61-70|#140字小説

61 / 2018.05.28
薄くなった心臓の膜が今にもはち切れてしまうらしい。誰かのために2倍も生きるような人だから、仕方がない気もした。酸素マスクが曇る。よわよわしい呼吸がいとしくて、永遠であって欲しくなった。でも、そんなことは無理だから。もう少しだけ息をして、どうか心地よくくたばってくれと願うのだった。

62 / 2018.06.07
壊れているようだった。元恋人が残した、使い物にならない冷蔵庫は狭い部屋の一隅を占拠して、床を奪う。窓の外側で排気音が鳴り響いて、どうしようもない、と思った。捨ててしまえばいい。のに、どうしたって気が引けて、冷蔵庫に抱きつく。冷たい表面が頬に触って、回りきらない腕の痺れに泣きつく。

63 / 2018.06.19
現れたのは「十年後に会おう」と約束をした人で、まだ三年も残っていた。見覚えのある背表紙をつきつけて、どうして悲しい結末なんだ、と。私の首元で埋まるあなたの泣き声。温かい結末など考えもしなかったと言えば、あなたはまた怒るだろうか。泣くだろうか。首をあげた先、橙色の光が網膜ににじむ。

64 / 2018.06.21
あなたの横顔の、頬の鈍角に影が落ちる。視線は微睡んで、今にも睫毛が溶けていきそうだった。その睫毛の先に触れる。あなたは無抵抗に瞼を下ろすのだ。手首に当たる、あたたかい呼吸がいとしい。生きていなくてもいいけど、あなたが生きていることが嬉しかった。夜を終えるまで、しらしらと眠ってね。

65 / 2018.06.24
速度が違う鼓動に触れて、居場所をなくした子どものように心細くなった。背中に、腰に、添わされた腕はやさしい。少しでも私が身をよじれば、簡単に離されるのだろう。そのことに、うんざりとした。「暑いよ」「暑くないよ」体温ばかりが上がっていく行為に溜息をついて、そろそろとあなたに腕を回す。/ ハグシーンを全力で書く

66 / 2018.06.24
0と1の項目。女性なら0、男性なら1を囲めば終わり。私もこんな単純さで生きたい、そう言えばあなたは馬鹿にした声で笑う。「お前なんかが何に悩んでんの」確かに、と一緒になって笑ってしまった。0と1の間で筆先を彷徨わせるあなたの手元を掬って、ていねいすぎる動作で折った紙飛行機を虚空に飛ばす。

67 / 2018.06.27
11階のぬるいベランダ。恋人でもないおとこと明るい夜を見上げる。光るたびに反応するのが煩くて、穴だらけの耳朶を見ながら、どうして一緒にいるのだろうと思った。私たちに共通点なんかないのに。そう呟けば。「いつか死ぬってだけじゃ駄目?」がは、と笑うその後ろ、放射線の光がはしゃいで消えた。/ 透明な君は夏の恋人1周年 「花火」

68 / 2018.06.28
事故の衝撃で恋人は私だけを忘れ去った。私に関することだけ記憶の保存場所が違っていたらしい。とくべつみたいじゃん、と笑えば、困った顔の恋人と目が合った。最後に付き合ってよ、と温かい手のひらを握って、つめたい波打ち際を歩く。この人の時間が進んでいることが嬉しい。水平線がぼやけて滲む。/ 透明な君は夏の恋人1周年「海」

69 / 2018.06.29
まだ幼かった頃。父と行った夏祭りの、出店に並んだ指輪に憧れていた。きらきらと光が揺れるそれを、横目で通り過ぎたことを思い出す。大きすぎる宝石がついたちゃちな指輪を、あなたは馬鹿にした顔で買ってくれた。「要らないでしょ」「でも昔は必要だったの」月を覗いて、金環日食だとあなたに笑う。/ 透明な君は夏の恋人1周年「夏祭り」

70 / 2018.06.30
「ポカリ飲む?」震えてうまく飲めない手を上から支えられて、口許に寄せられる。甘い砂糖の味がして、私は風邪をひいているのだな、と実感した。やさしい手のひらが私の髪に指を通す。きみはやさしい。でも今夜はもっとやさしい。「おまえ、風邪の匂いがするね」目の前がふやけて揺蕩う熱帯夜のこと。/ 透明な君は夏の恋人1周年「熱帯夜」

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