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AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚その8『黄金の価値』

 キャシーの召喚した巨人の脅威を退けた少女たちは、『ディバイン・クライム山』の登山道を登っていた。降り続いた雨はあがっていたが、足元は悪く、岩場は滑る上に土はぬかるんで、足を繰り出すのを困難にしていた。うっかり濡れた落ち葉を踏もうものなら、足を取られて前のめりにこけてしまいそうになる。背に負った重い荷物に上半身を揺さぶられながら、悪路を進で行った。雲は次第にはれ、合間から太陽がその顔をのぞかせるようになったが、浴びる日差しは暑く、また足元の湿気を一気に蒸発させて周辺の湿度を高めて行く。汗が止まらず、むしむしとした不快感に舌が出るが、太陽がすでにゆっくりと西に傾きつつあることもあって、4人は先を急いで行った。陽はまだ十分に高いが、それでも時刻は徐々に午後へと差し掛かっていたのである。
 シーファ、リアン、カレンの3人はキャシーと数度の面識があったが、アイラは初めて彼女と出会ったようで、まだその『裏口の魔法使い』の名を知らずにいた。午後の太陽は一層陽射しを強め、4人の足取りを重くする。1時間ほど歩き、ふもとからようやく1キロメートルほど進んだところで、少女たちはすこし開けた場所に出た。そこは、奥に向かって細まった広場のようなところで、その奥の岩場に、人がひとりがようやく通れそうな裂け目が、口を開けていた。
 カレンが、リリーから預かった『ハングト・モックの瞳』をのぞいて場所を確認すると、そこが『タマヤの洞穴』の入り口に違いないことが確認された。4人は、入り口前に広がる広場で小休止を取ることにした。荷から手ごろな敷物を引っ張り出して木陰に敷き、そこに座って水筒を口元に傾けた。この暑さの中、水はすっかり生温くなっていたが、それでも、登山による渇きを癒すには十分であった。シーファとアイラは空腹を覚えたのであろう、いくばくかの乾パンと干し肉を口にしている。ぽろぽろとこぼれる乾パンの屑を、足元に集まってきた山鳥がついばんでいた。自然の野鳥にしては警戒心に乏しいようで、4人の足元をうろうろしながら、乾パン屑のお相伴にあずかっている。
 木陰は、日向に比べるとその気温は幾分かましであったが、それでも、汗が一向に止まる気配を見せない。リアンとカレンは水筒の水で手拭いを濡らし、固く絞ってから、身体をぬぐっていく。風が吹くと、すっと心地よい感覚を一瞬感じられるが、すぐに夏の暑さは戻ってきた。めいめいに、身体と心の準備を整えた後、いよいよその洞穴内へと踏み込もうということになった。入り口は狭く、中からは生温い風が吹き出している。4人はシーファを先頭にして、身をよじらせながらその狭い通路へと入って行った。

* * *

 洞穴に踏み入って、最初に気づいたのは、内部の異様な臭気であった。屎尿と腐った土を混ぜたかのような堪えがたい匂いで、また足元にはその匂いの発生源であろう粘着質の泥とも何ともつかない物体がねちゃねちゃと岩場に張り付いており、気持ち悪いことこの上ない。足を繰り出すたびにその粘着質のものが足元に絡みつき、それを搔い繰るたびに嫌なにおいが鼻をついて吐き気を催すほどであった。4人は、ローブがその粘着質を引きずらないようにたくし上げ、袖口で口元と鼻を覆いながら、慎重に前進していく。入り口は身をよじらなければ通れないほどの狭さであったが、ひとたび中に入ってしまうと、そこは比較的開けた空間で、足元の悪さと臭気の異様さを別にすれば、移動に苦労するということはかった。しかしあたりは完全な暗闇に覆われていたため、先頭を行くシーファは右手にルビーのレイピアを握りしめ、左手に『魔法の灯火:Magic Torch』の術式を展開して、あたりを照らし出していた。
 幸いにして洞穴は一本道で、道に迷う心配はなさそうだったが、慎重なカレンは、今日も一定間隔ごとに岩壁に目印の呪印を刻んでいた。アイラはリアンの重い荷物を支えてやりながら、その身体が、異臭のする粘着質の上に倒れ込まないように面倒をみてやっている。洞穴の天井は高く、時折、上部の岩肌から水滴が落ちてきて4人の少女たちの身体を捕えた。ローブの上に落ちる分にはよいが、首筋や手といった個所に落ちてくるそれは、妙な粘り気を帯びているように感じられて気味が悪かった。
 不快なたたずまいの洞穴を進んで行くと、少女たちはやがて一層開けた場所に出た。そこは、これまで歩いてきた通路の床面とは異なり、いささか清廉な岩肌が露出しており、あの異臭を放つ粘着質も見られなかった。たくし上げていたローブを下ろし、口元を覆う手をゆるめて、4人は更にその開けた石畳の上を進んで行く。先頭のシーファが、続く3人の足を止めたのはその時であった。
「待って!」
「どうしたのですか?」
 足を止めて応じるカレン。
「静かに、誰かいるわ。」
 シーファが魔法の明かりを前方に向けると、そこに倒れている人影があった。しかし、こんなところに行倒れがいるというのもおかしな話た。その人影にはまだ息があるようで、その肩はかすかに動いている。少女たちは慎重にその場に向かっていった。その人影を取り囲み、シーファがレイピアの柄でその腰元をつつくように押すと、人影は低い呻き声を上げた。聞いたことのある声である。上半身の方に近づいてその人物の顔を魔法の灯火で照らすと、それはキャシーだった。気を失っているせいだろうか、相貌から険が消え、いくぶんと穏やかな、これまでに見せてきたのとは趣の違う様子ではあったが、キャシーに違いなかった。
「キャシー、あなたここで何をしているの?」
 シーファが声を上げる。キャシーは呻くばかりで、返事をしない。全身を見るとひどい傷を負っていた。
「これはまずいですね。相当の深手を負っています。」
 そう言ってキャシーの脇にしゃがみこむと、カレンは彼女を抱き起すようシーファに指示した。それを受けて、シーファはキャシーの身体をあお向けにし、その上体を抱き起こした。彼女の身体にはあちこちに打ち身と切り傷があり、口元には血が滲んでいる。意識はないようで、ただ痛みに呻くばかりであった。
 その上体を支えるシーファのそばにカレンはしゃがみこんで回復術式の詠唱を始めた。リアンとアイラのふたりはその様子を見守っている。
『生命と霊性の均衡を司る者よ。慈愛を与えよ。我が手を通して癒しの力を発動せん。傷を取り去り、痛みを和らげよ。拡張された癒しの光:Enhanced Healing Light!』

効果の大きい回復術式を行使するカレン。

 魔法威力と効果を拡張した回復術式が行使される。カレンの手元に暖かい魔法光が灯り、その光が傷ついたキャシーの身体を覆った。やがて、その打ち身、切り傷がいくばくか癒されていく。傷が閉じ、腫れが引いていった。痛みが和らいだことが奏功したのであろう、キャシーが意識を取り戻す。
「ううん…。」
「大丈夫?いったい何があったの?」
 シーファがそう問いかけた。ゆっくりとキャシーの目が開き、唇が震えるように動いて言葉を紡ぐ。
「あんたたちかい…。あたしもすっかり焼きがまわったねぇ。こんなドジを踏んじまうとは…。」
「一体何があったの?」
「あの『ハングト・モック』の野郎、よほど力の強い魔法使いに召喚されたんだろうよ。金の隠し場所に番兵までおいていやがった。魔法生物が魔法生物を召喚するなんざお笑いじゃないか。そんなことは、このキャシー・ハッター様でも見通せなかったよ。」
 そう言って、キャシーは口元に自虐的な表情を浮かべた。その言葉を聞いて、驚きの声を上げたのはアイラである。
「キャシー、キャシー・ハッターと言いましたか?もしかして、あなたはキャサリン・ハッターさんですか?」
 その言葉を聞いて3人はアイラの顔を見る。
「こいつは、キャシー・ハッターという、『ダイアニンストの森』にすみつく『裏口の魔法使い』よ。」
 そういうシーファの言葉に顔を振るようにしてアイラが言った。
「一度、お店でお会いしたことがあります。あなたは、『シーバス』海岸のほとりで病気の孤児たちのためのサナトリウムを運営しておられる、キャサリン・ハッターさんですよね?」
 その言葉にいよいよ驚きを隠せない3人の少女たち。これまで何度も渡り合ってきた目の前の邪悪な魔法使いが、サナトリウムの運営者だというのだ。彼女たちの思考は俄かに混乱していた。
「それは、どういうこと。こいつは…。」
 そう言いかけたシーファを遮るようにして、キャシーが言った。
「あたしもいよいよ年貢の納め時だねぇ。こんな小娘に正体を見破られるとは。まさか、あたしを知ってるやつがいるとは不覚だったよ。これでも巧みに変装していたつもりだったんだがねぇ。」
 魔法を用いて施されていたキャシーの変装は、傷つき意識を失ったことによって、そのときはすっかり解除されていたのだ。
「それでは、あなたは本当に、シーバス海岸脇のサナトリウムの運営者なのですか?」
 カレンが訊く。
「バレちまったらしょうがない。そうさ、あそこの運営は大変でねぇ。金がかかるんだよ。表立っての資金繰りには限界があるから、こうして『裏口の魔法使い』に身を落として、時々やばい仕事に手を染めていたとというわけさ。」
「それでは、あなたが金を欲しがったのは…。」
「そうだよ。あの子たちのためさ。この魔法社会は一見華やかで活気づいているが、病人や子ども、まして病気の子どもには冷たいもんだよ。アカデミーだって、健康な子どもや治療可能な子どもは福祉事業だのと称して迎え入れるが、不治の病にかかってる子や、五体満足でない子どものことはお構いなしだよ。そんな冷遇がたまらなくてね。あのサナトリウムをやってるのさ。でも、実情は火の車でね。善意だけじゃあ善行は施せない。時には残酷に手を汚さなければいけないこともある。あたしはただ自分の信念に従ってるだけだよ。」
 そう言うとキャシーは目を閉じた。その目尻には涙が浮かんでいる。その場に重苦しい空気が流れた。私欲に取り付かれ、手段を択ばずに富を得ようとする強欲な『裏口の魔法使い』だと思い込んでいた人物に思いがけない側面があったのだ。そうだとは露ほども思わなかった少女たち、とりわけシーファ、リアン、カレンの3人は、心中で自責の念の疼きを深く自覚していた。
「言い訳はしないよ。」
 キャシーが続ける。
「金欲しさにあんたらを殺そうとしたのは本当さ。さっきも言った通り、善意だけで誰かを救えるほどこの世の中は単純じゃない。手段を選んでいられない場合というのはいつもだよ。さあ、わかったら、さっさとあたしを始末しな。金はこの先にきっとあるよ。少々やっかいな奴が守ってはいるがね。あたしはかなわなかった。あんたらも命が惜しければよく考えることだね。あの魔法生物が戻ってくる前にここを出るのが賢明だ。」
 そう言う彼女にカレンはなおも回復術式の行使を続ける。やがてキャシーの傷はずいぶんと癒え、シーファの助けなしで身を起こせるまでになった。顔にも血色が戻って来る。
「でも、どうしてここに金があると、先回りすることができたのですか?」
 カレンがそう訊ねた。
「あたしも馬鹿じゃあないんでね。お宝がこの『ディバイン・クライム山』にあるとすれば、その隠し場所がこの『タマヤの洞穴』なのだろうことは容易に想像がつくさ。ここ以外、この山は何の変哲もないただの岩山だからね。頂上の固い巨石を穿って金を隠すようなもの好きもいないだろうよ。それだけのことさ。」
「そうだったのですね。もう立てそうですか?」
 カレンがそう促すと、キャシーはゆっくりと立ち上がった。
「しかし、あんたらも奇特な人間だねぇ。あたしを助けたってろくなことはないだろうに。礼は言わないよ。さっきも言った通り、あたしには金が必要なんだ。なんなら、あんたたちに助けられたこの身体で、もう一度あんたらに牙だって剥くよ。」
 強がってこそ見せるが、そのときのキャシーにはもう敵意は感じられなかった。
「それで、こんなにひどく、誰にやられたの?」
 シーファが訊く。
「あの『ハングト・モック』が召喚した魔法生物さ。馬鹿みたいに強くてね。あたしひとりじゃあ歯が立たなかった。あんたらも欲の皮をつっぱらかすのはやめて引き上げた方がいい。冗談抜きで、相手が悪すぎるよ。」
 キャシーがそう勧めている時であった。洞穴のさらに奥から、ひたひたと足音が聞こえてきた。
「さぁ、おいでなすったよ!逃げるなら今しかない。」
 逡巡する4人の少女たちの前に、金の番人が姿を現した。シーファの灯す魔法の灯火の中で、その脅威は異形の姿をあらわにする。

* * *

 それは、背丈こそハングト・モックと同じくらいの、1メートルそこそこの小人のものであったが、強健な一対の角を備えた牛の頭部に、人間の腕、牛の脚と尾をもつ異形で、腰巻の布で隠された部分の他は、流々とした筋肉をたぎらせていた。その両の手には巨大な斧が握られている。ミノタウルスだ!

金の番人であろう異形の存在、ミノタウルスが姿を現した。

 それは少女たちをみとがめると、けたたましい鳴き声を上げた。戦慄するようなその声は、洞穴中に響き渡り、あたりの空気を激しく振動させた。キャシーをかばうようにして身構える4人。その距離はじりじりと詰まっていく。
「やるしかありませんね!」
 そのカレンの言葉に、少女たちは頷いて答えた。めいめい、利き手に得物を携え、ミノタウルスとの距離を慎重にはかる。はじめに均衡を破ったのはシーファだった。彼女は十分に輻輳を効かせて威力と速度を高めた『火の玉:Fire Ball』の術式を繰り出す!火球は複雑な軌道を描きながら、ミノタウルスの身体を捕えようと飛びかかったが、なんとその異形は手にした斧で火球をかき消してしまった。
 リアン、カレンが続けて、氷と雷の術式を繰り出すが、同様に斧でかき消されてしまう。どうやら、それが手にしている斧には魔法よけの特別な術式が施されているようだ。
「言っただろう。こいつを相手にするにゃ、魔法使いじゃ分が悪すぎる。」
 少女たちの後ろで、キャシーが苦々しく言った。
「それならば!」
 エレクトの斧を構えたアイラがさっと前に飛び出した。その後ろから、リアンが『武具拡張:Enhanced Weapons』の術式で援護している。耳を裂くような鋭い金属の衝突音がして、アイラの斧とミノタウルスの斧が衝突した。つばぜる双方の刃の間で、魔法光がまばゆい火花を散らす。離れては打ち、打っては離れるが、得物どうしがかちあうばかりで、決定打を得ることができない。その間にも、シーファたちは次々と術式を繰り出すが、その身体を捕えることはできず、魔法よけの斧に阻まれるばかりであった。打ちあうアイラにも疲れが見え始めた。
 再度、アイラが距離を詰めて、下から救うようにエレクトの斧を払い上げると、ミノタウルスは大上段の構えから勢いよくそれに打ちかかった。再度、大きな金属の衝突音が響き渡って、両方の刃が激突する。アイラの手にするエレクトの斧は、上から力任せに振り下ろされた魔法よけの斧の衝撃に耐えられなかったのか、刃が粉々に砕けてしまった。斧を持つ手にひどい衝撃と痺れを感じながら、アイラは後方に宙返りをして、ミノタウルスからさっと距離を取った。優勢を感じ取ったのか、それはまたもや大きな咆哮を上げ、巨大な両手斧をぶんぶんと振り回しながら、少女たちに迫って来る。
 その時だった!以前ダイアニンストの森で、シーファとリアンを人質に取った赤桃色の煙がその異形の周囲を覆ったのだ。ミノタウルスは、手にした魔法よけの斧でその煙を払おうとするが、四方八方から立ち込めるその全部を払いのけることはできないようで、次第に目がうつろになっていった。やがて、その目に怪しげな呪印が浮かび、斧を掲げる手をだらんとおろして、ひざをついた。
「何をやってるんだい!今だよ!」
 少女たちの背中から、キャシーの声がこだまする。それを聞いてアイラは構えを新たにして詠唱を始めた。その拳が魔法光に包まれ、まばゆい光をはなつ光の塊のようになる。刹那、アイラはさっと身をひるがえすと、その拳を、動きの止まったミノタウルスめがけてまっすぐに繰り出した!骨の砕けるような鈍い音がした後で、その異形はしばらく痙攣した後、ひざからその場に崩れ落ちて、その後動かなくなった。武具を失ったアイラは、なんと魔法によって自分の拳を『武具拡張:Enahanced Weapons』したのであった。

自らの手を術式によって強力な武具にかえてミノタウルスを粉砕するアイラ。

 異形の魔法生物の動きを止め、有効打の機会を与えてくれたのは、他でもないキャシーだった。彼女は、魔力枯渇を起こす寸前の状態でよろよろとしながら、4人を見やっている。
「ありがとうございます。」
 思わずそう声をかけたシーファに、
「なんてことないさ。こういう術式は得意だからね。しかし、奴の動きを止められたところで、あんたらがいなきゃ、あたしひとりじゃとどめはさせなかった。おあいこだよ。」
 そう言ってキャシーは笑った。怪物の意識を奪うには相当の魔力が必要だったようで、彼女は弱々しくそこに膝をつく。リアンは、リリーからもらった急速魔力回復薬を急いで彼女に与えていた。アンプルの瓶を割るとそれを一気に飲み干すキャシー。やがて彼女の身体に魔力が戻ったことを知らせるほのかな魔法光がともった。
「何のつもりだい。あたしたちは、金を奪い合う敵同士だよ。敵に塩を送るなんて、いったい…。」
 その言葉をシーファが遮った。
「これでいいんです。ひとまず金を探しましょう。」
 キャシーは驚いたようだったが、静かに頷いて答えた。
「カレン、調べてみてくれる?」
「ええ。」
 そう言ってカレンが『ハングト・モックの瞳』をのぞくと、視覚に浮かぶ立体地図は、彼女たちがいるもう少し先を示していた。カレンはゆっくりとその場所に近づくと、
「ここです。」
 と言って指さした。少女たちが、術式やら獲物やらを駆使して地面を掘ると、そこは何度も掘り返されたのでろう、土がさっくりと柔らかく、瞬く間に大穴が口を開けた。その中には、確かに金の山が鎮座していた。

ハングト・モックの瞳が指し示す場所を掘ると姿を現した黄金の山。

「掘れば掘るほど出てきますね。」
 その量にカレンは関心ひとしおだ。やがて、その全量であろうという金がその場に姿を現した。その場にいる誰もが、その光景にあっけにとられていた。驚きと沈黙があたりを支配する。その静寂を破ったのはシーファだった。
「で、どれくらい必要ですか?」
 キャシーは最初その意味が分からないようだった。
「この金を私たちで山分けしましょう。サナトリウムの運営にはどれくらい必要ですか?」
 再度訊ねるシーファ。それを聞いてキャシーは目を丸くして言った。
「あんたらは本物の馬鹿なのかい?目の前にこれだけの金があるんだよ。それをむざむざあたしによこそうってのかい?どうかしてるよ。」
「もちろん、全部お譲りすることはできません。私たちも仕事なので。でも、あなたと分け合いたいと思います。どれくらいご入用ですか?」
「おかしなことをいう小娘だよ。そうさね。半分ももらえれば数年は困ることがないよ。あんたたちとあたしとで折半、というのはどうさね?」
 キャシーはそう提案してきた。半分というのは結構な量である。しかし、その使い道がわかっている今、少女たちにためらいはなかった。
「わかりました。そうしましょう。」
 そう言うと、シーファは自分の荷物の中からおおぶりの革袋を取り出し、そこに金を詰めていった。金の量がずいぶんであるため、半分取り分けるには、一袋では足りなかった。リアンが、横からシーファに自分の革袋を差し出した。シーファは頷いてそこにも金を詰め込む。瞬く間に革袋ふたつが金でいっぱいになった。それでもまだ半分には届かない。カレンが自分の革袋を差し出そうとしたところで、キャシーが言った。
「それで十分だよ。ありがとう。あとはあんたらの取り分さ。持ってお行きな。」
「でも、まだ半分には届きませんよ。」
 シーファのその言葉の通り、すでにずいぶんな量が革袋に移されていたが、それでもまだ半分には至っていなかった。
「いいのさ。あとはあんたらに対するあたしの謝罪だと思ってくれ。これまであんたらを殺そうとしたのは本当だからね。そのせめてもの詫びと罪滅ぼしだよ。いずれにしたって、これだけあればあの子たちに不自由はさせなくて済む。ありがとう。」
 そう言うと、キャシーは革袋を二つを両手にぶら下げた。
「この世知辛い魔法社会に、あんたらみたいなのもいるんだね。少しばかり、人生というやつも悪くないと思えてきたよ。今更返せと言っても駄目だからね。これはもらっていくよ。」
 キャシーはそう言うと、少女たちに向かって頭を下げた。
「いいんです。こちらこそ、あなたのことを誤解していていてごめんなさい。」
「よしてくれよ。誤解じゃあないんだ。あたしは本当に悪党だからね。誰にでも牙を剥く野獣みたいなものさ。ただ、あんたらに会えたことはよかったと思ってるよ。それじゃあ、悪いけどあたしはもう行くよ。腹を減らした子どもたちが待ってるんでね。」
 そう言うと、キャシーは『転移:Magic Transport』の術式を展開して、その場から姿を消した。その魔法光が消えるに伴って、あたりに静けさが広がる。通路から漂ってくる不快な匂いだけが彼女たちの感覚を捕えていた。

* * *

「よかったんですか?」
 カレンが笑顔でシーファに訊ねた。
「ええ、もちろん。でも、みんなの報酬がずいぶん減っちゃったのは申し訳なく思ってるわ。」
 その言葉を聞いて、3人の少女たちは首を優しく横に振った。
「さぁ、では仕事をしましょう。リアン、残った金をリリーさんのところに転送してちょうだい。」
 シーファの促しを受けて、リアンが『転移:Magic Transport』の術式を行使した。金の山は魔法光に包まれ、やがて光の粒となって中空に消えて行く。転送は成功だ!カレンは通信式光学魔術記録装置を取り出してリリーとの連絡をはかった。
「もしもし、ご苦労だったわね。」
 機器越しにリリーの声が聞こえる。
「確かに金は受け取ったけど、ずいぶん量が少ないじゃないのさ。あなたたち、まさかネコババしたんじゃないでしょうね?」
「そんなことはありません。ここにある分はすべて転送しました。」
 そう答えるカレン。
「『ここにある分は』ね?そう…、賢い子は嫌いじゃないわ。約束通り、報酬は金の量に比例した応分よ。それは覚えているわね。」
「はい、承知しています。それで構いません。」
「わかったわ。それじゃあ、気を付けて帰ってきてちょうだい。」
「はい。では、後ほど。」
 こうして通信は終わった。
「じゃあ、帰りましょう!」
 シーファのかけ声に従って、少女たちは、洞穴の入り口に向けて歩みを進め始めた。来た時と同じ異様な臭気が鼻をつく。足元の粘着質もあいかわらずであったが、それとは対照的に4人の心は晴れやかだった。

* * * 

 洞穴を抜けると太陽はもうずいぶんと西に傾いていたが、それでもふもとまで降りるには十分な高さを保っていた。山肌の足元の悪さはずいぶん改善し、むき出しの岩場の表面も、ぬかるんだ土も照り付ける夏の陽によって乾きかけていた。そのため、登りに比べれば、ずいぶん軽やかに下ることができた。ただ大荷物のリアンだけはふらふらよろよろとしていたが、アイラがその身体を後ろから巧みに支えている。ふもとでキャンプを展開して一泊した翌日、彼女たちは『ダイアニンストの森』を抜けて、タマン地区に戻り、更にそこで一夜の宿を求めてから、リリーの店に向かった。
 リリーは、金の量にずいぶんと不満足の様子であり、報酬を半分近くにまで減額してきたが、事情を知ってか知らずか、それ以上は何も言わなかった。アカデミーに帰った4人は、ウィザードに提出する報告書を作成した。キャシーとの顛末について詳細は伏せることとし、ただ一言、「『裏口の魔法使い』キャシー・ハッターについては、以後の脅威は解消された。」とだけ記載することにした。
 それを読んだウィザードは、4人とキャシーとの間に何事かあったのであろうことを察したようではあったが、あえて何も聞かずに報酬を与えた。もちろん、その額は大きく減額されていたわけだが、少女たちに悔いの表情は見られなかった。

 夏の終わりが近づいている。天空をかける太陽は西へと急ぐようになり、夕方には、茜色の光をまばゆく放ちながら燃え落ちるようにして沈んでいった。吹きゆく風はなお熱量を保っていたが、秋の訪れを感じさせる寂寥感を漂わせている。濃紺と紅がせめぎあう地平のかなたで、星々が白く光り輝いていた。夜空を星座と月が彩っている。もうじき夏期休暇が明け、新しい学期が始まるのだ。
 価値あるものとは何であろうか?それはきっと、何を持つかではなく、何に用いるか、それにかかっているのであろう。満額の報酬よりも大きな何かを手にした彼女たちの背中を、3階の角部屋から茜色の瞳が暖かく見送っていた。
 まもなく秋が来る。

to be continued.

AIと紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚その8『黄金の価値』完


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