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七月一日 毎年この日になるといつも思い出しては考える。

「犬が飼いたい」

誕生日の一週間前に弟が両親に伝えた。ちゃんと世話をする約束を兄弟でして家で飼うことが決まった。

父の知り合いが血統書つきの柴犬の子犬を特別に5万で買わせてもらえるという話をつけて数か月後、待望の子犬が家にやってきた。

……どうも足が極端に短い

父の話によるとどうやらコーギーとくっついてしまったようで、タダでもらえた上におまけとしてみかんひと箱ももらえた!と大喜びだった。
かっこいい犬がほしかったと弟はがっかりしていたが、みなで名前を決めようとした矢先に弟が用事ができたと出かけて行った。

その間にゴルフにハマりだしていた父が
「ボギーだなこいつは」
と言いだし、少しもじって勝手に名前をボビーにしてしまった。

柴犬でもなく名前も決めさせてもらえなかった弟は、初日からテンションがおちて結局それから家族が世話する中でも散歩に行く回数が一番少なくなってしまった。

ボビーはあまり体は大きく育たなかったが、体に似合わず吠えたときはとんでもないボリュームだった。だが叱るとすぐに吠えるのをやめるし散歩中にほかの犬とすれ違っても堂々としていて突っかかりもしなかった。病気やケガもなかったので手がかからない犬だった。

自分が高校に上がった際に寮生活に入った。自分が帰省するたびにボビーに吠えられたがすぐに思い出し、耳を垂れて申し訳なさそうに苦笑いをするのがとてもかわいかった。

自分や弟が進学していくうちにどんどんと最初の約束はどこへいったのやらもっぱら両親がボビーと散歩に出かけるようになった。母にはちょくちょく散歩に行くよう促されたが学業ではまっていたプログラムや絵、バイトなど言い訳を作っては散歩に行かないようになってしまっていた。

就職して会社に行くようになってからはますますその機会も減っていった。笑顔で近づいてきてくれるボビーを少し撫でたら、そっけなく会社にでかけたり自室にこもって絵を描いたりする日々を過ごした。

だけどそんな自分とボビーに転機が訪れた。
自分は数年務めた会社を辞めてフリーランスになった。一気に増えた時間を持て余したのでボビーに接する機会が増えた。飼いだしてから一日で一番一緒にいた時間が長くなったかもしれない。

散歩には行ったり行かなかったりだったが、仕事が煮詰まったりしたらコーヒーを片手にボビーの隣に座った。ボビーは12歳くらいになっていたが見た目が1歳のころとあまり変わらず、手帳の写真と見比べて獣医に驚かれるほどだった。

だが人が近づいても気づく速度が遅くなったり、なでるとなんとなく毛づやが悪くなっているのを感じた。目や鼻もなんとなく利きづらくなっているようだった。

本当になんとなくだったがボビーともいつかお別れがくるのかなと散歩中に考えてしまったりするようになった。

だがそんな不安を打ち消すように散歩用の首輪が目に入ったら飛び跳ねるほどボビーは喜んでいたし、散歩中はガンガン前を走ってとても元気だった。

会社を辞めた年の6月30日、珍しく自分が朝夕二回ともボビーと散歩に行った。夕方の散歩、いつもと違う雰囲気を帰り道にボビーから感じた。家に近い公園のわきのあたりで異様に帰りたがらなかったのだ。散歩中に座り込んだことがなかったボビーが初めて道路に座り込んで、もっと行こうと引っ張ってきた。

だが帰って仕事をしたかった自分は抱きかかえて無理やり家に帰ってしまった。両親とそういうことはいままでなかったのになと食卓で話題になったがあまり気にせず就寝した。

翌朝、母に声をかけられた。起きて連れていかれた先でボビーが冷たく固くなって死んでいた。少し撫でてみたがいつもの感触はなく、石像でも触っているのかってくらいに固くなってしまっていた。

とりあえず二人がかりで一番涼しい部屋に連れていきボビーを横にしてやった。薄く目が開いていたので手でそっと閉じてやったら見た目が本当に寝ているだけのようだった。

翌日に火葬してもらうことになった。

一晩中最後の散歩のことを考えていた。あの時もう一回引き返して、もう一回り散歩に行ってあげればよかった。いやそれだけじゃなかった。会社を辞めた後、あんなに時間があったのだからもっと散歩に行ってやればよかった。高校も寮じゃなければもっと……さかのぼっては今更意味のないことを考えてしまっていた。

自室から出て、ボビーが寝ている部屋に出入りして、さわって撫でて、確かめたりする。今にも起きてきそうだった。ふと気づくとボビーの爪が長くなっていたので爪を切ってやった。

何をやっても自己満足にしかならなくて涙が止まらなかった。ついこの間買いだめしたばかりの犬用ジャーキーの山。誰が食べるんだよ。

目にクマをつくって動物霊園に家族で向かった。途中父がとんでもなく遠回りをしていたのだが、散歩に行っていたコースをすべて回っているのに気付いて何も言わなかった。

みかん箱と一緒に我が家にやってきた犬はみかん箱くらいの段ボールに毛布や花につつまれて送られていった。思えば寮に行くのがしんどくなっていた高校時代やバイトと学校で疲れたとき、会社と絵の仕事の両立でフラフラになっていたときもいつもすり寄って散歩に行こうとせがんできたボビーを7月一日に思い出す。

「七月の一日は覚えやすすぎて、一生忘れられんな!」

そんなことを言っていた父もすでに亡くなってしまったが今頃二人で仲良く天国で散歩してるだろうか。

そんなことを考えたりする日なのである。

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