見出し画像

第16回 業の花びら

先日、NHK で「業の花びら」という番組をやっていました。中で、宮沢賢治研究者小倉豊文が引用されていたので参考までに紹介します。

(前略)( #宮沢政次郎 )翁も同じ意味で羅須地人協会跡の詩碑も同じであって、あれを建てる時の碑文の選定の際、 翁は「 業の花びら」をすすめたが、難しいというので「 雨ニモマケズ」になってしまったとのことであった。もし「 業の花びら」が詩碑に刻まれたら、賢治は今のように一般にうすっぺらなさわがれ方をせず、本当の賢治の真面目が人々の心にしずかにしみ込んでいったのではなかろうか。

仏教の「業」について政次郎翁としみじみ話し合ったことがあった。翁も賢治も「業」におそれ、おののき、つつし みかなしむ心が、それぞれのブラック・ボックスの奥にひそんでいたのではあるまいか。最後に作品三一四「業の花びら」を録して、この稿を終わることとしよう。

業の花びら(作品三一四)

夜の湿気と風がさびしくいりまじり

松ややなぎの林はくろく

そらには暗いの花びらがいっぱいで 

わたくしは神々の名を録したことから 

はげしく寒くふるえてゐる

小倉豊文  二つのブラック・ボックス 『宮沢賢治の宗教世界』

番組では、映画 「銀河鉄道の父」 とは異なり、熱く共に生きようと語り合った親友、保阪嘉内との話が大きく取り上げれています。番組では、妻をめとらない、子孫を残さないと言った点と、我が友我を捨てるなといった過剰とも言える数々の手紙から読み取れる友情から、当時認められないセクシャリティだったのではないかというのが番組の推論でした。そしてこの事を賢治は父に打ち明けて、親子共に深い業と捉えたのではないかという番組でした。
ここで仮説として十分捉えなければならない事は宮沢賢治のセクシャリティの事ではなく、業です。晩年の政次郎翁は、いい事も悪い事をしたことも結果はずっと未来永劫続いていく、恐ろしいことだ、といった趣旨の話を音声テープで語っているのを見ました。これを政次郎翁は人間全ての問題として捉えたのではなく、賢治の生き方でやった事はいい事もあれば悪い事も沢山ある。それは変え難く恐ろしいことだと感じたのではないのでしょうか。政次郎翁はその業は宮沢家として受け止めなければならないと考えたのではないでしょうか。賢治の死後、政次郎翁はその思いを深めて、浄土真宗から日蓮宗に改宗したのではなかったのではと思いました。またそれは、阿弥陀如来の極楽浄土から、日蓮の霊山浄土への改宗を意味したのだと推測します。

  改めてNHKで再放送をお願いします。NHK オンデマンドでもやってますが、地上波で是非。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?