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大人が「さらけ出す」には言語化スキルが要る

「さらけ出す」というワードをgoogleで検索する人が意外と多いことを、ぼくはブログから知った。

「サーチコンソール」という、自分のサイトにどんな検索ワードで辿り着いたのかを調べられるツールがある。それによると、ぼくのブログのある記事には「自分をさらけ出すメリット」というキーワードで辿り着いている人が多いことがわかった。

「キーワードプランナー」というのもある。こちらは特定のワードでどのくらいの人が検索しているのかを調べられる。キーワードプランナーによると、「さらけ出す」というワードで検索でしている人は、月間1,000人以上という結果が出た。

毎日30人以上の人が「さらけ出す」という言葉で検索しているということになる。これはそれなりの規模の需要だ。

「さらけ出す」で検索する人の”意図”はなんだろう?
素直に考えたら、自分をもっとさらけ出したいと思っていて、そのための方法が知りたい、ということになるだろう。ちなみにこれを「検索意図」といって、ブログ運営においては重要な思考方法である。

ともかく、話を単純化させるために「世の中には自分をさらけ出したいけど、どうすればいいかわからない」と思っている人が一定数いると仮定してみたい。

あなたは自分のことを「さらけ出している」と思いますか?

ちなみにぼくは「さらけ出す」のが結構苦手で、わりといろんなことを隠しがちに生きてきた気がする。
正確に表現すると、べつに隠しているつもりはないんだけど、「あえて言うほどのことでもないよな」と思っているうちに、結局誰にも言わずに埋もれていく感情がけっこうあった。

そう考えると、検索からぼくのブログに辿り着いた人も、以前の自分と同じような人だったのかもしれない。

そもそも、さらけ出したほうが偉いのか?という問題もある。
別にインフルエンサーじゃないんだから、自分のことを何でもかんでも発信しなくてもいいじゃないか、というのは至極もっともな考え方だと思う。

だけど、ここではもう少し狭い意味での「さらけ出す」という言葉を使いたい。
ちょうどぼくが「隠すつもりもなかったけど言わないうちに結果的に埋もれていった自分のコトバ」を表に出す方法を探していた、くらいの意味で。

隠しごとがない方が生きるのは楽だ。これは間違いないと思う。
感情を心の中に仕舞い込むことは、思っているよりもエネルギーを要する。場合によってはそれだけで必要なぶんを使い切ってしまうくらい。

ぼくらの日々には、ふとしたことから「だれにも言わないこと」が発生する。それがチリのように積み重なると、分厚いフタになって感情を固めてしまう。とくに若いときはそういう状態になっていた気がする。

今はそういったことはなくなった。ぼくは明確に答えがある。

それは「なんでも言葉にしていくこと」だ。

「隠すつもりもなかったけど言わなかったこと」が発生する原因は、単純に「それを言語化する能力が欠けていたから」だ。

だとしたら、それを言葉にしていけばいい。そのためのコトバを身につけていけば、それは解決する。それが、ぼくが身をもって体験したことだ。

世の中には「言語化がうまくないけど自分をさらけ出せている人」も確かにいる。
そういう人はおそらく周りの環境がそうさせたのだと思う。

家庭や身近に、いちいち問いただしてくる人がいたら、なんでもコトバにして伝える癖が身について、そのままするりと大人になる、そういう場合もあるだろう。
その環境がはたして好ましいのか、はわからない。ある意味ではキツそうな気もする。だから一概にどちらがいいとは言えない。


いちおうブログのリンクも載せておく。4年以上も前に書いた記事なので文章が下手で恥ずかしいけど、ここは「さらけ出して」いこうと思う。

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