121-130|#140字小説

121 / 2018.08.18
夜の雨は隔たりを無くしてくれる。遠いあのひととの距離も。思い出せない掠れ声もかき消して。けれど、おだやかな朝の寝顔だけは侵食されずに、眼裏に居座り続けるのだから、やさしすぎる暗闇に濡れて、大声で泣き叫びたくなる。その衝動をこらえて、窓辺を濡らす滴に触れて、そっとくちづけを落とした。

122 / 2018.08.18
さらさらと雨の音がしていた。窓際のすき間から差し込む光。からだを起こそうとすれば、ゆるすぎる拘束が、それでもきちんとわたしを引きとめる。もう朝なのに、あなたは。「まだ夜の続きにして、眠っていようよ」瞼を閉じたままその胸が上下する。おだやかすぎた、いつまでも続いて欲しい夜雨だった。

123 / 2018.08.18
「もしもし」あなたの声が途絶えて、ふたりだけが知る無音が続く。通話口の向こう側からしずかな雨の音。わたしの街には無い音を、あなたはただ知らせてくれる。ねえ、せめて夜雨よりはおしゃべりでいようよ。その声は、あなたの無音に、あなたに降る雨音にかき消されて、届くことのない音となって。

124 / 2018.08.22
わたしの自由だわ、と思うことがある。髪をぎんいろにしようとも、靴をちぐはぐに履こうとも、いやな食べ物を投げ捨てようとも。そんな自由は似合わないから、不自由でいることもわたしの自由なのよ、と自分を落ち着かせる。だいじょうぶよ、あなたはただしい。と、こどもを寝かしつける午後のように。

125 / 2018.08.22
思い悩むひとの眉間を押す。そんなに考え込んでいたら脳みそがチーズになるよ。ぐるぐる、とつむじをかき混ぜてみれば、呆れたような笑み。そうだな、と呟いて、わたしの手を取った。ふたりで歩みを進めれば、心臓に迫る海面。心臓が浸かって、視界も水の中で、ただ、手のひらの中の熱をつかんでいた。

126 / 2018.08.22
境界線がきれい。そう言うと、あなたは水平線だとわたしを咎めた。けれど、境界なのだ。海と空を隔つ。海は太陽を飲み込んで、朝には空に託す。光を授け合う、うつくしい境界線。わたしは今、あなたではないひととその境目を越えようとしている。ゆらゆら揺蕩う線に沈んで、わたしは透けた泡となって。

127 / 2018.08.25
植物を育てるのがじょうずなひとがいて、そのひととの記憶はわたしをきっぱり傷つける。ちょうど、枯れてしおれた茎の分だけ。じょうろの水の膨らみが、乾いた葉の表面を過ぎる。無意味な衝動の名を、わたしだって薄々きづいていたのだ。わざわざあなたが、淋しさ、なんて名付けてくれなくてよかった。

128 / 2018.08.26
わたし、どんな顔?と訊くと「絶望的」という返事があった。「ぜつ、ぼう」拙い声で口にする。そのときの唇の違和感は、わたしをいさましくさせた。迷惑にも。繊細でかよわい存在でいたいのに、絶望を唱えたことがないほどに、わたしは鈍いのだ。誤魔化すための言葉がなくて、紅茶のお酒に舌をぬらす。

129 / 2018.08.27
あなたにとってわたしがどれほど無害であるかも知らないくせに。あなたは三日月のような口許で、わたしを殴って欲を満たし、やわらかな眠りについた。うるさすぎる静けさのなか、痣がじゅくと音を立てる。澱みない川のような、すべやかなあなたのまつ毛。その一本を引き抜いて、夏の終わりを口遊んだ。

130 / 2018.08.28
時折、過ぎゆくすべてに名乗りたくなる。しゃん、とした電柱にだって、ぼろぼろのスニーカーにだって、ぐねぐねの煙草にだって。こんにちは。わたしは△◇です。周りの人間を困惑させて、さらさらと。過ぎゆくものにわたしを知らせていく。それだけで満たされるような、穏やかならざる生きものだった。

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