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味な鰺の味

子供の頃、魚全般が苦手だった。
正確には磯の香がするものに、
どうしても美味いという感情が沸かなかった。

時々、鰺の塩焼きがおかずとして出てくる。
ボクを除く家族全員が「今日のはアブラがのっているね」とか
そんな会話をしている中
残すと叱られるので、磯臭い鰺をお茶で胃に流し込んでいた。

ある時、回遊していないで磯場に定住しているという鰺を
祖父が知人からもらってきた。

それは薄く全体が黄色がかっていた。

祖父は「早めに食べた方がうまい」とも聞いてきた。
それで昼に焼いて食べることになった。

七輪に火の入った練炭を入れたのを2つ用意して
それぞれで2匹づつ鰺を焼き始めた。

もうもうと煙立つ中、鰺から滴るあぶらに火が入り
さながら火事になったような感じだった。
お隣の寿司屋さんの板前さんが、
様子を見に来たくらいの煙と炎だった。

「焼きすぎない方が良いらしいぞ」と
何もしていない祖父が指示を出す。

祖父は面倒くさい人なので、
早めに網から鰺を下した。

すりおろしておいた大根を皿にのせた鰺のわきにのせ
完成である。

また、お茶で流し込まないと、という気持ちが
ムクムクと湧き上がってきた。

さて一口食べてみた。
甘く、香ばしく、何よりも美味い。
驚いた。
世の中にはこんなにも美味い魚があるんだと
初めて感じた。

住んでいた街は山国で、なかなか新鮮な海産物は
大枚を払わないと入手できなかった。
魚嫌いは、鮮度の問題だったのだろう。
子供の頃は、まだ輸送技術とかは発展途上で
活きの良い魚など、山国では入手困難だったのだろう。

いただいた鰺は黄金鰺と言って
それが高価なものだとは大人になるまで知らなかった。

その鰺は、房総での夜釣りで釣ったそうだ。
それを翌日の早朝に持って帰ってきたそうだ。
だから鮮度はそれほど落ちていなかった。

料理には人それぞれの先入観がある。
ところが「美味しいもの」は、
時として、それを上回る「味」のあるものがある。
黄金鰺がそうだったように。。。

世の中、まだまだ食べていない美味いものがたくさんあるはずだ。
それらに出会う一期一会を大切な出会いにしたいな。


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