ぼくが家庭科教師になった理由

最近、初対面の人との自己紹介で、一通り自分のやっていることを話終えるっと、「なぜ家庭科教師になったの?」と聞かれることが多い。
多いというかほぼ100%聞かれます。

統計的に見ても男性家庭科教師はかなり少ないから、男性家庭科教師に会ったことがある人は珍しいと思います。珍しく思われるのも、当たり前といえば、当たり前の話ですね...

多くの方にとって初めて会った男性家庭科教師というだけで、興味をもってもらえるのはとてもありがたいことだなと。(そう思いつつも、いずれは男性家庭科教師が珍しいと感じられない世の中になって欲しいです。)


「初めまして、家庭科教師です!」

「家庭科?珍しいですね!」「なぜ家庭科教師になったの?」


こんな感じのやり取りを繰り返しているうちに気がつきましたが、「ぼくが家庭科教師になった理由」を語ることは、自分が何者であるかということを語ることと同じだなと思っています。

家庭科教師になろうと決意したのは大学1年生の時なので7年くらい前のことですが、その時の気持ちは今も変わっていないし、むしろ当時よりも力強くなっている。

なぜ家庭科教師になったのか、誰かに語るたび、自問自答を繰り返してきましたが、その答えは少しずつ言葉を変えながらも本質は一貫しているから、このタイミングで書き残しておきます。

それでは本題に。


「ぼくが家庭科教師になった理由」

漠然と教師になろうと思ったのは高校生の時。

もっともらしい理由といえば、高校野球の指導者になりたかったことくらいで、部活がしたくて教師の道を選びました。専門としたい教科があったとか、何か語れる教育観があったとか、そんことはなく、本当に何もなかったのが正直なところ。

大きな転換点となったのは、2011年3月11日。

僕の故郷は福島県浪江町という場所で、震災発生時は、高校卒業したばかりで、母校の部活動に参加していたため福島県双葉町にいました。

実家のある地域は避難区域となり、その日から生活の全てが変わりました。

その日を境に、今までの生活が一瞬でリセットされ、これから自分たちの生活はどうなっていくのだろうか…と、答えのない問いに向き合う毎日を過ごしたのを覚えている。

これからの生活に不安を抱きつつも、それなりに楽しく大学生活を送っていましたが、高校野球の指導者になりたいという熱量はすぐに変わったわけではなく、それなりに保たれたまま最初の1ヶ月が過ぎました。

家庭科との出会いは半ば強制的でもありました。

僕の進学した大学は、卒業要件として小学校教諭の免許取得が必須だっため、全教科に関わる講義を履修していました。おそらく小学校の免許取得が必修でなかったら、家庭科に出会うことなく今に至っていたかもしれない。

では、なぜ家庭科に惹かれたのか。

震災をきっかけに自分の生活について考えていた事はもちろん、当時は、被災地での支援活動をしている中で、たくさんの人たちの生活に触れる機会があり、「生きること」そのものについて考える時間がとても多かったです。

「自分たちの生活って、どうやってつくっていくのか」

震災前、当たり前のように過ごしていた日常は、震災後、当たり前のものではなくなりました。一から生活をつくっていくことは本当に大変なことなのに、その生活が壊れてしまうのは一瞬の出来事。これは、大きな自然災害に限った話ではなく、僕たちの生活はたくさんのことから成り立っているので、そのどこかが崩れてしまうだけで自分の生活もまた崩れ始めてしまいます。

世の中が多様に、複雑になっている現代だからこそ、もっともっと自分たちの生活について真剣に考えていかなければならない。

世界を広く見渡した時、自分の生活は果たしてこれからも持続していけるのだろうか。自分の生活の裏側で苦しんでいる人はいないだろうか。

そんなことを考えさせてくれたのが、家庭科でした。

大学に入学するまでの自分はといえば、家庭科に対する関心はほとんどなく、料理と裁縫をする教科くらいにしか思っていませんでした...

でも、それは違いました。

当時、家庭科を担当してくれていた先生がダメだったとかそういった話ではなくて、僕自身が家庭科をどのように認識していたかという話です。少なくとも、今、思っている家庭科とは全く違っていた。

僕が考える家庭科という教科は、「生きること」についてとことん考え抜き、「自分がこれからどう生きていくのか」について考え続ける教科です。

世界が多様に複雑に変わりゆく中で、僕たち一人ひとりの生活はあらゆるものから構成されていて、自分自身で良くしていけることもあれば、自分一人ではどうにもならないこともある。

「自分がこれからどう生きていくのか」を考えることは、自分が生きていく世界とどのように関わっていくのかということではないでしょうか。

「自分がこれからどう生きていくのか」

当時の僕が最も向き合っていた問いの答えに、家庭科を学ぶことで少しでも近づけるのではないのか。家庭科の奥深さに触れ、自分自身の成長を実感するたびに、家庭科の世界へ一歩、また一歩と進んでいきました。

大学4年間、自分の生き方について考え、これからどう生きていくのかを考えた時、家庭科を通して生きていくことが、何よりも情熱をもって突き進んでいけることだと思いました。

自分が何者であるか、自分に何ができるのか。

家庭科教師という仕事は、単に職業というだけではなくて、僕にとって自分を表現することができるフィールドというのが、今、考えていること。

新年度も、家庭科教師の自分と向き合い、家庭科を通して生きていきたい。


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