171-180|#140字小説

171 / 2018.11.02
蛇口が錆びていた。転がっていたタワシで擦ってみても、随分と銀色に執着をしているよう。こうばしい香りに振り向けば、珈琲を持ったきみが「きたない」と私を咎める。そのカップだって茶渋がついていたけれど。呑み込んだ言葉は鉄のにおいがした。錆び付いている、ここもかしこも、私も、きみだって。

172 / 2018.11.02
水平線を眺めた。となりの、横顔のまつげが海面に消えようとする。汐風は私たちを攫って、それなのに私ばかりが風化する。運ばれた光を含んで、あなたはいつまでも青く光って、「いつかはおれたちも海だったよ」あなたが涙を流す。水にも屑にもなれない人間のくせに。どうしてあなたはそんなに青いの。

173 / 2018.11.04
誤って吸い込んだ水は棘があって、鼻の奥でねじを解かれているみたいだった。咳き込んでも、分かりきったひとりきり。風呂場はよく声が響いて、放置したシャワーの湯気が私をやさしく殴りつける。やさしいのはそれだけ、なんて馬鹿なことは言わないけれど、解体されゆく私をずっと惜しんでほしかった。

174 / 2018.11.04
氷のひびにキスをすると、檸檬の沁みた水が唇をぬらした。おれも。そう言ってグラスを奪おうとも、透けた手では何も。困ったようにきみは笑って「泣かないで」私に口付けた。触れ合わない唇、私の口内は檸檬味。死んだひとは柘榴の味がしそうだよな。きみが生前に言った言葉、今なら撤回してもいいよ。

175 / 2018.11.04
運命の糸は本当にあるらしい。私たちの小指には赤く光る糸が伸びて、その行方はそっぽを向いている。「どうする?」なんて困ったふり。私はたやすく糸を引きちぎり、きみのものと結びなおす。なんだって私が解決するし、迎え討ってあげるよ。繋がれた指先を揺らせば、「馬鹿だな」ときみは頬を染めた。

176 / 2018.11.05
誰かによってよういされた朝の美しさ。焼いただけの目玉焼きは味がなくて、あまりに質素。でもその乱暴さが心地よかった。「味付け忘れた」こわごわと卵をわるきみは自分の分にも味付けをせず。きみによって、不器用な手つきのように生かされる。崩した黄身は皿を流れて、もう何も手放したくなかった。

177 / 2018.11.06
ふらついた線で、あなたの輪郭を描いた。目を鼻を、唇をくれてやっても下手な線ではあなたに似つかず。「おれの絵?」似てねー、と笑うあなたの顔をどこもかしこも、覚えている、それなのに同じようには映し出せない。「私本当は何も忘れたくないよ」確かめるように触れた、その頬はとても冷たかった。

178 / 2018.11.07
深夜の白湯はうまく飲み込めなくて、寒がりな心臓だけが不機嫌をしている。ぼやけた湯気が肌をいたわるから、いらないよ、と外に出た。大きな国道沿いを歩く。自販機に集まる虫、轢かれた煙草、赤信号をすり抜ける自転車。誰もが生きている証がそこにある。ふいに、あの無味のぬくもりが恋しくなった。

179 / 2018.11.07
「一緒に実験をしよう」何年で幸せになれるかな。と、死にたがりな私の手を引いて、ままごとみたいに完璧な日常を繰り返してくれる。浴槽から湯が溢れるように、溶かしきれない砂糖のように、過剰でおだやかな毎日。あなたはしたり顔。この日々を幸福と呼ばないから、私もいつまでも生きてしまうのだ。

180 / 2018.11.07
まっさらな匂いがする部屋、テーブルも何もない床に座り込む。私がぼんやりとする間にも、家電製品は忙しく動いていて、誰のために働いているのだろう、なんてひとり言は私の内側に残る。ここに生きているのは最低限の私。ほどいた荷物はいつまでたっても馴染まずに、透き通っていく日々を思い描いた。

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