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あぶくま山地縦走ハイク

あぶくま山地は、宮城県南部から茨城県北部へと連なり、1200mを超える大滝根山を筆頭に高さ800m級の独立峰が各所に点在する山である。みちのく潮風トレイル(※1)においても一部そのルートとなっており、各山頂から望む太平洋の光景はサウスエンドポイントのハイライトとなっている場所だ。
※1 東北の太平洋側、青森県八戸市から福島県相馬市までを繋ぐ全長1,000kmを超える歩く道のこと

2020年に撮影した四方山からの風景

2020年にみちのく潮風トレイルをスルーハイク(※2)してから、ぼくにはやってみたいことがあった。それはこのあぶくま山地を縦走してみたいということだった。宮城県から茨城県まで続くこの山を、直線距離にして170km近くにもなるこの道のりを、一度に歩いてみたらどうか。そう考えるだけで胸の高鳴りを抑えることができなかった。
※2 一度にすべての行程を歩くこと

しかし、すぐにその困難さに直面した。まず、あまり情報がなかった。本当に一本で歩けるような道が整備されているのか。ネットで公開している個人の山行記録を見ても、いくつかの山を縦走的に歩いている人はいても全ての山を繋いで歩いている人は見られなかったし、又聞きのレベルで通っていると聞くことはあっても確証には至らなかった。また、原発事故の影響もある。いまだに福島県では帰還困難区域が解除されていない区域があり、とりわけ浪江町を通ることは不可能だと思った。計画は一旦保留となった。

福島県のHPから

一つの提案

それから月日が経ち、今年になって会社の同僚から一つの提案があった。

「石井さん、月一ぐらいでどこか一緒に歩きませんか?」

この提案自体は、特にあぶくま山地を歩くかどうかの提案ではなかったのだけれど、ぼくはすぐにこの提案に飛びついた。

「いいですね。一つ提案があるんですけど、あぶくま山地という宮城県から茨城県まで続いている山があって、いつかこれを縦走してみたいと思っていたんです。で、実際行けるかどうかは分からないんですけど、でも行けるところまで行けないかなと思って。」

同僚のMはすぐに快諾した。そして「自分も調べてみます!」と言って、調査に当たってくれた。結局、休みの取れる日数や実際に歩けるルートなどを考慮して、あぶくま山地北端から福島県新地町の鹿狼山までを歩くことにした。全行程50km弱、これを一泊二日で行く。

ごく簡単な二日間の行程図を作成した

うまく行かない一日目

5月27日早朝、僕たちは岩沼のニトリに集合し、二台の車で鹿狼山の登山口に向かった。ここで一台の車をデポし、もう一台の車でスタート地点である柴田町の槻木駅へ向かう。念のためよく知らない人に説明しておくと、二人以上でトレイルハイキングに行くとき、こういう歩き方ができるので便利だ。一台をゴールに駐め、一台をスタート地点に持っていく。こうすることで、ハイキングを終えたときにすぐに車を回収し帰途に就くことができるのだ。

槻木駅側から。前方に見える工場脇から山に入った

ハイキングは困難を極めた。まず山に入るところからしばらくの間、藪漕ぎに襲われた。みちのく潮風トレイルの合流地点である割山峠辺りまでの大部分はこのような感じで、あまり人が入っていないのだろうと思わせた。また道の迂回も想定外だった。後で確認してみると、これまで歩いていた人もこの迂回を通っている人が多かったので、ある意味この道が正規ルートなのかもしれない。しかし、計画の時点でぼくはそこまで確認していなかった。これは自分のミスである。この時点で予定より時間が押していたこともあって、焦燥感が募り体に余計な負担が増える結果となってしまった。

みちのく潮風トレイルのルートになっていないところは藪が多かった
箕輪峠に至る迂回路。真っすぐは土砂採掘の現場でとても歩けるとは思えなかった

動けなくなったM

それがたたってか、一緒に歩いていたMが悲鳴を上げた。両足を攣ってしまったのだ。こうなると、ほとんどどうすることもできず、諦めてエスケープするか、少しずつでも歩きながら体の回復を待つかしかない。結局、行けるところまで行くということになって、この日目標にしていた深山は諦め、その前の四方山近くの沢で野営することにした。

絶望するM

日中汗をかいて歩き終えたハイカーの夜は静かに進む。テントを立て、食事の準備をする。必要な分だけ食べたら、汚れたマグを拭いて、歯を磨き、今日一日のことを振り返って、寝袋に包まれる。これは一種の儀式のようなもので、どこまでも厳かだ。これは二人であっても変わらない。お互い訥々と言葉を交わすようなことがあっても、お互いの神聖な時間を破らないよう気を配る。僕たちは二三の言葉を交わして眠りについた。

自分にとって初めてのハンモック泊。きれいな夜空は見れなかったが、快適に眠れた
沢水は浄水して飲む

ピーク取りの二日目

朝6時、沢で水を補給して出発。前日距離が稼げなかったので、その分だけこの日の負担が大きくなる。もしかしたら30km近くになるかもしれない。同僚Mの足も心配だった。

四方山から深山、それからいくつかの山と峠を越え、ゴールの鹿狼山への道のりは過酷だった。尾根歩きには違いないのだけれど、それぞれの山がぴょこぴょこと飛び出しているので、登っては下り登っては下りの繰り返しだった。一日目よりもずっときつい。それでも気持ちゆっくりめに歩いて、一歩一歩距離を稼いでいった。Mも「このペースなら大丈夫です」と辛抱を続けた。

深山鎮魂の鐘

歩き始めて二時間、深山に着く。深山には東日本大震災の犠牲者を悼む「鎮魂の鐘」が遥か太平洋を望む形で設置されている。鐘は富山県の老子製作所製、広島の「平和の鐘」や岩手県大船渡市の「鎮魂愛の鐘」なども手掛けている老舗の銅器メーカーで、鐘を建立したのは震災直後に設立された地元のNPO法人「山元・あしたの響き」だった。設置された詳しい経緯などは分からないけれど、山元町は600人以上の死者を出していたことや、鐘を建立した長岡久馬さんが作詞した「ああ深山の鐘」(歌:さとう宗幸)を読むと、設置に至った長岡さんの想いが汲み取れるような気がした。

君はいま
どこを歩める旅人か
どこでほほ笑む旅人か
どこで安らう旅人か
聞こえたら
この鐘の音が聞こえたら
せめて振り向け 
手を振ってくれ

君はいま
頬をかすめるそよ風か
楚々とたたずむ野の花か
空にまたたく雲なのか
聞こえたら
この鐘の音が聞こえたら
せめて答えて「ここだよ」って

さとう宗幸「ああ深山の鐘」 作詞:長岡久馬

「君」は長岡さんの友であり、大切な人を失った一人ひとりにとっての「あなた」だろう。今は亡き死者と現在に生きる私たちとの接続を願うこの歌は、深山を訪れる人にとって何らかの特別な感情を引き起こす。深山を訪れたら、ぜひ鐘をついてほしい。

山の恵み

深山を過ぎると、またみちのく潮風トレイルのルートからは外れ、自分たちにとっては未知のルートとなる。前述したように、みちのく潮風トレイルが通る道は整備が行き届き大変歩きやすいのだけれど、そこからいったん離れると藪が生い茂る一帯となる。ここでも藪や倒木がぼくたちの行く手を阻む中、ぼくたちに安らぎを与えてくれたのは木苺だった。

頬張ると果汁が弾けた

所々に生えている木苺は一種の清涼剤だ。すっぱくて甘い。腹の足しにはならないけれど、一瞬の喉の渇きを癒してくれた。ぼくたちにとっては最高の恵みだった。

鹿狼山へ

地蔵森や五社壇といった急登を越え、最終の鹿狼山へたどり着いたのは歩き始めて12時間近く経った夕方5時半だった。二日間の合計で累積標高2600mを歩き終えたぼくたちはさすがに疲労困憊で、すぐさま肩から荷物を下ろし、山の頂で大の字になった。頭がくらっとした。それと同時に、曇り空からわずか差し込む光が時計回りに捻じ曲がるような錯覚を覚えた。「これで終わったんだ」と心の底から思った。

思うに、トレイルを歩くのは一種の幻覚に近い。ぼくたちはトレイルに夢を見、歩き終わってそれが幻だと気づく。今回も何かを掴み、何かを得たわけではない。一種のトランス状態の中、ただひたすら目的地に向かって歩いただけである。水の上に一瞬生じた泡の時間を生きただけである。それでもまたいつか歩きたくなるのは、ぽっと生まれてぽっと消えていく泡の特性そのものだからだ。だから、あまりトレイルに意味を持たないように。「何が面白かった」とか「何が楽しいの」とか、そんな野暮ったいことは聞いてくれるな。ただ一瞬生じた泡の中で夢を見ていただけなんだから。

歩行距離 46.3km
累積標高 2605m
最高標高 429m(鹿狼山)

最後のシメはやっぱりラーメン!

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