3.理由から逃げろ!

俺は堪えている。
このnoteをなぜ毎日更新しようと思ったかという理由を話すことを。
理由や動機から逃げ込むシェルターが欲しい。
日々生きてるとしきりに思う。
なぜご飯を食べたくなるのか、がうまく説明できないように、大体のものに理由なんてないもんだ。けど、もう一人の自分はしきりに思う。理由や動機を説明せねば!と。

自分の場合、そのシェルターが音楽や、映画だ。
好きな音楽や、好きな映画に一人で浸る瞬間、そこに理由や動機はない。
「好きだから」は「好きだから」以外に変換できない。

なのに、次の瞬間、もう一人の自分は説明を始める。
「これとこれとこれが好きなのはこういう共通項があって、」
「こういうものが好きなのはこういう育ち方をしたからだと思ってて、」
ウダウダやめてくれよ一体。なんだってんだ。
没頭してる内は理屈や理論なんかとうに超越してるくせに、ちょっと気を抜くとこのザマだ。
いい映画を見終わった後の、長風呂なんかはもう一人の自分の独壇場。
湯に浸るより先に、作品に浸れ馬鹿やろう。

Twitterなんかやってると、常に「あの発言をした理由はなんだ」って聞かれてるようで、嫌になって、思うことはnoteに書き留めることにした。
双方向であり続けるってのも困ったもんだ。
生活にインタビュアーはいらない。

理由なんかいらねえ!走りたい時は走り出せ!
と教えてくれたのも、自分にとって大好きな音楽や映画だった。

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