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所作仕草

俳優の香川照之さんが、歌舞伎役者の市川車中に転向する時、歌舞伎のシステムについていけないのではという論調が多かったと思う

たしかに歌舞伎は、公演前の2日程度の練習期間しかない
しかも、立ち位置の確認程度で、すぐに本公演にはいる
歌舞伎の蓄積がないから、このシステムには対応できないのでは ?という指摘だった

でも、そこには若干の違和感があった

例えば映画でも、一発撮りがある
だから、システムではなく、違うところに問題があるのかなぁと

以前、同じ年の春と秋に、2代目中村吉右衛門さんを東京駅のホームでお見かけした

春はグレーのスーツ、秋はツイード、多分ヘリンボーンだったのだろう

とても地味な方だったので、春の時も秋の時も、誰も気づかない

その歩き方が、少し変だった
足を引きずっていた
もうお年だからかなぁとその時は、そう思った

ボクは群馬県桐生市出身だ
桐生には矢野商店という古いもと大店がある

そこが昔使っていた石造の蔵を改装して、有鄰館というホールを作ってある

そこで、だいぶ前だけど、立川志の輔さんが独演会を何度か開催していた

ある時、チケットがあるからと、実家に連絡があり、両親はどうしたものかと悩んで、ボクに電話をかけてきた
迷わず行くとこたえた

なんの演目だったのかは、もう覚えていない
ただ、打ち上げにも、矢野商店の当主が2席ほど末席ですが空いているので、どうでしょうと誘われた

そこは有鄰館の向かいにある、泉新という古い鰻屋さんだ

そんなに大きなお店ではないので、末席でも、間近に志の輔さんがいる

乾杯早々に、運ばれたばかりの鰻重の蓋を開け、その蓋の開け方も鰻重の食べかたも志の輔さんのなんときれいな所作だったことか
鰻重を食べている姿を見て感動したことは、この後先にはないと思う

落語には、よく食べるところ演じる噺があると思う

これはあくまでも推測なのだが、落語を演じるために、所作仕草をそうとう見直して、身体に染み込ませたのではないのだろうか

だから日常でも食べる所作がきれいなのではないかと感じた

それで、話は吉右衛門さんの歩き方に戻る

着物は歩く時、足にまとわりつく
だから、大股では歩けない

あの時の吉右衛門さんが、もしその時、着物を着流で着ていたら、鬼平犯科帳の長谷川平蔵が歩いているように見えて、その場にいた人の多くが気づいたのではないのだろうか

歌舞伎の所作仕草を身体に染み込ませているから、普段からスーツでもあの歩き方になっていたのではないか

2代目中村吉右衛門さんは、もう亡くなっているので確認のしようがないけど

それと、中村勘九郎さん、その後中村勘三郎さんになったんでしたっけ
あえて勘九郎さんと言うけれど、たしか中中山秀征さんと飯島直子さんがメインの司会をしていた、DAISUKIに登場した時、お二人、本当は松本明子さんもいるのだけど、何度か、3人に対して左手の拳を上げて、当然、受けようとしているのだけど、その左手は弓手、読みはゆんで、だった

弓手は、和弓を引く時の基本だ

和弓は、普通、左手に弓を持ち、右手で矢を持って弓を引く

その際、弓を持つ左手が固定しないと、打つ矢が、上手く飛ばない

左手は、左の掌を左側に向けてから手首から掌だけを右側にむける
そうすることで、左手がブレなくなる
それが弓手だ
こうすると、結果だと思うのだけど、身体か大きく見える

歌舞伎は、たぶん、それを学習したのだろう
たくさん着た着物の中の手の動きは、わからないのだろうけど、確かに弓手の方がなんだか勇ましい

それが勘九郎さんの身体に染み込まれているのだろう
伝統というものの一部は、こういう積み重ねかと思う

香川照之さんが中村車中に転向した時の違和感は、多分、そういう所作仕草の蓄積がないのでは、という疑問だったのではないか

中村車中さんの歌舞伎は見たことがないので、いまそのようなことができているのかわからない

こちらはご本人に確認することは、物理的には可能だけど、そのような場は、これからもないだろう

てまはまた

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