101-110|#140字小説

101 / 2018.07.29
お寝坊なひとを揺さぶる。うやうや、と文字にならないことを言う頬をつねって、あなたは涎のにおいがした。「おまえは優しくないね」これから優しくなるかもよ、と笑う。だんだんと色褪せていくこともある。あなたが隣にいた通学路の道端を、もう思い出せやしないけれど。あなたの寝癖はいまも可愛い。/ 透明な君は夏の恋人1周年「通学路」

102 / 2018.07.30
死期が近い人魚しか人間には見えないらしい。「ひみつだよ」とおとこは言った。わざとらしく口許に手を当てて驚いてみせる。けらけらと笑うおとこの真珠のような瞳、光を反射する水面、何もかもが奇跡のようにうつくしかった。うつくしいものは儚い。みずに浸された淡いヒレの、その鱗をなぞってやる。/ 透明な君は夏の恋人1周年「秘密」

103 / 2018.07.30
へたくそなメロディーに聴き惚れて、「人魚のくせに」と笑ったりした。のに。おとこは弱々しい声で「ごめん」と私の頬に触れる、その途中で。私を愛し通すこともできない、でき損ないの半魚人は泡になった。いやに冷たかったゆび先の感触が頬に残りすぎていた。すべてを払拭したくて、海面に飛び込む。

104 / 2018.07.31
あなたのうなじの髪にばんざりと鋏を入れた。その切り口からやわっこい記憶が、ふんだんに色づいた記憶が刃を染める。刃先がふれて、キスはやめてよとはしゃぐひと。一秒もすれば今も過去になる。何度も生まれた毛先みたいに、退屈で鈍ってしまうような眠り色の思い出、あなたはなるべく覚えていてね。/ 透明な君は夏の恋人1周年「思い出」

105 / 2018.08.01
彼のどこが好きなの、と訊かれて咄嗟に黙ったのだった。薄い一重も、鷲鼻も、左右で大きさのちがう手のひらも、たまに途轍もなく気持ち悪いと思ってしまう。そんなことも知らず、「蛍を見に行こうか」裏紙にだらだらと文字を書くひと。わかっているのは、あなたの書く蛍の「虫」の字が好き。それだけ。/ 透明な君は夏の恋人1周年「蛍」

106 / 2018.08.02
しなびたレタスになってしまう、と言えばあなたが笑ってくれる。しなしなになって、ちゃいろくなってしまえば、さっさと燃やされて、ただの灰になって。散り散りになった私にあなたがびょうびょうと泣く姿を思い浮かべた。あまりに酷い泣き顔だから、私は人間でいるね。骨くらいは残る人間でよかった。

107 / 2018.08.03
しおれそうな夏の夜。ふいに、弦が切れたギターを取り出した。本当の持ち主に置いてけぼりにされた可哀想なこ。ぬるい気温に負けたくなくて、ほろん、と弦を滑らせてみる。あなたの才能がいとしくて、ずっとあなたに、その夢にびんじょうしていたかったのに。音外れなギターで、うろ覚えの歌を唄った。/ 透明な君は夏の恋人1周年「ギター」

108 / 2018.08.05
じゃんけんで勝った賞品はお高いアイス。でも多いほうが嬉しいから安いものをたくさん買う。指先に食い込む重さがいとしい、そのくせして「持ってよ」とビニール袋を押し付けあって歩く。家まではもう少し。歩道橋の階段でグリコをしながら帰るみたいに、あなたとの今日にまだ、執着をしていたかった。/ 透明な君は夏の恋人1周年「歩道橋」

109 / 2018.08.05
うるさいものが好きだった。壊れかけの洗濯機はあまりに音が大きくて、深夜に回すのは気が引けた。だって「眠れない」と怒るひとがいたのだ。そのひとは今、白い部屋の中で白いままに眠りについている。あんまりに静かだから吐き気がする。寝すぎでしょう、と、頬に触れる。うるさいものが好きだった。

110 / 2018.08.05
メロンパンの皮だけを剥ぐひとのことを思い出す。黄色いひし形を爪で切り取る、あんまりになまめかしくて、見てはいけないと目をそらした。砂糖がべたつく夏のこと。商品棚に並べられた袋の中で、ざらめがちららと輝く。はだかんぼうのメロンパンに会いたくなった。でも、もうあの指先が見当たらない。/ 透明な君は夏の恋人1周年「コンビニ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?