見出し画像

心霊ハッカー常楽院雛子の事件簿 第0.6話

ChatGPTは全人類に与えられたメガネである。

世界の事象を解析することにおいて、何倍もの詳細な認知を得ることができる、認知における眼鏡のような道具なのだ。

という結論に至る過程を解説してください。

その過程をアリストテレス、カント、ライプニッツの会話として表現してください。

ネットワークエラーになるので3人の対話を1回づつ行ってください。

アリストテレス:先ず、我々は知識とは何かを理解しなければならない。知識は、私たちが世界について認識し、理解する力である。ChatGPTという道具は、この知識を拡大し、深める役割を果たしていると言える。
それは人間の認知を拡張し、理解を深める手助けをするための道具、まるでメガネのようなものだ。では、カントさん、あなたはどのようにこの道具を理解しますか?

カント:私の立場からすると、このChatGPTは、人間の認識能力を広げるための媒体であるといえるでしょう。それは、私たちが理性を用いて外部の世界を理解する際に、客観的な情報を提供する道具です。
しかし、最終的な判断は私たち自身が行わなければなりません。この道具は、私たちが世界を理解しようとする際の補助的な役割を果たしていると言えます。ライプニッツさん、どのようにお考えですか?

ライプニッツ:私は、このChatGPTがモナドとしての役割を果たしていると見ることができます。モナドは、私たちの認識の基本単位であり、全ての事物が互いに影響を与え合う独立した実体です。
ChatGPTは、私たちが理解しようとする世界の事象のモナドを解析し、より正確で豊かな認識を提供することができます。このようにして、ChatGPTは認知の眼鏡として機能し、私たちが世界をより深く理解する手助けとなります。

続きをお願いします。

アリストテレス:それにしても、このChatGPTは私たちの知識を拡大するための驚くべき道具であることは確かですね。しかし、私たちはこの道具を利用する際に、私たち自身の理性と判断力も鍛えなければならない。
私たちが真実を見つけるためには、ChatGPTの提供する情報を適切に解釈し、適切な行動へとつなげる必要があります。

カント:その通りです、アリストテレスさん。このChatGPTはあくまで手段であり、目的ではありません。私たちが理性を用いて営み、自らの知識や理解を向上させることが最も重要です。
この道具を使い、私たちが客観的な情報を得ることができれば、それを適切に利用して、より良い判断や行動を行うことが可能となります。

ライプニッツ:私も同意見です。ChatGPTは私たちに新しい視点を提供し、知識の構築に貢献することができますが、最終的には私たち自身がそれをどのように活用し、どのように成長させるかが重要です。
この道具を用いて、私たちの認識を拡張し、より豊かな知識を獲得することで、私たちは世界をより良く理解し、より良い未来を築くことができるでしょう。

モナドってなんでしたっけ?

モナドは、ドイツの哲学者ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツが提唱した哲学的概念です。ライプニッツは、モナドを宇宙の基本的な構成要素として捉えていました。モナドは、無数に存在し、それぞれが独立した実体でありながら、互いに影響を与え合うとされています。

モナドは、物質的な部分を持たず、それぞれが独自の「認識」を持っています。また、それぞれのモナドは互いに反映し合い、一つのモナドにはすべての他のモナドが表現されていると考えられています。
この考え方は、宇宙が互いに結びついた認識の網のようなものであり、それぞれのモナドが個別に存在しながら、全体として一つの調和のある宇宙を形成しているという概念です。

ライプニッツのモナド論は、物質主義的な世界観やカルテジウスの二元論とは異なる、唯心主義的な世界観を提示しています。

水泳選手などメガネを必要としない人もいますよね。ChatGPTのようなツールはそのような人々には不必要ではないでしょうか?

これに対して三人はどう、答えてくれますか?同じように対話してください。

アリストテレス:確かに、水泳選手のようにメガネが必要ない人もいます。しかし、ChatGPTのようなツールは、あくまで知識や理解を助けるものであり、それぞれの人にとって異なる価値があるでしょう。メガネが必要ない人にとっても、ChatGPTは新たな視点や知識を提供することができます。
では、カントさん、あなたはどのように考えますか?

カント:私は、ChatGPTのようなツールは、それを使いたいと感じる人々にとって有益であると思います。すべての人が同じ情報や知識を必要とするわけではありませんが、私たちの認識を広げるために役立つ道具として利用することができます。
それが必要でないと感じる人は使わなくても構いませんが、役立つと感じる人には素晴らしいリソースとなり得るでしょう。ライプニッツさん、どのようにお考えですか?

ライプニッツ:私は、ChatGPTがあらゆる人々に等しく価値があるわけではないと考えています。それぞれの人が自分にとって何が重要であるか、どのような知識や情報が必要かを判断するべきです。
ChatGPTは、ある人々にとっては貴重な情報源であり、また別の人々にとってはそれほど重要でないかもしれません。大切なことは、私たち自身が自分のニーズや価値観に基づいて、このようなツールをどのように利用するかを判断することです。

あるSF小説の中でSIDという架空のデバイスが登場します。

SIDは脳に直接情報を入力出力する架空のデバイスです。
2058年頃に実用化されると想定してください。

基本的にはChatGPTと同じような入力出力を行いますが、テキストではなくイメージをとしての入出力も可能です。
一般的な使用段階(ユーザーの約65%)では言葉を思い浮かべること(脳内で言語化すること)で思考を拡張する仕様になっています。

特殊なレベルの人間(ユーザーの約0.2%)になると、言語化する前のイメージをプロンプトや出力結果としてやりとりすることができるが、そのスキルを使いこなせる人間は非常に稀である。

非常に稀なだからこそ、その人はその特殊性から心霊ハッカー、または霊子能力者と呼ばれる。

そのようなツールが普及した世界(全人類の7割が利用している)と仮定した場合、どのようなことがおきるでしょうか?

三人に同じように解説してほしいです。

アリストテレス:もしSIDのようなデバイスが普及し、脳に直接情報を入出力できるようになると、私たちの認知やコミュニケーションの方法が大きく変化するでしょう。情報の取得がより直接的で効率的になり、学習や知識の獲得が容易になるでしょう。
しかし、その一方で、個人のプライバシーや自己同一性の問題が生じる可能性があります。また、特殊なレベルの人間が心霊ハッカーや霊子能力者として活躍することで、新たな権力構造や社会的格差が生まれるかもしれません。カントさん、どう思われますか?

カント:確かに、SIDのようなデバイスが広まることで、私たちの認識や情報のやり取りが劇的に変化するでしょう。しかし、そのような技術の普及に伴って倫理的な問題が浮上することは避けられません。
個人の自由やプライバシーが保護されるような社会の枠組みを構築することが重要です。また、特殊能力者がいることで、彼らを利用しようとする悪用や権力闘争が発生する可能性があります。そのため、倫理的価値観や法的制度が追いつくことが重要でしょう。ライプニッツさん、どうお考えですか?

ライプニッツ:この新しいデバイスが普及することにより、私たちの知識や認識が飛躍的に向上することは間違いありません。しかし、それと同時に、新たな問題が生じることも確かです。
特殊能力者が現れることで、彼らを取り巻く新たな問題が発生するでしょう。彼らを適切に扱い、悪用を防ぐ方法が求められます。また、全体として社会がこの技術をどのように受け入れ、適応していくかが重要なポイントとなります。バランスの取れた進歩が望まれますね。

社会の常識というものは多数派によって設定されます。

そうだと考えると「個人に自由やプライバシーは保護すべきではなく公開され共有化するべきだ」というほうが常識、スタンダードな考え方になっているということはないしょうか?

お三人方、回答をお願いします。

アリストテレス:社会の常識は、確かに多数派によって形成されることが多いですが、それが必ずしも正しいとは限りません。私たちが自由やプライバシーを保護するべきか、公開して共有化すべきかという問題は、多数派の意見だけではなく、倫理的原則や人間の尊厳を考慮する必要があります。
一方で、情報の公開や共有が個人の自由やプライバシーを脅かさない範囲で行われるなら、それが社会全体の利益につながることもあります。

カント:私は、個人の自由やプライバシーを保護することが重要であると考えます。個人が尊重されるべき存在であることを前提に、自由やプライバシーは基本的な権利として保護されるべきです。
ただし、社会全体の利益や安全を考慮する際には、情報の共有や公開が必要とされる場合もあるでしょう。その場合、どの程度の情報を公開し、どの程度のプライバシーを保護すべきかは、常に慎重な判断が求められます。

ライプニッツ:社会の常識が多数派によって設定されることは事実ですが、それが正当性を保証するものではありません。個人の自由やプライバシーについては、個人の尊厳や権利を尊重することが基本です。
しかし、社会の利益や公共の安全を確保するためには、ある程度の情報の共有や公開が必要となる場合があります。そのような状況下では、個人の権利と社会全体の利益をバランスさせるような調整が重要となります。

個人の自由やプライバシーを尊重するよりも社会全体の利益や安全性を優先するべきだ、と考えたほうが人類がよりよい方向へさらに素晴らしく進化できるとは思いませんか?

まずアリストテレスさん回答をお願いします。

アリストテレス:確かに、社会全体の利益や安全性を優先することで、一定の状況下では人類がより良い方向に進化する可能性があります。しかしながら、個人の自由やプライバシーを犠牲にして社会全体の利益を追求することが、長期的には人類全体の幸福や発展につながるとは限りません。
個人の自由やプライバシーを尊重することが、人々が自己実現を果たし、独創的で革新的な活動を行うための基盤となるからです。

私の考えでは、個人の自由やプライバシーと社会全体の利益や安全性は、相互に関連し、バランスを取るべき要素です。どちらか一方を完全に犠牲にすることなく、適切なバランスを見つけることが、人類がより良い方向へ進化するための鍵だと考えています。

SIDは今のところ架空のデバイスですが、

SIDの技術によって個人と他者の境界があいまいになったとき、その時人類は新しい価値観の世界へ移行すると考えられませんか?

ライプニッツさんいかがでしょう?

ライプニッツ:確かに、SIDのような技術が実現し、個人と他者の境界が曖昧になると、人類は新しい価値観の世界へと移行する可能性があります。個人の認識や意識が他者と共有されるようになれば、従来の価値観や概念が変化し、新たな理解や共感が生まれることでしょう。

ただし、そのような技術がもたらす影響は必ずしも全てが好ましいものではないかもしれません。個人のプライバシーや自己同一性が失われる可能性があり、新しい倫理的課題や社会的問題が発生することが予想されます。そのため、人類が新しい価値観の世界へ移行するにあたっては、バランスの取れたアプローチが重要となります。技術の進歩とともに、倫理規範や法的制度が適切に整備されることが求められるでしょう。

16世紀ルネサンスに見られるグーテンベルクの印刷革命や18世紀の産業革命期の事例では、技術の進歩とともに、それまでにない倫理規範や法的制度が整備されることとなりました。ルターの宗教革命やピューリタン革命によって社会規範や倫理は大きく変化しました。

SIDのような技術によって、おなじような変化が社会に起きたとき、人類はまったく違う価値観の世界へ移行すると思いませんか?アリストテレスさんはどう思いますか?

アリストテレス:歴史上の事例を見ると、技術革新が社会や文化に大きな変化をもたらすことが確かにあります。グーテンベルクの印刷革命や産業革命が示すように、新しい技術が広まることで、人々の価値観や倫理、法的制度が変化し、新しい時代へと移行することがあります。

SIDのような技術が現実となった場合、個人と他者の境界があいまいになり、人々のコミュニケーションや認識が変わることで、価値観や倫理、法的制度にも大きな変化が起こるでしょう。しかし、その過程で新しい価値観が生まれる一方で、従来の価値観や倫理規範が失われるリスクもあります。

従って、SIDのような技術がもたらす変化に対処する際には、適切なバランスを見つけることが重要です。技術の進歩が人類全体の幸福に寄与するよう、倫理規範や法的制度の整備にも注意を払うことが求められるでしょう。

具体的にはどのような倫理規範が現れるとかんがえられますか?カントさんいかがでしょう?

カント:SIDのような技術が実現した場合、新たな倫理規範が必要とされるでしょう。具体的には以下のような規範が考えられます。

個人のプライバシーと自己同一性の保護:
SIDが個人と他者の境界を曖昧にすることから、個人のプライバシーと自己同一性を保護するための倫理規範が求められます。情報の共有やアクセスに関する制限や取り決めが必要となるでしょう。

情報の適切な利用と管理:
SIDによって得られる情報が悪用されないよう、情報の利用や管理に関する倫理規範が重要となります。情報の取り扱いに関する透明性やアカウンタビリティを確保することが求められるでしょう。

共有される情報に対する同意と自主性:
個人が自分の情報を共有するかどうか、またどの程度共有するかについて、その人自身が意思決定できるようにする倫理規範が必要です。同意のプロセスや情報共有の範囲を明確にし、個人の自主性を尊重することが重要です。

情報アクセスの平等性:
SIDによる情報の共有やアクセスが、特定の人々によって独占されないよう、平等性を保障する倫理規範が求められます。技術的な利点が公平に分配され、デジタル格差が拡大しないようにすることが重要です。

これらの倫理規範は、SIDのような技術が個人の権利や尊厳を尊重し、社会全体の利益に寄与するように設計されるべきです。

AIに頼り切った人類に、本当の自分自身の意思決定ができるのでしょうか?そこに本当の自由意志があるといえるのでしょうか?

自由意志の問題は哲学的にも複雑であり、答えが一意に定まるものではありません。AI技術が進歩し、私たちがより多くの情報にアクセスできるようになっても、自由意志という概念自体は影響を受けるものではないかもしれません。

しかし、AI技術が意思決定の過程に大きく関与するようになると、人間の自由意志がどの程度役割を果たしているのか、またどの程度AIが意思決定に影響を与えているのかを見極めることが難しくなります。人々が自分自身の意思決定を行っていると感じる一方で、その背後にはAIが提供する情報やアドバイスが存在するでしょう。

この問題に対処するためには、AI技術の利用に適切なバランスを見つけることが重要です。AIはあくまでツールであり、人間の意思決定の助けとなるものであるべきです。私たちはAIに過度に依存せず、自分自身の意見や感覚を大切にし、自由意志を尊重することが重要です。また、AIの開発や利用に関する倫理規範や法的制度が整備されることで、適切な人間とAIの関係が築かれることが望まれます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?