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個体発光の物理 心の現象の物理      万象万物を表現するカムヒビキ(6)         【直観物理と相似象 その 18】


15 個体発光の物理

 すべての物質は崩壊し、やがてはアマに還元します。生命質内部では、物質が代謝されて崩壊が起こっています。モノがカタチつくられているのは、分子の結合(結晶)によるものであり、それは正反の電氣の結合力によるものです。すべての物質は崩壊し、結合が破れれば、電子は光量子となって必ず発光します。物質の発生、存在、崩壊には、必ず正反の電氣現象が伴います。自然の蛍光や燐光は、「熱を伴わない光」の例として、よく知られています。
 以下は、人体の蛍光や、眼球の輝き、その他諸物質の結晶破壊に基づく発光現象(ルミネセンス)の本質に関する、カタカムナ人の直観のサトリを示したものです。

アマカムナ アマカムヒビキ
 キララ キラ
 クラオ クラミツ カムチコリ
 マサト カグツチ トヤマツミ
 イハサク ネサク イハツツヲ
 フツメ イカツチ ホホムスビ
 ヤクサ カガヒコ カガホロシ


現代語要約(楢崎皐月氏による)
 「物質や生命質は、始元量アマが、自由に統合した結晶質であり、その内部は、目に見えないモノが凝集して、真暗闇の状態に置かれている。しかし、その結晶の分子の結合力(サヌキ、アワの親和力)が破れて、結晶が崩壊すれば、結晶に参与していた正反電子(サヌキ アワ)等がハラバラになり、その中のいくつかの正反電子が、衝突的に結合し、振動を起こして光を発する。すなわち、正反電子の励起(振動)によって、発光現象を呈するのである。そして、励起状態が止むと、直ちに発光も止む蛍光や、また、励起状態が終わった後も、発光現象が残存する、光が認められる。」

「相似象」第4号 223ページ

 <キララ キラ>は、個体から蛍光または燐光を発している様を表すヒビキです。
 <クラミ クラミツ カム チコリ>は、「目に見えない暗いものが充ちて(クラミツ)、持続して凝集し(チコリ)、真暗な闇(クラオ)の状態を呈している。」という意味で、「11 質量の物理」で述べたように、アマナが行動して造られた、物質の結晶構造の内部が、真暗な状態であることを表しています。
 <マサト カグツチ トヤマツミ>は、「マガ分離・統合して(マサト)、自由にカタチづくられた個々の持続(カクツチ)の、結晶質(トヤマツミ)」という意味で、要するに、さまざまの固体物質や、生命質のことを表しています。すなわち、物質の結晶構造は、内部が真暗な闇の状態で、分子が凝集を持続しているが、それが蛍光や燐光を発するという物理を、次に述べているのです。
 <イハサク ネサク イハツツヲ>とは、物質の内部構造の結晶の破壊によって、分子がバラバラに分かれる様を表現していて、電氣的結合(イハ)の根が分かれて(ネサク)個々(ツツ)に四方(ヲ)にバラバラになる、という意味です。
 <フツヌ イカツチ ホホムスビ>とは、バラバラになった正反(イハ)の電氣は、瞬間的に引き合って結び付き、光量子を放出して輝くことを表しています。これは言い換えると、陰電子(サヌキ)と正孔(アワ)とが、衝突して結合し、四光子に変わるという現象のことです。光が出るのは、「結晶の破壊現象」であって、消失の代わりに発光するということなのです。生体としては「代謝」が行われることと同じです。
 <ヤクサ カカヒコ カガホロシ>とは、「いろいろな発光の輝きが、次々に現れる」という意味になります。物理的には、正反電子が励起されて発光現象を起こし、光が出るのですが、励起状態の消失と同時に発行が止むものは蛍に代表される「蛍光」、励起状態が止んでも尚発光が持続するものを魚に代表される「燐光」と言います。ホロシは「出現する」の意です(皮膚に出現する麻疹のことをホロセとも言います)。

 犬や猫の目が光ることや、仏像に後光が形取られていること、等については、以上の説明から理解ができると思います。私達の人体からも、たえず光が発せられ、喜びに満ちている時の瞳の輝きや、全身から漂う人の雰囲気などを感じることができますが、霊能者や透視能力者が見る光の正体についても、同様に、このような物理であると思われます。
 熱を伴わない光とは、電子の振動が、すべて光の振動数になって、光を発するようになったものであり、そのエネルギーを物質が吸収しなければ熱は発生しませんが、光が吸収された場合には、分子が回転運動を起して熱になる、すなわち光のエネルギーが熱に変換されるのです。

 物質が夜間に光を放つ現象について、有名なのは、かつて、ドイツのライン川の河底に、ラインの黄金(ラインゴールド)が輝いていたという話があります。神話に登場する「ニーベルンクの黄金」は、リヒアルト・ワグナーが楽劇の題材にしたほど有名ですが、これは、ラインゴールドにまつわる伝説がもとになっています。ところで「水の魔術師」の異名をとる、オーストリアの森林技師であり、後にはUFOの推進原理等の研究者として有名になったヴィクトル・シャウベルガー(1884~1958)という科学者がいましたが、彼は正規の学界からは異端な存在で、現代科学の基礎となっている運動原理は、熱を発生させ廃棄物を多く排出しエントロピーを増加させ、持続性がなく、文明の崩壊につながるものであることを強調しました。一方、自然の営みはこれとは全く逆の運動原理を使い、冷却、還元、エントロピーの減少を実現するものであることを実証し、「自然に学び、自然を真似よ」を唱え、科学の大転換による持続可能な社会の実現を提唱しました。その彼の著書「The Senseless Toil(我々のむなしき徒労;邦訳なし)」の中で、以下のような内容の記事を書いています。「かつてのライン川の水には、自然のエネルギーが充満していて、川の水は魂を持っていた。特に冷え切った日の夜には、水よりも比重の大きい石までも運搬してしまうほどの力があり、夜、川底を転がる小石が、互いにこすれ合って、金色の光が現れた。黄赤色で妖精が放つような光であり、かつては川底に黄金が眠っていて、その金が光っていると勘違いされた。しかし、現在では度重なる人工の河川管理のために、川の水はエネルギーや魂を抜かれ、河底が光り輝くことはもうない。」

ヴィクトル・シャウベルガー

16 心の現象の物理

「心の現象」の物理とは、「心はどういうものから現象されるか? という、精神現象の物理」であって、一般の心理学や、精神現象の解釈とは、多少異なるものです。
 カタカムナ人は、磯波の響きと、その現象が、人間の心の現象と、その生理に、相似することを直観しました。彼らのサトリは、次のような歌になって示されました。

アマカムナ アマカムヒビキ
 サ サ サァー ア
 オキツ カヒヘラ ナギサヒコ
 オホヤソ マガツ オキサカル
 ヘツナギサヒコ ヘツサカル
 カヒハリムクロ アマナイツ
 アマナサカムク ココロサカ
 オホマトコベラ カムナホヒ

「相似象」第4号 227ページ

 この歌は、表面上は磯の波の性質について語っていて、現代語解説は、以下のようになります。(楢崎皐月による)

 磯波は、海水の傾斜(カタムキ)に基づいて起こること。波個々の水が、砂粒子を動かして、音を発していること、波が、砂底の水に流れ落ちれば、騒がしい音は消え、地下を通して、波の水は、大海の水に還元し、海水は、恒常の静けさに復元すること、等である。

「相似象」第4号 236ページ

 さて、彼らは、心の現象について、現代人の想像とは大いに異なった見方をしていて、人骨と骨膜における、電氣的現象であることを直観したのでした。人骨は主として石灰質で構成されますが、電氣的には誘電質です。恒常の状態では、骨は電荷を現わさず、電気絶縁状態に置かれ、骨膜の膜電位だけが、指針を支配している状態です。
 そして、冒頭に述べたように、海岸の波によって生じている現象は、人間の心の現象と、その生理に、相似することを直観しました。以下の言葉の説明では、この事も踏まえて述べて行きます。

 <サ サ サアーア>とは、海岸の砂浜に波が打ち寄せる、磯部の音のヒビキであり、波が砂地を駆け上がる際に、砂と接触して発する音と、波の水が、砂地の底水に流れ落ちて、消え行く音とを表しています。海水は、地球の動きや天体の引力によって運動を起し、海岸では、陸地に傾斜する磯波が発生します。磯波は、小波となったり、あるいは大波や怒濤となって打ち寄せます。そして、その響きは、波水が底水に吸収されることによって消え、又次の波が押し寄せては消える、ということの連続で生じます。カタカムナ人は、この磯波の響から、心の作用、すなわち精神現象の物理を、相似象として直観したのです。
 <オキツ カヒベラ>とは、沖の波の静かさを表した歌詞ですが、物理的には、調和平衡を得た、心の恒常状態を掛けて表しています。
 「オキツ」はオキ(沖)にツ(個々の)が付いたもので、オキは海全体の広いものだが、波は個々の水が起こすという意味だと思われます。カヒとは、カもヒも、アと同じく、ハジマリのヒトツを表し、「ヒトツ」すなわち「アマに統合されるカタチ」を意味します。ヘラは(舌ベラのように)形が平らなものを言います。そこで、オキツカヒベラは、「海というものは、平らであることがハジマリであり、統合の相(スガタ)であり、恒常の相である」という意味になります。

カタムキ

 沖の方は平らですが、岸だけが傾いています。この「カタムキ」こそが、見過ごし易い重大なもので、モロモロの物理現象はみな、そこから始まるのです。カタムキには必ず「反」の力が作用し、復元しようとするのが、アマから受け継いだ本来性です。天然の現象、自然の現象、社会現象、病気や精神の現象も、皆この相似象です。
 最初は極めて僅かなカタムキから始まるので、意識に上がらず、「どこか、ヘンだ」といった、気分的なものに過ぎません。しかし、そのような僅かなカタムキでも、「直観」には、「平衡感覚的」に気付くものがあり、無意識にバランスを保とうとします。それが健全なスガタなのです。ところが、現代人はこの感覚が劣化し、カタムキが酷くなるまで気が付かず、快・不快の意識が現れてから妄想して、心身のストレスを起しているのです。
 このように、個体、社会現象を問わず、カタヨリが酷くなり、分極が固定すれば、電氣欠乏部位は、「病的症状」を呈することになります。

 無理な精神修養を強いるよりも、イヤシロチや、性の交換栄養によって、電氣を充分に与えつつ、カン(直観)を鍛えることが、最も能率の良い、最高の修養法であり、何よりの健康法である、というのは、ここからも言えるのです。

 <ナギサビコ>とは、ナギサ、すなわち波打ち際の響きが、山彦のように伝わり続くという意味です。ここでは、「粒子(ナギ)が、分極(サ)を持続している」ということで、分極状態を意味します。
 <オホヤソ マガツ>とは、古事記に登場する、禍の大部分を支配する「大八十禍津神」という神名の語源になっていて、「怒り狂う怒濤」と、「怒り狂う心の状態」の意味が掛けられています。マガツは「曲がごと」というように、禍、つまり正常でない状態を言います。
 <オキ サカル>とは、沖の荒れる相(サマ)を表します。沖が台風や季節風等で荒れて、「オキツカヒヘラ」でなくなった状態で、物理的には、立体的に生じた(オキ)、分裂の(サ)、カタチ(カ)が定着して固定した相、すなわち「分極状態」を表しています。
 <へツ ナギサビコ>とは、ナギサビコがヘツ(平)になるという意味です。すなわち、波打ち際の響きが消えて、平らに静まる状態であり、それは、分子の分極状態が消滅し、常の状態(オキツカヒベラ)に復元するという意味です。
 <ヘツサカル>とは、沖の荒れた状態(オキサカル)が静まって、平になる(ヘツ)という意味で、物理的には、分極(サカル)が、調和した恒常状態(ヘツ)に復元するという意味です。
 <カヒハリ ムクロ>とは、甲皮張カヒハリ ムクロ すなわち、「骨膜と骨」のことです。骨膜は、骨を覆う膜であり、カタカムナ人はこのカヒハリ・ムクロと、精神現象との、重要な関係を観じていたのです。
 <アマナ イツ>において、アマナはここでは、骨の細胞や、骨膜物質の細胞の原子の原子核に当たるものです。イツは電氣粒子(正反性)の意味で、すなわち、原子核内に陽子があって、陽性電氣を帯び、外側を回る電子は、陰電子を帯びている、という関係を意味しています。
 <アマナ サカムク>とは、アマナが正反に(サカ)片寄向く(ムク)という意味で、物理的には、骨が誘電物質(絶縁体)であるために、原子が、核の片寄によって、電氣的に分極し、核磁氣が、核の周囲に発生するという意味になります。
 この解釈は、カタカムナ人の直観であって、現代物理にはない考え方です。人体は「半導体」ですが、骨や毛髪等は「誘電体」であるために、電氣が流れずに「分極」を起します。骨の原子の原子核(プラス電氣を帯びている)が、何らかの理由で中心を離れて、一方に片寄ると、原子核の周りを回るマイナス電子(サヌキ)は反対側に片寄り、分極を起します。すると、原子内に分極電荷が発生し、原子核の周りに磁場が発生します。電子は回転しているために、回転運動の磁氣となり、原子がくるくると回り出します。これが「オホヤソマガツ」の状態を起すのです。
 <ココロ サカ>とは、「心の作用に、正反性(サカ)が、分極的に表われるのは、物理的には、このような分極現象である」ということを表しています。つまり、骨の分極現象は、心が平衡を失い、甚だしい動揺を生じている状態と、対応して起こる、という直観があります。例えば、怒り狂う心の底には空ろな虚しさが、歓喜の極みには悲哀が伴うような、極端な大波の状態から、日常的な愛憎、好き嫌いのような、小波の状態に至るまで、さまざまな精神現象は、骨の分極現象の程度に応じていると。観じたのでした。
 <オホマ トコベラ>とは、骨原子の分極の電荷が、骨を覆う骨膜の、膜原子の電荷と共振し、電流を強めると共に、内外の空間電荷の共鳴によって、吸収され、次第に減少して消失することを表現したヒビキです。
 <カム ナホヒ>とは、このようにして、心身は、元の恒常安定の状態に復元する、という意味です。

分極について

 以上を換言すれば、誘電質(絶縁体、不良導体)には電気が流れないために、電氣のカタヨリ、すなわち分極が起きるのですが、骨も同様に誘電質の為に、分極によって電荷を生じ、その電荷によって回転磁氣を生じ、電荷はグルグル回り出します。これが「オホヤソマカツ」で、怒り狂う大波のような精神状態を起している時の、骨の現象であるという直観です。
 骨がこのような状態になると、骨を覆う骨膜に、正反対の電氣現象を誘発し、拡大共振を起します。共振によって電荷が増加し、それと共にエネルギーも増加します。しかし、もし共振のエネルギーが増えなければ、分極状態は、骨の中に留まったままなかなか解消しません。心はいつまでも気分が晴れず、憂鬱状態を繰り返します。しかし共振を起してエネルギーが増え、骨から骨膜に共鳴吸収され出すと、始めは拡大共振を起しても、次第に膜外の環境(身体内の骨の周りの空洞や、肉や血や皮膚の組織から、更には身体外の空洞の電荷)に、次々に共鳴を起こさせ、吸収されて行くことによって、エネルギーが消失して行きます。吸収されたエネルギーは概ね熱になり、そして、電荷が取れれば、自然に磁氣も消え、オホヤソマガツの状態も沈静化されます。つまり、心も怒り心頭に達して、カッカとする状態が無限に続くわけではなく、興奮はやがては治まり、熱も冷めるのです。
 カッと怒りを発散したり、泣いたりしてしまえば、あとは却ってサッパリしますが、そこまで行かず、いつまでも心が正反に分裂して、憂鬱な状態を続けることがあります。早くサッパリするためには、エネルギーをどんどん高めて、分極を早くとる必要がありますが、いつまでももやもやしているのは、エネルギーが不足で、骨が分極状態に留まり、なかなか解決できないためだといえます。この状態が甚だしくなれば、精神病に陥ってしまいます。これを平常状態に戻すために、意識レベルの低い人は、「ヤツ当たり」や「ヒステリー」を発して、電荷のエネルギーを増し、共鳴吸収を促すという自分勝手な自衛手段に訴えるために、周囲は迷惑するのですが、本人は痛手を負わず、案外健康的に収まってしまいます。
 また、充分コントロールを弁えた達人なら、例えばより高次の関心事へと昇華させるとか、肉体を激しく使って添加させるとかすることができますし、そもそも僅かなカタムキの間に気付いて復元し、自身も周囲も傷つけないようにできます。
 ところが、なまじ「修養」を志すような努力家は、他に向かって怒りや悩みをブチまけるようなことができず、したがって、骨はいつまでも痛み続けるために、五臓六腑に悪影響をもたらし、胃・腸・肝・腎・膵臓等に電氣欠乏状態が生じ、いずれは悪性の癌などの発生する原因となると考えられます。

 以上のように、カタカムナ人の直観によれば、心の現象は、人骨と骨膜における電氣的現象であるため、誘電質の石灰質で構成された骨や骨膜の状態が、カムヒビキの歌詞に示された内容と、どのような関係に在るかをもう一度吟味してみます。

 <オキツ カヒベラ>という状態は、恒常の状態であるので、骨は電荷を現わさず、電気絶縁の状態に置かれ、骨膜の膜電位だけが、精神を支配している状態と考えられます。
 <ナギサビコ>という状態は、粒子が分裂している形の意味ですが、骨物質の原子において、核の片寄による、電氣的プラス、マイナスの極ができ、いわゆる「誘電分極の状態」となり、骨は電荷をもつ状態です。
 <オホヤソ マガツ>とは、荒れ狂う意味の状態です。それは、骨の誘導分極によって、骨物質原子の核(アマナ)の周りに生じる、核磁氣エレメントが、回転運動の状態にあり、それに伴って、誘電分極の電荷が、激しく移動運動を起す状況です。心は怒りの状態にあります。
 <オキ サカル>とは、立体的に分かれる意味であり、骨膜が膜電位を発生して、骨に接する膜面と、膜の外面とは、正反の電荷をもつ状態になります。心は、正反性に動揺する心理状態です。
 <ヘツ ナギサビコ>とは、粒子分裂が消滅することによって、恒常の状態に復元する意味です。そのことは、骨の誘電分極の状態が消失して、恒常の状態になることを示しています。
 <ヘツ サカル>とは、調和平衡を保つ意味であり、骨の電荷が、空間電荷に共鳴吸収される状態を示し、安定した心の状態といえます。
 <アマナ イツ>とは、原子核(アマナ)と、核外電子(サヌキ)が、骨原子の、正反性の電氣現象に参与する意味です。
 <オホマ トコベラ>とは、骨の分極電荷が、骨膜の膜電位と共鳴し、電氣エネルギーを増すと共に、身体内外環境の、空間電荷の共鳴吸収によって、消失する現象を直観したものです。
 <カム ナホヒ>とは、本来の恒常状態に復元しようとするポテンシャル能力があり、心も安定状態に直るという意味です。

 以上の語の意味を踏まえ、元の句を、精神現象に当てはめて、以下のように解釈をすることもできます。

骨の原子の原子核(アマナ)が、何かの理由で中心を離れて一方に片寄ると、原子核の周囲の電子が反対側に片寄って、原子内の正反の電荷が分極する。すると、原子の周りに磁場が発生し、電子は回転しているために、回転運動の磁氣となり、原子がくるくると回転を始める。心は怒りの状態となる。これが続くと、骨膜が膜電位を発生して、骨に接する膜面と、膜の外面とは、正反の電荷をもつ状態になる。心は、正反性に動揺する心理状態になる。やがて、骨原子の分極の電荷が、骨を覆う骨膜の、膜原子の電荷と共振し、電流を強めると共に、内外の空間電荷の共鳴によって、骨の電荷が、空間電荷に共鳴・吸収され、次第に減少して消失する。それによって、恒常の状態が復元される。

 私たちが無意識に使う言葉の中に、「骨を折る」という言い方で、心を配って苦労する意味を表していたり、「粉骨砕身」「骨身を惜しまず」とか、「恨み骨髄に徹す」とか「骨を削る」とか、「骨まで愛す」や「骨惜しみ」という表現が使われます。また、「老骨」とは年を取って、骨まで硬化した感じが出ています。
 「心と骨の関係を重視したカタカムナ人の直観が、日本語として現在にまで伝わっている名残ではないか」と楢崎皐月は言っています。




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