91-100|#140字小説

91 / 2018.07.22
耳の一番深い場所に雨音が響く。その滴の行方を知らない、だけど、あなたの行き先も知らないのだから仕方ない気もした。展望台から見える遠くの海。水平線を目指して指輪を投げ捨てる。要らないものは持たなくていい。あなたが教えてくれたこと。雨が海に還るみたいに、あなたも早く生まれ変わりなよ。/ 透明な君は夏の恋人1周年「展望台」

92 / 2018.07.22
窓枠に青いリボンを巻きつけておけば、きみは私を迎えにきてくれた。手を引かれて、向かいのきみの部屋に侵入する。すでに準備された望遠鏡、湿りの海を眺めながら、本当は月でもどこにでも連れ去って欲しかった。手のひらには使わなくなった夜空への定期券。結び方も忘れて、そっと夜気になびかせた。/ 透明な君は夏の恋人1周年「定期券」

93 / 2018.07.24
鉄橋の上、夕日でも眺めて死んでやろうと思っていた、のに。気づけば隣におんながいて、赤さに照らされた頬は涙に濡れていた。そのきゃしゃな脚が地面を蹴ろうとする。どうしてだか見咎めてしまったのだった。「死んでも碌なことないよ」なんて、戸惑う手のひらを捕まえて、黄昏の気配をすべり抜けて。/ 透明な君は夏の恋人1周年「鉄橋」

94 / 2018.07.24
手離せない部屋があった。持ち主はもういないのに。その埃っぽさに泣きそうな目元が熱い、でも欲しい体温じゃなかった。無機質な花瓶にやさしい花を。耳鳴りがする部屋にあなたの声を。無常な世界に、諦めを。床の上に寝そべって、あおい森閑に耳をすます。誰にもふれられることのないつめたさだった。/ 透明な君は夏の恋人1周年「森」

95 / 2018.07.25
あなたはぎらぎらと反射する、泥水の水面のような目で私を見つめた。深すぎる澱みの奥で、私はそらそらと泣くのだった。死んだくせに、ずるい。だってお前おれを忘れようとしていただろ。だから。「呆れるほどに未練がましくてごめんな」半透明な怒りが私を射抜いて、ずっと愛されていたみたいだった。/ 透明な君は夏の恋人1周年「幽霊」

96 / 2018.07.26
いつか、なんて待っていられるの?そのひとは馬鹿にしたような顔でよく言った。こうばしい匂いに目を覚ます。早起きなひとが、少し焦がしたパンを食べていた。賞味期限が切れていたのに。そう思いながら、未来はこの風景と似ているのかな、と。私を見つけたひとが笑った。「結婚しようか」「いつかね」/ 透明な君は夏の恋人1周年「未来」

97 / 2018.07.26
腐ったりんごに蛆虫が沸いていて、あなたが「きもち悪い」とこちらを振り向く。その瞬間、どうしてだか「ころされた」と思ったのだった。あなたがそんな感情を持つこと、裏切りとは違うのに。あなたの背景の入道雲に目をやる。あなたの笑顔などどうだっていい、ただ私はその大きな白さを駆け上がって。/ 透明な君は夏の恋人1周年「入道雲」

98 / 2018.07.27
傷ぐちから花が芽吹くことをやめない。あなたがつけた傷なのに、羽二重肌だと笑って、ようようと水やりをしてくれるのだから呆れたのだった。花の白さがあんまりに眩しすぎて、たんたんとあなたさえ見えなくなる。一年後、枯れてしまった私に、あなたはすこしでも魅了されて、惑わされてくれましたか。/ 傷心花症

99 / 2018.07.27
豪雨のような暴力の後、兄はよく煙草をふかした。憔悴した私の目にはその煙がひどく沁みて、いまでも引き金のように、匂いに手のひらが痺れる。昔よりも、ずっと臆病になった。そんなときはうつくしい記憶を掘り返す。兄の麦わら帽子に炭酸水を浸して、ふたりしてその気泡を見つめたような。夏の泡沫。/ 透明な君は夏の恋人1周年「麦わら帽子」

100 / 2018.07.28
ゆいいつを失う恐怖を知らない、だって大切なものを手に入れたことがなかった。ジンジャーの紅茶で火照った内側に、熱くしてどうするのだ、とため息。随分と暑い日で、でも、あなたが淹れてくれた紅茶だった。ベランダで黄昏る背中。その奥の赤さを眺めて、私、あなた越しの夕焼けだけは知っていたよ。/ 透明な君は夏の恋人1周年「夕焼け」

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