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ひかりと愛といのち〜三浦綾子記念文学館

束の間の夏休み わーい!

札幌の講演会後に足を伸ばした旭川

旭岳のトレッキングがメインイベントだったのですが
台風10号のじわじわ接近?であいにくの雨に。

そのおかげでゆっくり時間をかけることが出来た
三浦綾子記念文学館
旭川が生んだ、いのちの作家

私の思春期から青春時代のベースを作ってくれた文学といえます。
三浦綾子さんと光世さんご夫婦の生き方にどれだけ憧れたか知れません。

エッセイも小説もほとんど読んでいる、と思っていましたが、
全作品は149点に及ぶそう。

小説「氷点」の舞台になった場所に建てられた文学館ですが、その背後に広がる外国樹種見本林の前に立つだけで、小説のクライマックス、雪の中を主人公陽子がこの林を抜けて命を断つために美瑛川の河原を歩いたシーンが蘇ります。


雪の時に歩いてみたい!
小説の舞台があちこちに掲示されています。
陽子の根源的な絶望に共感したシーンはこの川原!でも生い茂る雑草でここからは行けない、、

当時朝日新聞の連載でしたから、東京オリンピックで沸く1964年!60年前の日本中の朝日新聞を読む人たちは、もう心が無茶苦茶えぐられて、その日一日仕事にならなかったことでしょう!!
美しい魂の陽子をどうか死なせないでー!と続編の声がたくさん届いたのも分かります。その後、願いが通じて続氷点が書かれるわけですが、、。

館内に入ると、正面には綾子さんと光世さんの写真が飾られてあり、
それだけで泣きそうになりました。


同じ方向を見ている二人、象徴的です。パートナーとは互いを見つめ合うより
同じ方向を見つめたいですね。

丁寧に資料や展示物を見ていくと、若き頃の純粋で一途に、一生懸命に、どう生きるべきかを求めていた自分の健気な息遣いが蘇り、(そして、今はそれが一体どこに行ったんや、と人に突っ込まれなくても自分で突っ込んでいる訳だけど、、)
とても懐かしく、そして三浦文学に聖書と同じくらい支えてもらったこと、
その出会いに深く感謝しました。


42歳の遅咲きのスタートから
綾子さんの人生後半のこの仕事量を思うと、まだまだこれからだな!と思える
そして亡くなった1999年10月12日はなんと!私の誕生日でした!綾子さんのいのちの願いを受け継いでいくのかな、、

目に見えないものとの対話
人の生き方を骨太にする信仰という軸

30年近く経ち、
またこの原点に触れるということの意味があるなら、それは何だろうか?

今年は夫の光世さんが生誕100年
先に亡くなった綾子さんは生誕102年

3つの光というテーマで、現在は光世さんの功績を辿る企画が展示中でした。


光世さんの3つの光「与えた光・示した光・包んだ光」

三浦綾子の作品は体が弱くペンが持てない綾子さんの口述を
光世さんが筆記してほぼ全ての作品が描かれています。


ほとんど全ての作品は夫婦で誕生させたようなもの、お二人の子供と同じ
真面目が服を着ているような人と綾子さんが評していた光世さんの姿勢が良すぎる、、

二人で一心同体でこの世に生み出した作品達

実際の仕事場が残っています。

綾子さんが夫光世さんに捧げた詩に出会いました。

『三浦光世に捧げる詩』   
                綾子
光は個体になるのだろうか。
はじめてあなたに会った時
私は本当にそう想ったものだった。

光が声になるのだろうか。
はじめてあなたの讃美歌を
きいた時
私は本気でそう思ったものだった。

あれから4年
あなたはギブスにねていた
肺病やみのわたしを
待っていてくれた。

そして更に10年
あなたはすてきな真実な夫だった。
優しくて、親切で、時には
怒りっぽくって。決して光が個体になった
天使ではなかったけれど
光を差し示しながら
共に生きてくれる立派な人間の男だった

共に生きてくれる人間

私はちっとも立派なんかではないけれど、、

「共に生きる」ことの尊さ、
ここには少しでも到達出来るかも知れない、、
テーマをもらったような気がして
また、泣けました。


綾子さん、ありがとう、たくさんの文学ファンの人の中にこの光が今も灯っています。
同じところに立ってるー!同じように傘をさせば良かったー!立ち位置は反対っ!


次は旭岳のリベンジに!待ってろよー!「カムイミンタラ」(神々の宿る庭)!!






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