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感情の劣化についての考察

最近よく「感情の劣化」について考える。

考えるほどこれからの重要なキーワードに思えて仕方がない。

人の感情が昔より劣化していると思う。

以前noteでこんな記事を読んだ。

読んだとき、なんとドキッとした。

ぼくは自分の感情をちゃんと自分の言葉で語れているだろうか?

正直ちょっと自信がない。

いろんな場面で、想いを伝えるより正解的コメント(誰からも後ろ指を指されないコトバ)を探していないだろうか?

だんだん「自分がどう感じているのか」わからなくなっていないだろうか?


もちろん、感情がないわけじゃない。

だけど、それ以前にコレクトな(正しい)言葉を探してしまう。

そしてネットで検索すれば、それは(表面的には)簡単に見つかる。

感じるより先にググる世代

道を歩いていて知らない植物を見かけたとき、

マンガや映画を見ていて、なんとも言えない感覚を覚えた時、

感じたり、その感情について考えるよりも先に検索した経験はないだろうか?

ぼくはある。けっこうある。

ネットには、ぼくより見識も読解力も文章力もある人が、あらゆる物事について書いたテキストが転がっていて、キーワード検索だけで簡単に見つかる。

その結果、「わからないことがあれば、とりあえずググる」というクセが身についてしまった。

答えを出す必要がないことまで検索するようになるのは「ヤバイ」と思う。

なんでもかんでも、感じる前にググっているとアタマも心も使わないようになってしまうかも、と恐れている。

「どうして"感情の劣化"がヤバいのですか?」

ぼくにはちゃんと答えられない。

命を危険に脅かすことでもないのに、なんでダメなのか?

なんとなくマズイ気がする、としか言えない。

大きくなった子どもに真顔で聞かれたときのためにも、これから真剣に考えていこうと思う。

感情を取り戻す方法

とりあえずは「良くない理由」についてより、「今できること」を考えたい。

劣化してしまった感情を取り戻す方法はあるのだろうか。

感情は「育てる」もの

鈍くなった感情に再び潤いを取り戻す方法、それには感情を育てるしかないと思う。

なんとなく感情って「前からそこにあるもの」って思いがちだ。

あるところにはにはあるし、ないところにはない、みたいに。

でも、そうじゃないと思う。

感情とは「育てるもの」だと思う。植物や野菜みたいに。

時間をかけて、手をかけて、育っていくもの。

水をあげなければ枯れてしまう。

でも、まだ間に合うはずだ。

感情の育て方

それじゃ感情を育てるにはどうしたらいいのか?といえば

自分が思ったことや感じたことを、丁寧にコトバにしていくこと

これしかないと思う。

そして、できたらそれを誰かに伝えること。

直接言わなくてもいい。ブログやSNS、音声配信も効果はあると思う。

思い浮かんたディストピア

この話を書こうと思ったのは、最近ふとこんな光景が心に浮かんだからだ。

たくさんの本が並んでいる書店で、こんなタイトルの本があったらどう思うだろう?

「感情の持ち方」

「かなりヤバい」と感じるのはぼくだけだろうか?(ぼくの妄想の本です)

でも、あながちありえない未来じゃない気もする。

そんなディストピア的な未来が到来しないことを祈りたい。

そのためにも、日々考えたことをコトバにして発信していきたい。

終わります。

音声でも配信しています。

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