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第7話 エリカ・ロドリゲス

第7話 エリカ・ロドリゲス

私には七人の守護者がいる。

 ミゲルはいつも優しくて、私にたくさんの助言を与えてくれる。彼はわたしの12歳年上の兄で、私を守るためにそばにいる。「口癖はプライドを高く持て。誇りを忘れるな。」

 ソフィアは3つ上の姉で、いつも私を笑わせてくれる。とても優しくていろいろなことを教えてくれる。わたしのことをかわいい可愛いと褒めてくれるし、とても羨ましがってる。私はソフィアみたいな素敵な女性になりたいといつも思っているのに、お姉ちゃんはいつも言う。
 「黒い髪がすごく好き。」「かわいい服が本当に似合ってうらやましい。」「頭の回転が早いところは私にはないわ」

 エミリオは従兄弟。一緒に遊んでくれる優しいお兄さんだ。けれどもめんどくさがり屋でなんとか楽な方法がないかといつも考えてる

 父親のアントニオはときに厳しいことを言うけれど頼りになる。けれどもすごく怒りっぽい。一度火がついたら感情を抑えきれない。やりすぎちゃうところがあるのだと思う。少し怖いなと感じることもある。

 ジュリアはわたしのおばちゃんでいろいろなことを知っていて、挨拶の仕方には特に厳しい人。なによりも私の幸せをねがっている。得たものを全て私に与えようとしている。どんなものでもどんなことでも欲しがっているようにも見えることがある。

 ルイーザはお母さん。家族のために自分をいつも後回しにする優しくて温かい大好きな人。私がお腹をすかせないようにいつも考えてる。
「世の中のいろいろなことを全部知っておかないと安心できない」ってよく言ってる。
「知らないと騙されるし、奪われるんだ」
「とにかく情報は多いにこしたことはない」そんな考え方だ。

 パブロおじさんは冒険好きで、色々なことに興味を持つことの大切さを教えてくれる。いろいろな道具の知識があって、どんなものでも使いこなすことができるし、つくることもできる。

 七人はいつもわたしのそばにいて、手助けしてくれる、私だけに見えるセラフィム。

 私が物心ついた頃、多分2歳か3歳ぐらいのときにはみんないた。

 いつだって彼らは相談に乗ってくれるし、正しい道を示してくれる。

 私が5つになったころ、どうやら彼らの姿は私以外の人には見えていないということに気がついた。声も聞こえていないらしい。

 5歳の私はそれをそのまま受け入れた。

 私は他の人達とは違うのだ。

 他の人達には見えなかったのだけれど、その中で一人だけ、セラフィムのことを知っていてミゲルたちと話をすることができる男がいた。

 私はドンと呼んでいた。

 ドンはものすごいお金持ちで、いくつものレストランや飲み屋を経営していてホテルや不動産もたくさん持っていた。いろいろなビジネスをしていた。

 私が生まれるずっと前、サンアンドレアス断層を震源とした大地震がアメリカの西海岸を襲った。サンフランシスコ、ロサンジェルス、シリコンバレーが壊滅的な被害を受けた。そのころはメキシコにIT企業のいくつかが工場進出を果たしていたこともあってアメリカから国境をこえていくつもの情報産業の企業が引っ越ししてきた。特にモンテレイ、ケレタロ、グアダラハラは量子コンピューターのハブを形成していて、米国企業の受け皿として十分に機能するようになってた。

 2040年代にはキュービット・ネクサス(The Qubit Nexus)と呼ばれる量子コンピューターのハブとなる地域を形成し、量子コンピュータ・暗号資産とLLM・核融合発電の3つが同時期に発生したことで起きた技術と経済革命がこの地を豊かにしていった。ドンはその流れにのって、組織を拡大していった。

 他の人達は、彼のことをボスと呼んでいた。

 ドンの家は大きなヴィラで、壁には見知らぬ言語の書かれた古い書物や、ドンが収集した美術品が並んでいた。部屋の中央には大きな暖炉があり、その上には金色の龍が描かれた大きな絵画が掛けられていた。

 その大きな建物のなかにある一室はいくつものサーバーや高性能のコンピューターが何台も置かれていた。部屋の中央には大きな丸テーブルがあり、そこではビエントス、ルナ、ススロスがいつも作業をしていた。彼らは黙々とコンピューターのキーボードを叩き、組織の運営を支えていた。

 今考えると、彼らはドンの右腕で、いつも彼のそばにいた。

 彼らは冷酷であり、時には残忍でもあった。だが、その目は私を一度も見落とさなかった。彼らが与えられた任務を遂行するときのその瞳には、驚くべき冷静さと集中力が宿っていた。
 ドンのビジネスは表向きはまともだったけれども、裏ではあらゆる違法行為に手を染めていた。薬物販売、武器の製造販売、殺し、売春、たぶん、やっていない犯罪行為はなかったのだろうと思う。

 麻薬組織といえども、その事業は合法的なフロントから闇のサイバー犯罪まで幅広く、その中でもスパムボットの運用は重要な一環を担っていた。彼らの手により、世界中に稼働するスパムボットのおよそ40%がこの部屋から制御されていると言われていた。

 ビエントスはボットネットの設計者であり、無数のボットが一糸乱れぬ動きを見せるのは彼の指揮によるものだった。一方、ルナはボットのプログラミングとその更新を担当し、ススロスはシステム全体の監視と安全性を確保していた。

 これらのスパムボットは、組織の資金調達、情報収集、競争相手への攻撃といった多岐にわたる活動を支えていた。一見、迷惑メールを送り付けるだけの存在に見えるかもしれないが、その背後では巧妙な戦略と技術が組み合わさり、"El Círculo de Quetzalcóatl"の影響力を世界に拡げていたのだ。
 そしてもう一つ。彼らが言うには「未来への投資」ということだったのだけれど、「バルブ」や「ボンベ」と呼ばれる電子ドラッグの製造もここでの重要な仕事の一つだった。
 電子ドラッグの「バルブ」は、その名前が示す通り、流れを制御する装置の役割を果たす。バルブという名前は水道やガスパイプのような流体が流れるシステムで使用されるのだけれど、電子ドラッグでいうところの「バルブ」は特定の神経伝達を開放または閉鎖する能力を指している。つまり、ユーザーの意識状態を切り替える役割を果たす。
 そしてボンベは通常、ガスや液体を保存するための圧力容器を指す。電子ドラッグでは、「ボンベ」は一定の「圧力」または強度で作用する、強力な電子ドラッグを指している。つまり、その効果は一気に放出され、短期間で強力な感覚変化を引き起こす。市中にすでに流通している電子ドラッグもある。有名なのはフォトショップとイラストレーターだ。
 **フォトショップ(Photoshop)**は、現実を「編集」や「修正」する能力を持つ。電子ドラッグの「フォトショップ」は、ユーザーの認知や知覚を変化させ、現実を「編集」する体験と快楽を提供する。**イラストレーター(Illustrator)**は、ユーザーの現実に「描画」や「デザイン」を加える能力を持つ。電子ドラッグの「イラストレーター」は、ユーザーの現実に新たな要素を「描画」し、通常の感覚範囲を超えた体験を可能にする。どちらもともに中毒性がある。コカインやマリファナと同じく使い続ければいずれ廃人になってしまう。

「もう少ししたらお前もここで働くことになる」そう言ってドンは私の頭をなでた。

 初めてその部屋を見せられた時、こちらをちらりとも見ない三人を見ながら、私の未来はこの部屋で終わるのだなという予感がした。

 セラフィムたちはそこにもいた。彼らは私の視界の隅から姿を現し、私の行動を見守っていた。しかし、彼らはと交流することはなかった。ドンの前にいるときは質問されない限り答えない、それが彼らのスタンスだった。

 私が6歳になるまでには、私とセラフィムたちとのつながりが深まっていった。彼らが存在することで、私は自分が一人でないことを実感していた。けれどもそのときの私は知らなかったのだ、彼らが何者であり、私に何を教えようとしていたのかを。

 私が4つか5つになったころ、アメリカでなにか大きな出来事があって、そのゴタゴタは私の住んでいる地域にも影響をあたえていた。

 夏の暑い日だった。武装した警官たちがヴィラに何十人もやってきて、ルナやススロスが殺されて、ボスはどこかへ行ってしまった。生きているのか死んでいるのかはわからない。多分死んでいるのだと思う。

 私はビエントスに連れられて何処かへ逃げようとしていた。

 そのときルイーザが言った。

 「今がチャンスかもしれない。ビエントスにお願いしてみて」

 「何をお願いすればいいの?」私は質問した。

 「自由になろう、一緒にって言えばいい。」とパブロおじさん。

 「ボスはきっと死んでしまった、っていうのもいいかもな」とエミリオが笑う。

 ビエントスは私の手を引きながら夜の街を歩いている。私は叫ぶ

 「一緒に、自由になろう」

 彼の足が止まる、しゃがみこんで私の目を覗き込む。

 まっすぐにビエントスの目を見ながら私は言う。

 「ボスはきっと死んでしまった。」

 ビエントスは視線をそらす、まばたきをするたびに視線がゆらゆらと揺れているのが見える。大きく息を吸って、ゆっくりと吐いたあと彼は言った。

 ビエントスは、何かを少し、けれども深く考えているように「そうだな」とつぶやくように言った。

 「そういえば、君の名前をまだ聞いていなかったな」そう言ってビエントスは顔を近づけた。

 私は自分の名前を伝える。

 ビエントスは確認するように答える。

 「そうか、エリカというのが君の名前だったんだね。よろしくエリカ。」

 ビエントスは話し続ける。

「これから僕たちはメキシコシティーを離れ、エル・モシージョに向かう、距離は1000キロ以上ある。飛行機で行ければいいのだけれど、直行便はないし、何よりも金がない。だから自動車で行く。三日もあればつくだろう。そこまで行けばボスのことなんて誰も知らないし、大丈夫だと思う。エルモシージョには僕の従姉妹がいる。」

 そのあと、私たちは、15号線(Federal Highway 15)を北上した。旅の間中パブロおじさんはずっと話し続けていた。トルーカという大きな街に到着したときには、そこはメキシコの主要な工業都市で、人口はおよそ90万人いるということ。もともと古代マヤ文明の重要な地域であったという歴史あること。そして、治安は他のメキシコの大都市同様に慎重さが求められる地域で銃は携帯したほうがいいということ、通り過ぎるだけなら特に問題はないということを話してくれた。
 その次の町モレリアについた時には、この町はユネスコの世界遺産にも登録されている植民地都市で、街並みには古代からの伝統が息づいているのだと説明してくれた。人口は約80万人で、治安は比較的良くて観光地としての人気が高いとかなんとか。モレリアで一泊したあと更に私たちは北上する。

 次の町はグアダラハラ。ここはメキシコで二番目に大きな都市で、人口は約150万人で観光地としても人気があり、美味しい料理や音楽の街としても有名だと説明していた。
 治安については、メキシコの他の大都市同様に注意が必要だったけれど、観光客には基本的に安全な地域とされていて、ソフィアはついでに観光すればいいのにと文句を言っていた。特にオスピシオ・カバーニャス(Hospicio Cabañas)は絶対に見に行きべきだと彼女は言って、私からもビエントスに頼んでみたのだけれども
「そんな時間はとれない、一刻も早くエルモシージョに向かわなくては」と断られてしまった。
 他にも動物園があることをソフィアは教えてくれた。動物園は私も見たかったけれどもビエントスが駄目だっていうのがわかっていたので何も言わなかった。

 グアダラハラを過ぎて6時間後ナヤリット州のテピックに着いてそこでもう一泊した。ここは比較的小さな都市で、人口は約10万人弱。一番安心できた町だった。工科大学があって学生が多い海沿いの町だった。地域の伝統的な様式とスペイン植民地時代の影響が混ざりあった建物、美しいファザードや大きな塔もあった。ずいぶん古いものに見えた。木や石などの素材でできた家もたくさんあった。

 私はこの町でもいいのになと思った。

 翌朝出発した私達はシナロア州のクリアカンでもう一泊したあと、エル・モシージョに到着したときにはもう日が沈みかけていた。

 パブロおじさんは、着くまでの間、ずっと話しかけてきた。私を安心させるためなのか、それとも単に興味があっただけなのかもしれない。

 すっかり日が沈み、夜がエル・モシージョを包み込んだ。

 ラテンアメリカのこの小さな町は、一見すると疲れ果てたように見える。けれどもなんとなく独特の生命力が息づいているように思えた。日没と共に街頭の灯りが点いて、まばらな光が暗闇をさらに浮かび上がらせる。赤い土が道路を覆い、その道はどこまでも続いているかのように見えた。

 私たちの車は、その暗闇の中を走っていた。
 遠くから漏れ聞こえる音楽、遠吠える犬の声、夜風が吹き抜ける音、細い路地を抜けると、いくつもの朽ち果てた建物の姿が見えた。頬を伝う汗を拭う。

 周りを見渡すと、色とりどりの壁画が残る低い建物、その間を縫うように延びる電線、道端に放置された自転車や古い車が見える。車の中から後ろを見ると、土埃が舞い上がっていた。追手らしい姿はちっとも見えない。

 「私たちを追う人なんてもういないんじゃないかしら」と私はひとりごちしたけれど、だれもそれには答えなかった。

 エル・モシージョの町を抜けて、私達は海の方へ向かった。
 途中、道の両脇にいくつもの太陽光発電パネルがあったけれど、どれも壊れているように見えた。
 塩の香りのする小さな漁村に着くと私達は車を降りた。名前もないような小さな集落だった。

「なにもないところだろう」とビエントスは言った。疲れてはいるけれど柔らかい笑みを浮かべていた。

 "Campo pesquero el sahuimaro”スペイン語で「サウイマロの漁師の町」。カリフォルニア湾にそってサウイマロ・ビーチという名を持つ海岸が何百キロも続いていた。

 次の日私はビエントスと二人で海を見にいった。ミゲルたちは姿を消していた。
 ここに来てから、彼らは私に話しかけることはなかった。呼びかけてもなにも帰ってこない。
 私はここで初めてセラフィムのいない時間を過ごしたことになる。

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