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#5 信越トレイルを歩く【2日目・前編】 かたくりの宿から森宮野原駅まで

かたくりの宿のロビーには小さな机が中央に四つ並べてある。宿泊者の邪魔にならないよう断りを入れて、ここで日記やスマホの充電をさせてもらった。充電を待っている間、ロビーの展示を見て廻った。信越トレイルのビジターセンターともなっているこの施設には、信越トレイルのハイキングマップが売られていたり、行動食になりそうなドライフードなども売られている。また、マタギ文化が発達した秋山郷らしく、熊との向き合い方や格言ともいえるような言葉が四方の壁に散りばめられていた。きっと、ここで育った子供は小さいころから熊と共存するための教育を受けていたのだろうと思った。

 先祖からの教えだろうか

国に見捨てられた秋山郷

かたくりの宿は廃校となった学校をリノベーションして宿泊施設にした場所だが、ここのパンプレットを読んで初めてここが「義務教育免除地」であったことを知った。そもそも義務教育免除地という言葉が初めてだったのだけれど、要は秋山郷は僻地すぎて教育なんて必要ないねと当時の明治政府から見限られた場所なのだ。なんて悲しい歴史だろうか。

さて、国から見放された秋山郷であったが、人々は諦めなかった。自分たちで私塾を始め、校舎も作り、長い間国に懇願して、昭和11年ようやく指定を解除された。この間44年。あまりにも大きな代償が残ったが、だからこそ人々はこの学校を大切に思った。学校は1992年に閉校となってしまうが、その翌年には後者をリフォームしてかたくりの宿として再出発した。今では地元の人の想いが残ったこの宿に、全国からたくさんの人が押し寄せる。ハイカーもその一人だ。ただ歩いているだけでは見えないが、少し耳を傾けてみると聞こえてくる音がある。僕たちはできるだけその音に耳を澄ませてみたい。

学校の沿革

米作りの境界が見えてくる

さて、二日目の信越トレイルは雨だった。早朝身支度を整え、6:45にテントサイトを出発した。今日は天水山を越えて野々海高原テントサイトがゴールだ。約30kmの道のりで、天水山の急登があるのでもっと早く出る予定だった。急ごう。

出発はかたくりの宿の裏山から始まる。つづら折りの登りで長い。しかも、どこからともなく猟銃を発砲する音が聞こえてきて、変な神経を使ってしまいやけに疲れてしまった。頂上のあずき地蔵には1時間ほどで着いた。トレイルはそこから長い舗装路となる。右も左も妙法育成牧場の一帯でのどかな風景が続く。途中、この牛たちは熊に襲われないのかなと思ったり、ここで摂れた牛乳はどこに行くだろうと考えたりした。とにかく下りの舗装路をスピードを上げて進んだ。

あずき地蔵
妙法育成牧場。牛を脅かすなと注意書きされていたので牛の写真は撮らなかった。

牧場を抜けると、中子という地区に入った。ここは明らかにこれまでの景色とは違う。広大な田園風景が広がっていたのだ。正直に言って、秋山郷で見かけた米作りの風景は申し訳程度で、せいぜい自給のためだろうと思う。だけど、中子の米作りは農業である。これで生計を立てている。妙法では牧畜を行い、そこを境にして、農業と狩猟採集という形態の違う文化が現れる。歩いているからこそ気づけた違いだ。

一度ある民俗学者の本を読んだときに、稲作イデオロギーという言葉があることを知った。米というのは言うまでもなく日本を象徴するありがたい食べ物なのだけれど、少し見方を変えれば中央による周辺への侵略の象徴でもあるということ。東北の歴史なんてまさにそうだ。狩猟採集を生業としていた蝦夷は米の隆盛とともに消えていったのだ。そのような文脈でみたとき、近年まで米が入らなかった秋山郷をどう見るべきか。僕には難しすぎてよく分からない。

一面田んぼだった中子

縦走前の楽しみ

11時。森宮野原駅に着いた。ここでは楽しみにしていることが一つあった。食事だ。自分より少し前に信越トレイルを歩いた知人が「ここは絶対訪れろ。うどんを何杯もおかわりした」と大変興奮気味に話していたのだ。僕はこれを楽しみに元気よく暖簾をあげた。

「すみませーん。食事できますか?」

中から若いきれいな女性が現れ、申し訳なさそうに言った。

「すみません。今日はやってないんです」

マジか、、。聞くと、どうもここは駅の休憩所で食事処ではないので、毎日やっているわけではないのだ。曜日によって食事を提供している日とそうでない日があり、残念ながら自分はそうでない日を引いてしまった。それでも女性は優しく、休憩所の中で買ってきたものを食べることはできるし、スマホの充電なども自由だと言った。僕はその言葉に従い、バッグを下ろし、充電をセットした後、近くのコンビニで買い出しと道の駅・信越さかえでラーメンを食べた。何かを買って休憩所で食べることも考えたが、これから関田山脈の縦走に入ることを考えると、最後に下界で食べれる最高の食事をしたかったのだ。腹ごしらえしたあとは、いざ天水山へ。長い一日になりそうだ。

行動食に買ったドーナツ

#6に続く