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第20回 石と賢治のミュージアム を訪ねて

石と賢治のミュージアム 太陽と風の家 を訪ねて

訪問記です。旧東北砕石工場跡を見てから隣接している 太陽と風の家に行って参りました。はじめに15分程のガイダンスビデオを見せてもらい、奥羽山脈とは違う北上山地でも古い地層が良質な石灰岩を一関市東山町にもたらしているというものでした。

デボン紀頃の石灰岩(3億5000万年前)

ビデオが終わるとすぐにブラックライトで光る鉱石を見せてもらいました。残念ながら写真を撮り忘れたのでぜひ現地で確認してみてください。

鉱石の部屋

多分わかる人が見ればこれはあの小説この小説と楽しめるのでしょうが、個人的には原作読破が足りない為比較的あっさりと見てしまいました。けれどもわかる人には堪らない空間だと思います。

孔雀石等
鉱石の部屋

グスコーブドリの伝記

肥料用石灰で土壌改良を目指した鈴木東蔵また宮沢賢治ですが、その為か旧東山町はグスコーブドリのまちとして紹介されていました。旧東山町は1994(平成6)年に旧東北砕石工場が町に寄贈されたのを機に、翌95年に「グスコーブドリの町」宣言していました。

「それはいけない。きみはまだ若いし、いまのきみの仕事にかわれるものはそうはない。」
「私のようなものは、 これからたくさんできます。私よりもっともっとなんでもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから。」
『グスコーブドリの伝記』

昭和九年の冷害状況
農民の困窮
岩手で喜ばれたオリザ 陸羽132号

鈴木東蔵と宮沢賢治の交流

この辺も見る人の主観が問われるので、自分の印象を。気になった写真を数点紹介します。

技師契約の成立
工場パンフレット ご存知ですか 新肥料 炭酸石灰
9月21日 遺書

ここでもお題目を唱えてほしいとお願いする様は、ほんとうに深く妙法蓮華経に帰依していたのだと思わざるを得ませんでした。また、グスコーブドリの伝記のような苦しい農民生活からどうにか肥料石灰で農民を救っていきたいと宮沢賢治が東奔西走する姿は胸を打ちます。
次の賢治からの鈴木東蔵への手紙では病床からも工場経営を気にかけていて胸が痛みます。晩年に差し掛かり、命は後2年ばかりとなっていたわけですから。

東蔵宛書簡

双思堂文庫

本棚、左棚には国柱会の曼荼羅縮小版、妙行正軌あり

本棚には比較的古い蔵書が多く見応えのあるものでした。1時間くらい読書させてもらいました。

皆さんも、各々の宮沢賢治を探して、石と賢治のミュージアムを訪問してはいかがでしょうか。オススメいたします。

土に叫ぶ 松田甚次郎 著

付記

秋田からはルートを組みにくい場所で単独一箇所に絞っての訪問でした。花巻の宮沢賢治記念館とは違った内容でなかなか1回で満足できる場所でもないのでまた再訪します。ただし、土地勘が全くないエリアでしたので調査中です。猊鼻渓と併せて再訪したいと思いました。



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