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コシアブラ

僕は数年前から水墨画の教室に通っている。月一回の町内会サークルみたいなもので、最初は水墨画の描き方をを多少覚えたら半年くらいで辞めようかと考えていた。あとは独力で調べながら一人で楽しもうとしていた。

先生を含め、僕を除けば一番下の方でも70越えで僕の年齢の2倍、3倍近い方がが数名いる10人に満たない少数サークル。みなとても上手であった。なぜこの規模のサークルを見ておられるのかわからないくらい先生が良かったのだ。お名前で検索をかけてみたらgoogleで作品がいくつもひっかかる、本当になぜここで教えていただけているのか……。

とても良い機会だったのでしばらく続けているうちに数年が過ぎた。このサークルでは月謝を集めた後、7割ほどを先生にお渡しして残りは積み立てて年に数度遠出しては寺や山へ行きスケッチをする。

今年はコロナの影響で行けずじまいだが去年は愛知の三河方面にある山や近くの寺を見て回った。目的地に向かう途中、先生が車を山のふもとの売店で急に車を止めた。

「コシアブラがあった」

そう言って車を駐車場に止めて足早に買ってきて車のトランクに載せた。どう見てもただの草葉にしか見えない。

先生にあの葉はなんですかと尋ねると「天ぷらにしたらとてもおいしい、君にもひとつ分けてあげるから食べてみなさい。」とスケッチの終わった帰り、ひとつ分けていただいた。

家族は葉っぱを天ぷらに?と訝しむが売店に売っていたのと念のため調べたら山菜の女王であるらしい、なら大丈夫だろうと天ぷらにしてもらってご飯と一緒にほおばった。美味い、これは確かに美味い!僕はあっという間にご飯とコシアブラの天ぷらを平らげてしまった。

腹八分目の心地よい満足感の中でスケッチをしている時の先生とのやり取りを思い出す。先生は色紙にものの10分くらいで目に見える山や橋、川などを綺麗に描くと5分おきくらいに少し筆を加えて僕に見せてきた。

「少し手を加えたんだけどどこを変えたか、わかる?」
「ええと……ここですかね。」

当たったりたまに外れたりを繰り返す。最後は少し長く、数十分経った。もう一回見せてきてかなり良くなったんだけどどうでしょう、と見せてきた。

かなりわかりやすく良くなっているらしい、との事だった。時間も経過していたので僕もしばらくじっくりと眺めてここの川の深みが良くなった……いやこの橋の影が寄り濃くなって見栄えが前のものよりいい……。など複数候補をあげた。じっくり見ると先生の絵は本当に上手かったと改めて思っていたが

「最後のはね、どこも変えていないんだよ。」

からかわれたと思って笑って僕は返したが先生はとても落ち着いた声で、

「君が最後に気付いた部分は君がこの作品のいいところだけをしっかり観察して見つけれたもの。それは君の感性が前より良くなったって事だよ。」

絵に限らず人や物のいいところを探す癖をつければ人生が豊かになると先生はおっしゃった。先生は常にいいものを探しているから予定がなくとも、すぐにふもとの売店のコシアブラに飛びつけたのだ。僕はまずコシアブラ自体も知らなかったし、先生と僕との知識と感性の差はとんでもないものだと思った。

僕が今から人生をもう一周しても先生の年齢に届かない。それほどの期間を経ても先生の年齢までに、僕は先生のもつ感性の鋭さに到達できるのだろうか。年を重ねるのが少し楽しみになった。

まあ基本、とりたくないものではあるけども。

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