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漢文曰く

戦国時代や三国志などの時代、ゲームや漫画、ドラマや映画などきっかけはともかく好きな人が比較的多い時代だと思う。

とかくここらへんの時代は僕も好きで、興味を持った小学生の頃からいろいろと資料をあさったり関連書籍をたくさん読んだ。

その中でもとりわけ楽しませてもらったのは図書館で見つけた、漢文で書かれた三国志の本だった。日本人向けに注釈を入れてはくれているが、一・二点や返り点などは基本ついていない。だが三国志の時代なのでほとんどが知っている言葉だったこともあり、内容は十分理解できた。

特に面白いと思ったのは人物の呼称だった。

戦国時代の話をするとき冒頭では織田信長など人物をフルネームで書くが途中から「信長は~……」などと表すように、見つけた漢文書は曹操や劉備を単に「操」や「備」と諱(本名)のみで表していた。このような諱のみの表記は日本の関連書物ではまず見られない、僕には目新しかった。

一部諸葛亮のように字が有名だったりする者は字(あざな)で「孔明」と表記されたりしていたが、張飛が「飛」とだけで表されていて呂布の呼称「飛將」の部分でこんがらがったりすることもあり、逆にそれが面白かったりしたのだった。

だが肝心の漢文のテストは赤点ギリギリであった。本文の内容は理解できるのだが問題が「どこに返り点を入れるのが正しいか?」みたいなものばかりや「この空欄を埋めよ」みたいな一部丸暗記が試されるようなものが多く、とてもげんなりしたのを覚えている。


最近、阿倍仲麻呂という人物をyoutubeで紹介している動画を見た。一部諸説もあるが簡潔に……遣唐使だったが難関とされているあの科挙に合格して日本人で当時の唐の役人になった、とんでもない人である。

動画ではその阿倍仲麻呂が李白と交友関係があったとあり、驚いた。僕の勉強不足もあるが、このような絡みを知っていれば漢文の授業でだらだらと読まされた白髮三千丈で始まる歌や早發白帝城などの作品群も興味を当時、もっともてたのではないか。

仲麻呂は50を過ぎて日本へ帰国しようと船に乗るがその船は流されてベトナムに行きつき、結局唐へ帰ってその生涯を唐で終える。

仲麻呂がベトナムに流されたのを知らず、亡くなったものと思い込んで仲麻呂を悼む李白の詩が残っている。死んだと思っていた仲麻呂が帰ってきた時、李白はどう思ったのだろうか。どのような言葉を交わしたのだろうか。そもそも再会できたのだろうか。

返り点の位置などよりも、そんなことのほうがよほど気になる。

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