見出し画像

東京・妙法寺前であったこと

この話は、30年くらい前の話である。

東京7号環状線の西側を北上すると世田谷区を通り過ぎて、確かすぐに杉並区に入る。
入ってすぐに日蓮宗の妙法寺がある。本堂は小さいが、墓地は広い。
妙法寺のその墓地はコンクリートブロックで壁が作られている。
その墓地に隣接している道なのだが、ようやく車がすれ違いができるような細い道となっている.
妙法寺の墓地の向かいは,江戸の大火事があった時に、いわゆる都心から寺がいくつも移転されたそうだ。
しかもなんと妙法寺の墓地の向かいは杉並区の火葬場だ。なかなかにシュールな通りである。

あれは新しく入社したベンチャー企業の仕事が忙しく
ほぼ毎日、深夜残業をしていた時に起こった。
いつも通り、JR中央線の最終で高円寺駅まで行って、そこから南下するように歩いて帰っていた。
当時住んでいたのは方南通りにあるワンルームマンションだった。
翌日、重要なプレゼンテーションがあり、準備に時間をものすごく使って帰りが遅くなった。

環状7号線の西、青梅街道の南には、善福寺川と妙正寺川が東西に流れていて、当然、川だからそこを南側に超えるいくつかの橋のひとつに出る必要がある。
近道は、妙法寺の墓地と杉並区の火葬場の間の細い道を使うと我が家に帰るのには便利なのだが、心理的にはなかなか使いたくない。
その日、確か2月の事で、とても寒かった。
夕食は確か、青梅街道にあった深夜まで営業している中華料理屋兼居酒屋だった。
お燗された紹興酒をいつもより多くいただいた。
それで気分が良く、いつもは避けていた妙法寺の墓地と杉並区の火葬場の間の道を通って帰り道についた。
ところがである。その道に入ると間もなく重低音の太鼓の音がしているような気がしてきた。
ドンッという音圧がとても強かったのと、酔っていたからなのか、なかなか足が前に進まない。
しかもその音圧が両肩に重くのしかかってきて、通りの途中で座り込んでしまった。

すると暗いはずの火葬場が明るくなっていた。
明かりの元は火葬場から妙法寺の墓地ににむけて、光の柱のようなものが「ブーン」という音とともにいくつも輝きながら渡っていた。
文字通り本当に渡っていた。
少し気が遠くなっていった。でも「これなんなんだろう」と考える余裕は、まだあった。

そこにタクシーが通りかかって、ボクを見て、後ろのドアを開け「乗っていきませんか?」と言ってくれた。
渡りに船で、そのタクシーに乗ることにした。
そのタクシーの運転手さんの話では、この通りはよく不思議なことが起こるそうである。
光の柱もそのうちのひとつだそうだ。
そんな話をしていたら、我が家があるマンションに到着したのだが「お題はいりません。ちょうどタクシー基地に帰るところだったので」と言われ無料送迎となった。

しかしである。真夜中の不思議な現象が起こるところをそのタクシーが客を拾いに入ってくるとは考えづらい。
しかも無償である。
本当にタクシーに乗ったのだろうか、急にそれが怖くなった。

それ以来、妙正寺と火葬場に挟まれた道は、夜には通らないことにした。
何かかがそうしろと言っているようで、しかもそれは強い声にならない声がしたように思えた。

紹興酒をたくさん飲んでいたせいにして、自分の心奥底にしまい込んだ。

そんな話である。

ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?