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I'llのコラム

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書くことで思考を整理しています。つらつら思うことを書いています。
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記事一覧

生成AIがどうなってもプロのクリエイターが勝つ理由

※この記事は、私が一個人として調べ考えたことをまとめたものです。私見を扱った内容であり、対抗言論を前提として発表するわけではないことを記しておきます。 はじめに:生成AIが映画界に進出した未来 2030年、生成AIの飛躍的な進歩により、PCのGPUを1時間走らせておけば2時間の映画を出力できるようになりました。 その映画生成サービスは(仮に)Googleが運営しているとします。新海監督作品のようなアニメとか、ハリウッド並の数十億円規模の映画を、サブスク月々3980円で誰で

ウクライナ侵攻開始2年に寄せて

I’llです。 本日2月24日、ロシアがウクライナを侵攻開始して2年になります。 昨年、私はこちらのnoteで「ウクライナを支援する計画がある」と書きましたが、情けないことにまだ現実化できずにいます。 目の前のことに囚われ、理想にはなかなか近づけません。モタモタしている間にロシアに領土が割譲されるという憂き目に合うとしたら、今後ウクライナの方々に顔向けできません。 何とか私も事業を軌道に乗せ、国際貢献をしたいところです。 ウクライナの方々を応援する気持ちを込めて、イラストを

画像生成AIに、一年かけて出した結論:「AIよりも問題なのは人間」

AIを疑問視するなら、まず人間について論ずるべき I’llです。 12月9日、EUで世界初となるAI規制法が可決されました。私はAI開発企業にだいぶ忖度した内容になると個人的に考えていましたが、比較的踏み込んだ結論になったと思います。とはいえ、最速での施行は2026年からですので、あと2年はAI関連企業がイケイケなわけで、世の中がどう変わっていくかは不透明感が拭えません。 私はAIが本質的に危険だとは思いません。むしろ画像生成AIを使う「AI絵師」のノーマナーな振る舞

今の世界と情報と、どう向き合うべきなのか?

世の中と良い距離を取る、ということ I’llです。 本日より「I’ll Note」の更新を再開します。 更新を停止している間、多くの段階を心理的に乗り越え、また世界や社会を取り巻く情勢も変化しました。しかし、以前私がこのブログの方向として考えていた思想的路線は踏襲したいと思います。 今回は、休止中に練っていた一連の記事に先立って、情報リテラシーに関して考えたことを書いていこうと思います。 原稿中というか、切迫詰まっている間はかなりナーバスになっていまして、情報の心理的悪

「斬新なアイデア」を生み出すには何をすればいいのか?

技術のカンストはアイデアの競争に向かう I'llです。 だいたい19世紀末から、科学技術は急速に発展し文明の本質そのものを変えてきました。宗教や伝統よりも経済的利益を優先し、経済的利益は生活を便利にし、文化の多様性を育んできました。 いくら科学技術によって人の生活が変わっても、人間の欲求や本質は変わりません。しかし道具は人間に使われるのみながらも、道具によって行動を規定され依存することで、人類は自らの様態を著しく変えていきました。これまで個人の技術力で社会の根幹を支えてきた

【コラム】なぜ、人は進んでバカになろうとするのか?

「老害」と反知性主義 I'llです。 人間は、不思議な生き物だと思います。 子供の頃から勉強しろと諭され、良い学校で優秀な成績を残すように急かされ、賢くなければ生きていけず、しかし歳を重ね良い大人になればなるほど、考えず学ばず楽に生きていこうとするのは何故でしょうか? 先日、父が3日前のお弁当を夕食に食べました。家族がいくら注意しても「大丈夫だ」の一点張りで、結局1時間に1回トイレに行ってうなされていました。ナチュラルに痴呆が入ってきているのかもしれません。なぜ子供でも危な

【コラム】その流行に実態はあるのか?

マーケティングの第一法則 I'llです。 私は職業作家として、どうすればヒットを生み出せるのかを、常に考えています。 ヒットやバズりを生み出す第一法則は、「わかりやすいパッケージ」であると思います。企画の時点で、いかに意外性がありメリットを提示できるか、という瞬間火力がコンテンツの吸引力となります。言ってみれば、どんなに内容のクオリティを上げても、第一印象で企画性を伝えることができなければ、初めて見るコンテンツに消費者が入っていくのは難しいのです。 消費者は、評判や周りの人

【コラム】AIバブルを静観したいと思う理由

I'llです。 私はAIに対して生理的な拒否反応があり、正直に言えば嫌いです。それでも、文明の進化のために、嫌でも受け入れ、共存しなくてはならないと考えています。 私の友人の父親がカメラマンでしたが、スマホのカメラが業務用カメラに追随するクオリティの画質になり、今では素人にも加工でプロ並みの写真が作れるようになりました。私としては、綺麗な写真が撮れることには何の問題も感じませんが、プロカメラマンの友人の父からすると、苦労して手に入れたプロレベルの写真技術を、スマホで素人が適当

ポリコレが流行らない理由

I'llです。 今のエンタメ界をじわじわと侵食する、ポリコレへの配慮は、一過性の現象であると思います。 ポリコレは、性的マイノリティや被差別的な人種を持ち上げることが正義であり、正義のためにはエンターテイメントの本質が歪められても構わない、とする姿勢のように見えます。そこには、マイノリティに日の光を浴びせていると自覚する特権者の、傲慢さと根底にある差別意識が垣間見えるのです。 ポリコレは、トランスジェンダーや太った人、被差別人種、そういった迫害されやすい人たちをエンターテイメ

「シン・エヴァンゲリオン」は壮大な二次創作の終わり

I'llです。 突然、エヴァの話がしたくなったので、書きます。 「シン・エヴァンゲリオン」を劇場で観たのは、2年前だったと思います。 中学校時代からの付き合いであり、リアルタイムで一緒にエヴァを追ってきた友人を誘ったのですが、その時は彼なりに問題があり、仕方なく一人で観に行きました。 前回の「Q」の公開時は、私の鬱病が相当酷い時期だったので、実際に観て、面白いのか面白くないのか判断できませんでした。私は何十年もTVアニメを咀嚼してきたタイプのオタクですので、庵野監督らしくない

【コラム】日本人は本当に劣化したのか

I'llです。 毎日ニュースを見ていると、どうしてわざと日本人を不安にさせるような記事ばかり流すのか、疑問に思います。 日本のマスコミは、日本人や政府を下げるという結論ありきで事実を捻じ曲げ、切り取って悪い印象にすり替えているように思います。私は、こういうのは本当にうんざりします。 社会学者や知識人、インフルエンサーは、日本人の質が低下してこの国に未来はない、というような言い方をすることが良くあります。 私は、果たしてそうだろうか、と思います。 彼らが、何を根拠にそう断定す

知らなければ食い物にされ、知れば不幸になる

I'llです。 国際情勢は国内の状況を知るより、日増しに重要性が高まっています。 隣国の謀略の波が、国家を蝕んでいます。しかし、私がそれを知ったからと言って、何ができるわけでもありません。地元から消去法で、多少マシなレベルの議員に票を入れる程度のことしかできません。 自分が何ともできないスケールの問題は、真剣に悩むべきではありません。餅は餅屋という考え方は大事で、自分の手が及ばないことは、当事者である専門家に任せるしかありません。 とは言え、世の中に起こる様々な事象を知らな

多様性とは、嫌いなものを視界に入れないことである

I’llです。 近年、女性や性的マイノリティの方々の権利に対する議論が高まっています。 多様性のある社会のためには、そういった方々の人権だけではなく、その他の多様な人々の権利も守られるべきです。 しかし一部の議論は、多様性や権利の重要性を主張しながら、彼らが擁護したくないタイプの人々が、排斥されても構わないという言説に陥りがちです。 私はこの矛盾から脱しきれていないからこそ、日本のマイノリティへの差別や、人権の議論が進まないのではないかと思います。 よく人は「自分には関係ない

努力のススメ

I’llです。 遺伝子によっては、努力ができるタイプとできないタイプがいるという説があります。 私は、努力が人間にとって重要であるとは思いません。努力せずできるに越したことはないし、努力だって好きでやれば、ただの探究です。 頑張れば夢が叶うとか、努力すればできるようになるとか、学校教育が子供の嫌がる勉強を美化するために生み出した、学歴社会に最適化された言説だと思います。 どんな綺麗事を並べても、人間は生まれ持った家庭の資本や、生まれ持った能力でスタートダッシュに差が出ます。こ