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I'llの制作ノート

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書くことで考えを整理しています。創作する時に考えていたことなどをまとめています。
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2023年4月の記事一覧

「罪と罰」をこえて

苦しみを過去になすりつける I'llです。 私の生活は、はっきり言って楽しくありません。いつも焦燥感に囚われているし、絵を描くのも苦痛を伴います。常にしかめっ面をして生きるのは、本当に気が休まりません。 私の半生は、後悔ばかりです。あの時頑張っていれば、きちんと努力をすれば、もっとちゃんと考えていれば、と考えます。自分を大事にして生きてくれば、中年になって人生を折り返そうとしている時期に、これほど身体を張って必死に生きることはなかったのではないか、と後悔します。 それでも、

飯坂温泉旅行記3

最悪な目覚め I'llです。 午前3時半、汗だくになりながら右手の鈍痛で目が覚めました。なぜ、温泉旅行に来てこれほど最悪な目覚めをしなくてはならないのか、私はしばし考えていました。 5時になって、朝風呂に向かいました。 いつも忙しなく裸の人たちが行き交う姿はなく、温泉は貸し切り状態でした。湯に浸かりながら、自分はいつまでこの苦しみと付き合っていけるのか、自信が揺らぐのを感じていました。 最善であることを目指し、目先の苦しみよりも魂の喜ぶ充実を選んでやってきましたが、自分はひ

飯坂温泉旅行記2

雨が弱くなったので、旧堀切邸へ I'llです。お昼頃になって雨がほぼ上がったので、散策に行くことにしました。旅館を出る時にボーッとしてたせいで階段を踏み外して転んでしまいました。いい歳のおっさんが一人でコケるのは、かなり虚しいものです。私は考えごとをしているせいでよく躓きます。 旧堀切邸は、飯坂町の古い名家のお屋敷です。氾濫しやすい川を摺上川に分水させたり、地元に私財を投じて復興に充てたり、そういった名士を代々輩出してきたお家柄です。 邸内は親しみ深い日本家屋で、習字教

飯坂温泉旅行記1

なぜ「三流」なのかを理解できた I'llです。 ここ数日、アドレナリンが出すぎて慎重さに欠けていました。自分の絵や漫画がどうすれば良くなるのかの道筋が、はっきり見えるようになってきたのです。その点、自分がなまじ「できる」と思い込んでいた部分に落とし穴があり、それを疑い勘違いを見抜くことで、劇的に改善できることに気づきました。そのためには、プロの作家さんの優れた部分を見て、「自分はこれくらいできる」と思い上がるのをやめ、素直に良いと感じ、そこから何を吸収し、どう応用できるかを

悪の終わりは必ず訪れる

デトックスの時代に突入した I'llです。 何というか、自分が変わる速さよりも世の中の変化の方が速く、頭が追いつかない毎日です。世界は今、デトックスの時代に入ったことを感じています。傲慢にも古い既得権益に縋りつき、その正当化のために悪を厭わない人たちの、最期の時が迫っているように見えます。しかし、そのデトックスは自然に進むものではなく、確かな倫理観を持ち、身体を張って戦う人たちがいるからこそ、痛みの伴ちながら変革が成し遂げられます。 私は一介の絵描きにすぎないので、言論や政

心の底から、孤独に安心する

孤独だった青春時代 I'llです。 思春期の頃、私は集団行動がすこぶる苦手で、馴れ合って行動するにはあまりに浮きすぎる自分を感じていました。集団でうまくやれないならば孤独になったほうが良い、と実は輪の中で仲良くなりたいのに、わざと自分はローンウルフであるフリをしながら、同級生から逃げていました。 それから大人になるにつれ、集団行動をせざるを得ない状況になり、何となく集団の一部っぽく振る舞うようにはなりました。その頃には、思春期頃のの反動もあり、孤立する寂しさを集団に紛れるこ

サイボーグになりたい。

I'llです。 今日は、愚痴を書きたいと思います。 最近、何か新しい趣味を見つけられないか、探しています。私の趣味は仕事で、仕事が趣味です。ゲームをしたり映画を観たりもしますが、漫画を描くこと以上に、楽しいと思えることがないのが問題です。一日の中には、散歩しながらnoteを書くこと、お風呂に入ることが良い気分転換になっていますが、それは一日に何回もできるわけではありません。ですから、それ以外の時間はほぼ絵を描いています。 しかし今は、この生活を続けすぎたせいで、ペンを持っただ

クリエイターがファンコミュニティをもつ意味

I'llです。 私はTwitterのアカウントを消して1年以上、SNSをやっていれば良かった、と思う時はほぼありませんが、やっていなくて良かったと思う時は数十倍もある気がします。 クリエイターは人気商売ですから「形だけでもやるべきでは?」という意見もあることは承知していますが、SNSは強みにもなれば、当然弱みにもなります。猫も杓子もSNSをやるのは当然、みたいな世の中ですが、多くの人はソーシャルネットワークのあまりの気持ち良さに、デメリットをきちんと認識できていないのではない

叔父の十三回忌法要

I'llです。 今日、叔父の十三回忌法要のため、山形に行ってきました。 叔父は52歳で亡くなりました。自死です。その後の葬儀などは、本当に私の人生の中でも特に悲しい思い出の一つです。叔父も長い間、鬱病を患っていたものですから、私は叔父に対する共感が余計に強かったのかもしれません。 私は今、かろうじてまだ生きていますし、もう病気で苦しんではいません。しかし、叔父の最期は私のあり得たかもしれない人生だったのだと思います。ですから、その死を誰よりも弔ってあげたい気持ちが、ずっとあり

限界に挑戦することは、限界を知るためである

I'llです。 毎日、14時間ペンを握る生活を2週間続けました。それでわかったのは、自分の実力がニーズを満たせる水準に達していない、ということです。 今まで恥を惜しんでやってこれたのは、一重に環境に恵まれていたからです。「これだけ頑張ったのだから、世間は評価してくれるだろう」という甘い考えに依存して、自分を慰めながら今まで来ました。自分が評価されなかった原因は、単純に己れの実力が、人を満足させるレベルに達していなかっただけであることを思い知りました。 「努力して磨き上げたも

絵を描くために、生まれてきた

I'llです。 先日、友人と話をした時に「AIは使いこなせるようになったほうが良い」という話を振られ、私もその意見には概ね賛成しました。現在、修羅場の最中ですので、工程をいくらか自動化して、クオリティも誤魔化しの効くレベルであれば、使いたいと思うほどには、苦しい思いをしています。 AIがこの世に普及してしまった以上、使うに越したことはないのだろうな、と思います。しかし、こう言った急速に氾濫し始めた最先端技術は、社会的問題が後々広がり、見直されたり規制されたり、或いは進化を促

笑顔で、修羅場に立ち向かう

I'llです。 私は久しぶりに、肉体の限界を感じています。このままやってたら気絶するんじゃないか、と薄っすら思います。あまりのしんどさに、小手先の作業ノルマになりかけ、もう妥協しようか、と思うこともあったりなかったりします。 ついこの間、YouTubeの動画で、「笑うことで疲れを解消する」という内容を紹介していました。死にそうな顔で作品を作っても、良くなるような気もしないので、作り笑顔をしながら原稿に向かっています。 私の身体は、座っているだけで辛い状態です。気力だけでやっ

「冷徹な直感」を信じて

I'llです。 私のことを昔から知っている人ほど、成長をしたと思うかもしれません。今の私は、高みに登っているという実感はゼロです。むしろできないことができるようになることに精一杯で、人に自慢できることはありません。 これだけ頑張ってきても、できないことに直面すしている自分は、どれだけのマイナスからスタートしていたのだろう、と感じてしまいます。 自分がしてきたバカに後悔することはたくさんありますし、己れの無力や無能を思い知らされる日々です。それでも、自分のできなさを受け入れ、そ

死と向かいあって。

I'llです。 現在、原稿の追い込み中で満身創痍の状態です。 栄養ドリンクを飲んで無理矢理がんばろうとしたら、命の危険を感じます。 死は、私にとって実に身近な存在でした。15年間の鬱病を経験し、その時は死の選択が、最も手堅い救いの手段でした。今考えると、それは苦しみからの逃避だと思いますが、人間は本当に追い込まれると、苦しみたくない一心で、何も気にならなくなります。 私の叔父も、知り合いもそうやってこの世を去っていきました。私は彼らに、さぞ苦しかっただろう、と労いの気持ちを抱