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わざわざかさばる重い本を持って行く話

12日間の東京旅行中は終始快適だったものの、ひとつだけ悔やまれることがあり、それは紙の本を持って行かなかったことだ。
こよなく書物を愛するであろうnoteコミュニティ諸氏からは面罵されてしかるべき過ち。
言い訳がましく、kindle paper whiteは持っていたと言っておきますが、まるで物足りなかった私の心根もお察しいただきたい。

では、当地で本を購入すればよいではないかと言われるに違いなく、事実たまたま行ったギャラリーが九段坂にあり、神田神保町まで歩いてみた。
しかしどうも、自宅、仕事場に積み重なっている読み途中の本たちが頭の片隅に気になって、そこにさらに読むべき本を積み上げる気にならず、また悪いことにその日は大変な夏日で頭が回らない。

ふらふら歩くうちに、白水社が神保町にあることを思い出した。
昨年、「私はゼブラ(アザリーン・ヴァンデアフリートオルーミ著、木原善彦訳、白水社Exlibris)」の表紙絵に私の作品を使いたいとお申し出をいただき、白水社担当の方とメールでやりとりをした。
その後、実際に作品をお送りして、色校正までやっていただき、私の作品が愛する書店に並ぶ景色は夢のような心地がした。

白水社担当の方とは一度もお会いすることがなく、メールと作品の往復だけで仕事が終わったが、白水社とはどんな建物だろうと見に行くことにした。
当日は土曜日で、会社は閉まっていたが、窓際のデスクに何やら書類が山積しているのが、通りから垣間見えて、近くに良さそうな喫茶店があり、その景色を見ただけで満足してしまった。

旅行にわざわざ重い本を持っていくことの愉悦については、下記神谷さんの記事が素晴らしい。
今晩は、キャンプに行く。
夏は涼しい自然の中で本を読むのが好きと言っていたしげもりさんが一緒だ。
「私はゼブラ」を持って行こうと思う。

 それでも病膏肓に入ると言いましょうか。鞄の中には何やら紛れ込んでいたりするわけです。

 串カツを食いに大阪ミナミへ行ったとき、小脇に本文七〇〇ページ、重さ八七〇グラムもある酒井隆史さんの『通天閣』(青土社:三八八八円)を抱えていたら、さすがに同行者にドン引きされました。

 でも、通天閣の見える風景、新世界を舞台に、大阪の風俗や経済の盛衰をネットリと描いた、東京ならざるもうひとつの「日本資本主義発達史」をジャンジャン横丁で広げずしてどうしましょう。



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