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自分が刑務所に15年入ることになった事件について話しました。

正直に話すことを心がけたのですが、

心のなかに未だ幾つかの抵抗があり、

話した内容を活字化するのは難しいです。

刑務所に入る契機となった話です。

今から20年前。

20歳で大学生だった自分は、

年が5つほど上のOLと同棲していました。

交際が始まってからは、

その恋人との

部屋を掃除し、

毎晩食事を作り、

ビールで晩酌をし、

同じ布団で眠る。

と、共幸せな日々がありました。

同棲中のマンションの、

蛇口から水が出なかったり、

時計の電池が切れていたり、

ビデオデッキの配線がつながれていなかったりと、

こういう一つ一つに私が手を加えて

部屋が色を取り戻していくのが幸せでした。

料理も毎日、

スーパーで安く買った野菜で

栄養のあるものを作りました。

私が作った下ごしらえの料理が、

お腹好かせて帰ったとき、

私の分まで食べられている時もありました。

恋人に

「だって美味しかったし、お腹空いていたもん。」

と言われるのもまた嬉しかったのです(のろけ)。

夜は食事とともに、

ビールの大瓶を冷やした中ジョッキに

2つに分け注いで乾杯しました。

ほろ酔いのまま、

ベットで情を交わし、そのまま眠りました。

日々楽しかったです。

3か月ほど、この天国のような生活が続きました。

年が明けてある日、そのマンションの掃除機をかけているとき、

押し入れから

覚せい剤と注射器

を発見しました。

今回これが覚せい剤だとすぐに気が付きました。

彼女がオーストラリアで

ハッシッシ(大麻)を吸っていたことは

過去に聞いていました。

ほか、ガラナやブロンなどの

興奮作用のある薬剤にも詳しかったです。

私自身も、

雑学として、どんな薬物が出回っていたか知っています。

覚せい剤とおぼしきそれはビニールに包まれていました。

スティックシュガーのような細粒の銀の粉です。

ビニール袋自体を密閉するシールが雑だったのも覚えています。

細身の注射器スプーンとアルミホイルが

小さなポーチにひとまとめに入れられていました。

この状況から

覚せい剤だな

と思いました。

当時自分には覚せい剤仕様に関しては

「ダメ・ゼッタイ」

「薬やめますか・人間やめますか」

といった

行政の一次使用を予防するキャンペーン・スローガン

の知識しかありませんでした。

まずは理由を聞くため、

私は、その日の夜に恋人と覚せい剤が出てきたことについて話し合いました。

自分で注射をすることは少なく、

換気扇の回ったキッチンでアルミホイルを炙り、

2週間で1万円分ほど使用していたとのことです。

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