載せて落下させると、巨大なエネルギーを持つことになるのです。楢崎皐月は、例えば、飛行機に乗っている人がそのまま落下すれば、オトシウチとなって、機外に放り出された場合よりも非常に甚だしい衝撃を受ける、と書いています。
生命発生の条件の基本は、
(1)結晶水を持つこと、
(2)電子密度を持つこと
と言えます。
平易に言えば、岩が生命を持つような環境でなければ、植物も成長できず、逆に、植物の育つ環境であるならば、岩も成長するという事です。
溶岩の融け固まったままの火山岩は電氣的には結晶を持たず、渾然とした状態です。これをイワと言いますが、それが変成して結晶を持つにつれ、「イハ」すなわち、電氣の正反(サヌキ アワ)の配列の層ができてきて、それがイハメであり、植物で言えば、年輪に当たりますが、植物のように一年ごとに形成されるとか、必ずしも環状になったりするわけではなく、もっとずっと長い年月をかけて形成され、できたものが並行的な層になることもある、ということなのです。
また、水成岩も、始まりは重力で固まった状態ですが、水流と圧力によって変成されて、結晶構造をもって硬くなり、イハメを生じるのです。
このようにして、電子密度が増して、結晶構造を持った岩には、生命のもとである、イハカムナ(結晶核)が存在することになるのです。
一つの岩でも、部分的に成長しているところ(新陳代謝)と、死んだところ(風化)が見られます。また、岩は皆男女両性の電氣を持ちますが、表面の電氣位相が持つサヌキかアワかの電氣性によって、男岩と女岩があって、動物の生命と変わらぬ姿が見られるのです。
カタカムナ人は、石器をつくるためには、電氣の正反のイハメを持つ、生きた岩でなければならぬ、という直観を持っていて、石器となる硬い石を「イキチイハ」から得る方法を心得ていたのでした。しかし、生きた岩から欠きとられたカケラでは、やがて「イハ」の電氣性を失い、河原に転がっているような、死んだ状態の「イシ」になってしまうのです。
第58句 ナガシ ウヅクメ(ナガシワケ)
<ウヅクメ>とは、流れの中にうずくまって、メ(目、芽)つまり、頭部のみが出ている岩のことです。これは、火成岩などの結晶核が流れによって洗い出されている部分なので、非常に硬く、黒曜石などの硬い石を細工するための、より硬い物質として使われました。
イハメの+ーの配列は、その場の環境の電位構造に馴染んで発生します。結晶の変貌や拡大成長の条件も、環境の熱や圧力以外にも、何も関係なさそうに見えるアマ空間の構造も無視できず、条件として考慮に入れなければなりません。
楢崎皐月によれば、環境と言っても、地球に対しての宇宙的な大きな動きがあり、地球を中心にして力の差が出ているということです。大きな環境の中で、部分的なものが、どの環境変化の影響で形成されたのか、を考えずに、ただ地球だけの熱や圧力で変成した、とばかりは言えないし、そういう変化をもたらした環境の、殊に、電氣的条件がどうであったか? という事が問題なのである、しかし、これについては、問題が大きすぎて、実験はできないので、哲学的科学によって、判断するしかないのである、ということです。
第59句 メウチ トリ(岩のサネ)
<メウチ>とは、イハメに小さな穴を開けるための石器であり、石器細工上の重要な工作用の道具であり、これは、死んだ石塊(イシコロ)からは採ることができないのです。
<サネ>は、モノの内核を指す言葉です。サネの部分は、岩が割れ砕けても残るので、たまたま自然に出ていることもあります。サネはイハメに対しては直角に出ます。それは植物の種子のような形であり、大小さまざまですが、大きさは様々で、中には1メートル大のものもあります。
水晶の結晶も、そのまま裸で露出していることは稀で、岩の中のサネとして挟まっています。
山梨県の昇仙峡で採れた水晶は有名で、今はほとんど採り尽くされたようですが、昔は「滝落し」などで取り出したようです。
河原の石でも、ただの石が摩耗していることもあれば、たまたまサネの部分が転がっている場合もありますが、メウチのような石器は、サネからでなくては作ることができません。
第60句 ツチ ツクリ(サネ マク カケラ)
<ツチ>とは、角の取れた円石のことで、これも石器を細工する道具です。これは、堅い岩を粉砕してサネからはメウチをとり、外側のカケラは小石を混ぜて長時間水流に揉ませて作ったのです。
第61句 テオノ トリ(サケメ ツライシ)
<テオノ>とは、主としてイハメ(層)に差し込んで、槌でたたき、イハメを剥ぐ、楔(クサビ)型の石器です。
第62句 タマ ツクリ(ウルハシノツヤ)
翡翠(ヒスイ)、瑪瑙(メナウ)等の美しい珠玉は、このようにしてつくられたのです。
第63句 カタチ ドリ(カタカ イタイシ)
以上のようにしてカタチドられた石器の形状について、次の句がそれを表しています。
第64句 カタチ ドリ(カタカ イタイシ)
楢崎皐月は、ここで記述されたような道具なくして、次のタガラモリミチ(農業技法)は成り立たなかっただろうしています。
最後に
カムナガラノミチの中には、縄文土器のような土器は出て来ていないことが指摘されています。歴史上で、一方の技術が進んで、他のものは遅れると言うようなことは往々にしてあり、カタカムナ人達にとって、石や木の方が食器や貯蔵に適したかもしれないと推測されます。
また、当時の遺跡(エジプト・ギザのピラミッド等)からして、巨石を配置して輻射圧を高める技法が取られていたと思われるものがありますが、このようなものも、カタカムナでは採り上げられていません。
※(註)この最後の部分は、フリーエネルギーに通じるものとして、重要なものだと思われますが、何らかの理由により、カタカムナ文献の編集者によって、意図的に省かれた可能性も考えられます。
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