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モロッコで羊を捌く

この3月に10日間でモロッコにツアー旅行に行ってきました。

山伏修行の仲間がモロッコの方と結婚してワルザザードでホテル経営をしているので、大聖坊の星野先達率いる、修行仲間の一行で訪ねていくのが主目的の旅でした。
 カサブランカから出発して、フィズ・サハラ砂漠などを巡り、ホテルについたのは7日目。
 ここで、私が一番楽しみ、かつ恐怖していたイベントがありました。

 モロッコでは、日常的に羊を家で捌いて食卓に乗せます。
特に1年に一度の犠牲祭では、各家庭で一頭ずつ羊を準備して、家で羊を捌き、神に捧げて祭りの御馳走にします。1/3は貧しい人に、1/3はアッラーに、1/3は家庭で楽しむそうです。
和食の調理人をしていたので魚はサーモンサイズまで捌けますが、猟をしてジビエを捌くなど、特殊なことをする調理場でない限り、日本でと殺から調理までを一貫してすることはほぼありません。

日本の法律では、牛・馬・豚・ヤギ・羊の5種類の動物は決められた屠畜場のもとでしか土と殺・解体が禁じられているのです(5種以外は大丈夫)
 今回は、ホテルの食事に使う羊を、首を切るとこから調理するところまで、全てみせていただけるということになっていました。
私は、魚以外の動物を殺すところを見たことがなかったので、みてしまったら、ショックでもう2度と肉を口にすることができなくなるかもしれないという覚悟までして、現場に臨みました。

庭には朝から、羊が一頭、ひもでつながれていました。
のんびりと草を食んでいて、なんとも牧歌的で心和む光景です。
 モロッコでは、容姿や職業ではなく、いかに羊を上手く捌けるかがイケメンの基準だと教えてもらいました。その基準でいくと、そうとうイケメンのおじさん2人が、さっきの羊を引きながら、刃物をもってニコニコと笑ってやってきました。

「ビスミッラー」(神の名において)
の言葉とともに、首元を一閃すると、2つに割れた気道から、血が噴き出してきます。しばらく暴れていましたが、やがて静かになった羊のアキ レス腱のあたりに切り込みをいれ、皮を剝ぎやすくするために自転車の空気入れで空気をいれて身体をパンパンにし、首を落としてから、高いところに吊り上げて皮を剥ぐのです。

そこから、順次、効率よく解体していくのですが、見学する私たちのために、日陰に運ぶというひと手間をしていただいたおかげで、皮が剥ぎづらくなってしまったと伺い、大変申し訳なく思いました。(すぐにやれば、すぐにはがれるそう)

それから、全てが熟練の技に寄って、見事というほかない様子で手際よく解体されていきました。
取り出した内臓を洗わせてもらったのですが、魚はひんやりしているので、殺した感があまりないのですが、死にたての恒温動物の内臓は暖かいのです。日本に住んでいると、まじまじと動物の内臓をさわったり、処理したりすることは外科のお医者様でもないかぎり、そうありません。
手に感じる胃の裏側のざらざらした感触を、絶対に忘れないようにしようと思いました。生きているものをいただくということを、しみじみと有難いと思ったのです。

そうしている間に、いつしか、残酷で怖いことという先入観をもっていた気持ちは、美味しいごはんの下ごしらえに変わっていました。
あそこはヒレ肉ね……背ロースはラムチョップ……と、完全にこの先これをどうしたら、美味しくなるのかへの妄想でいっぱいになり、スーパーや市場で食材を買うときの気持ちとおなじになっていたのでした。

それから、完全に解体が終わり、解体職人さんは自分の取り分を取り分けて、毛は絨毯屋さんが引き取りに来て、あとは厨房のお仕事になります。
我々は、ずうずうしくも、厨房をのぞかせていただき、これらのお肉がどうなっていくのかを見せてもらいました。
肉は熟成させたほうが美味しいので、解体したては内臓からいただきます。肝臓を油の膜で巻いたものとか。小腸で油をくるんだものなどを串にさして、夜のバーベキューで焼く準備をします。

山のように持ち込まれた肉の掃除や切り分けを、若くてキレイなお嬢さんが、にこにこおしゃべりしながら、とても楽しそうに作業しています。
これが日常で、なにひとつ驚くべきことじゃないということが、とてもとても大事だと思いました。
犠牲祭の時は、羊の頭を抱えて血まみれの子供が笑いながら走り回っているそうです。

小さいころから、命をいただくことを知っているからか、イスラムでは愉快犯や強盗の殺人があまりないとか。日本でも必修科目に鳥の解体くらいはいれたら、ご飯のお残しや好き嫌いなどが激減するんじゃないかと思います。

私も、料理人に転職して、築地の仲買で魚を捌き始めてから、お残しや無駄は極力避けよう思っていましたが、この経験を経て、さらに食材を余すことなく使い切ろう、絶対食べれる量だけ提供しようと思うようになりました。
そして、毎日何かの命の上に生きている自分や、その他の命を本当に大切にしていかなければと思いました。

人間が一人生きているというそこに、どれだけの命が捧げられているのか。そう考えると、人を殺そうとか絶対に思えないと思うんです。

その命のために積み重ねられてきた多くの命が透けて見えるので恐れ多くて。

みんながそういう気持ちになると、犯罪もへるんじゃないかなあと思ったり、…おもわなかったり。

ちなみに、その夜の羊尽くしのディナーは、本当に美味しかったです。新鮮なレバーがあんなに臭みがなくて美味しいとは、びっくりでした。

 


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